25.最初の舞踏
楽団が一瞬静まり返り、次の瞬間―――、
華やかな序曲が鳴り響いた。
「セオドール大公殿下、ファーストダンスを」
呼び上げられた途端、
会場の視線がすべてセオドールとヒストリアに集まる。
ヒストリアの喉がかすかに鳴る。
(…練習した通り、落ち着いて。深呼吸…)
セオドールは横目でその様子を見て、
ほんのわずかに口元を緩めた。
「…手を」
差し出された手をとれぱ、白い手袋越しでも分かる体温。
セオドールはその細い指をしっかり包み込んだ。
フロア中央。
灯りが二人だけを照らすように落ちる。
セオドールの手がヒストリアの腰に添えられた瞬間、彼女の心臓が跳ねる。
ゆっくり、一歩。
二歩。
音楽に合わせて自然に導かれるように、
足が動く。
(できてる…?)
恐る恐る視線を上げると―――、
セオドールは、どこか機嫌よさそうに目を細めていた。
「…悪くない」
「本当ですか?」
「教えた通りにできてる。…まあ、多少ぎこちないが」
「それ、褒めてるんですか?貶してるんですか?」
「半々だ」
くすっと喉の奥で笑ったその声に、
ヒストリアは胸の奥が温かくなる。
回転―――、
セオドールに引き寄せられた拍子に、ヒストリアの髪が彼の胸元をかすめる。
その瞬間、彼の指先が、すっと腰の位置を変えた。
離れすぎないように、
でも抱き寄せすぎないギリギリの距離。
息が触れ合いそうで触れない。
「…下を向くな」
「…殿下の足を、踏みそうで…」
「もう、今さら踏まれても気にしない。俺を見てろ」
音楽より低く、
命令より優しく、
どこか甘い声。
その言葉に掴まれるように、ヒストリアはセオドールを見上げた。
胸がまた跳ねる。
(…こんな顔、するんだ)
ほんの、ほんのわずか――微笑んでいた。
氷の大公が。
その様子は、ダンスを見守っていた貴族たちをざわつかせていた。
「…大公殿下が笑ってる…?」
「嘘でしょう…?」
「あの花嫁の、なんて美しいこと…」
「素敵…、まるで花が咲き誇るようですわ…」
ざわざわと広がる声。
好奇と驚愕が渦のように二人を囲む。
ヒストリアが一瞬そちらへ視線を向け――、
その途端、セオドールの手が彼女の腰をぐっと引き寄せた。
「よそ見をするな」
「…っ…、す、すみません」
「……お前が見ていい相手は俺一人だ」
その声音に、会場のざわめき以上に、ヒストリアの心臓がうるさく跳ねた。
やがて曲が終盤に差し掛かる。
セオドールがヒストリアの手を取り、
軽く回転させた瞬間―――、
光を受けた黄色のドレスがふわりと花開いた。
「…なんて美しい姫だ…」
「…舞踏会の花に相応しい…」
称賛の声が上がる。
それに反応するように、セオドールの眉がわずかに動いた。
貴族の男たちが頬を赤らめ、ヒストリアの事をぼんやりした表情で見ている。
(――気に入らない)
その表情にヒストリアは気づいていない。
ただ、少しだけ強くなった手の熱だけが伝わった。
曲が静かに終わる。
最後に手を離して、お互いに一礼すれば終わりだ。
セオドールはヒストリアの手を離す―――
…と思いきや、離さなかった。
観客の視線が集まる中、
彼はヒストリアの手を取ったまま、ゆっくり顔を寄せる。
「…よく頑張ったな」
「……」
ヒストリアが固まった瞬間、ざわっ、と周囲がまた色めき立つ。
セオドールはそんな騒ぎなど一瞥もくれず、ヒストリアの手を引き、観客から遠ざけるように歩き出した。
「行くぞ。…これ以上他の男に見られるのは不愉快だ」
「い、今なんて…?」
「聞こえているだろ?何度も言わせるな」
聞き間違いではなかったらしい。
耳まで赤くなったヒストリアを横に、セオドールは淡々と歩き続ける。
二人のファーストダンスは、幕を下ろした。
*******
セオドールはヒストリアの手を取ったまま、人々の視線から少し外れた場所へ歩く。
彼の横顔はいつもより穏やかだったが、その目にはわずかな苛立ちが混ざっていた。
「…ずいぶん好評だったな」
「え?」
「今のダンスだ。褒め言葉が飛んでいた。美しい、…と。あそこまで騒がれるとは予想外だ」
「えっ…、あ…殿下のご指導のおかげです」
セオドールはそっぽを向き、ふっと短く息を吐いたような声を落とした。
「…腹が立つ」
「どうしてですか?」
「理由を説明する必要があるのか」
「それは、あると思います」
「お前が悪い」
「…今の流れで、どうして私のせいになるんですか?」
セオドールはちらりとヒストリアを見た。
その視線は、少し拗ねているようにも見える。
「…お前は目立ちすぎだ。その髪、瞳、ドレスも」
「ドレスは殿下が選んだものです」
「だから余計に腹が立つ」
「意味がわかりません」
「わかれ、理解しろ」
「できません」
セオドールが短く舌打ちした。
「…お前にこれ以上、人の目が集まるのは好ましくない」
「そんなの、私のせいでは―――、」
「お前に自覚がないのが一番厄介だ」
「……」
なぜ責められているのか、セオドールの言葉の意味がわからない。
ヒストリアは言葉に詰まり、睨むようにセオドールを見上げる。
「お前が全部悪い」
「殿下、では私はどうすれば――、」
ヒストリアが詰め寄ろうとした瞬間、
セオドールの視線がふいに彼女をとらえた。
いつもの鋭さよりも、ほんの少しだけ柔らかく。
「…これ以上、誰かに見られるのが癪だ」
「…え?」
「俺の選んだドレスで、俺以外の誰かに見惚れられて、気分がいいと思うか」
ヒストリアは息を呑んだ。
セオドールは不機嫌そうに、しかしどこか諦めたように呟く。
「…お前が綺麗だと、こんなに腹が立つと思わなかった」
「っ…!?」
ヒストリアの耳まで一瞬で真っ赤になる。
(…今、綺麗って…)
セオドールはそれを横目で見て、ほんの少しだけ息をついた。
「ほら、またそうやって顔に出す。だから目立つなと言っている」
「ち、ちが…っ!」
「はいはい。言い返すな。余計目立つ」
「殿下!“はい”は一回です」
会場のざわめきの中、二人の空気だけがいつも通り。
ヒストリアが呆れたようにため息をつくと、セオドールはほんのわずか、他の誰にも気付かれないくらい小さく笑った。
この後――、
これから何が起こるか、まだ何も知らないように。




