22.宴の準備④
「ヒストリア様、もう少しだけ腕を上げてください!」
エマが声を弾ませ、鮮やかな黄色のドレスを持ち上げた。
陽の光を集めたような明るい布地。
胸元から裾へと淡い金糸の刺繍が流れ、雪の結晶を模した細やかな意匠がきらりと光る。
袖口には白いオーガンジーが重ねられ、動くたびにふわりと揺れた。
「…エマ、これ、すごく動きづらいんだけど」
ヒストリアが不満を漏らす。
腰まである白金の髪が緩やかに結われ、肩を出すデザインのせいで落ち着かない。
「そんなことおっしゃらないでくださいっ…、殿下が、直々にお選びになったドレスなんですよ!」
「……えっ」
「赤い瞳に映える色を、と仰っていたそうです」
「……」
「迷わずこのドレスをお選びになったと、カイン様がこっそり教えてくださいました」
ドレスの裾を整えながら、エマが嬉しそうに話す。
「髪飾りはこちらです」
鏡越しにきな赤い花をモチーフにした髪飾りを見せてくれる。
花―――
ヒストリアは氷花庭園のことを思い出していた。
セオドールには、今も忘れられない女がいる。
氷花を見つめる、懐かしそうな、どこか寂しげな顔が思い出された。
心臓の辺りがギュッと掴まれる感じがしたが、ヒストリアは黙って目を閉じる。
「ヒストリア様、最後にこちらの靴を」
そう言ってエマが差し出したのは、白い絹に金糸の刺繍が施された踵の高い靴。
「…あの、エマ。これ、本当に歩くための靴?」
「もちろんです。踊るための靴でもあります」
ヒストリアが靴を履き、げんなりと立ち上がって鏡に向かう。
大きな姿見の中で、黄色のドレスをまとった自分が、いつもよりも少しだけ大人びて見えた。
光を反射する金糸の刺繍が、雪明かりのようにきらめいている。
その時、ドアが軽く叩かれた。
エマが慌てて立ち上がり、ヒストリアの衣の裾を整えてから応対する。
「ヒストリア様、殿下がお迎えにいらっしゃいました」
エマのその言葉でヒストリアが振り返ると、扉の向こうにセオドールが立っていた。
白の礼装に身を包み、銀の刺繍が蝋燭の光を受けて淡く輝く。
「…用意はできたか」
それだけ言うと、セオドールは視線を動かさない。
「はい」
ヒストリアはそっけなく答える。
エマが満足げにうなずき、そっと部屋を下がっていった。
代わりにセオドールが中に入り扉が閉まると、部屋に二人きりの沈黙が落ちる。
セオドールの目が、ふいに彼女の全身をとらえた。
金糸が光を弾く。
彼の青い瞳に、黄色のドレスが映りこんで揺れる。
「…何か、変ですか?これでも一応殿下の言う通りにドレスを着ました」
視線に気づいたヒストリアが思わず口を開く。
セオドールは少しだけ眉を上げ、ゆっくりと歩み寄る。
その足音が、静かに響いた。
「…いい色だ」
「…え?」
「聞いてないのか?お前の瞳に映える色を選んだ」
「…聞きましたが、それは色の話です」
「…他に何かあるか?」
「…もっと、普通に…」
「…普通に、なんだ」
「…もういいです」
ヒストリアがふいっと顔を背ける。
時間をかけて着せてもらったドレスだが、セオドールにはドレスの色しか目に入らなかったようだ。
本当に目の前の男が選んだドレスなのかすら疑問に思った。
その膨れっ面を見たセオドールは、一拍の間を置いてから、小さく息を漏らす。
「綺麗だ」
あまりに真っすぐな声に、ヒストリアは固まった。
「…っ、だから、ドレスがですよね」
「クスッ…いや、お前が」
意地悪そうな微笑でこちらを見るセオドール。
「……」
「ドレスも髪もよく似合ってる」
「……」
「…ほら、行くぞ」
セオドールが扉の方へ向かい、手を差し出す。
ヒストリアはためらいながらも、その手を取った。
氷のように冷たいと思っていた掌は、意外なほど温かかった。
「足元に気をつけろ。裾が長い」
「動きづらいドレスを選んだのは殿下です」
「お前は自由にしておくと何をするかわからないからな」
「…私を何だと思ってます?」
「陛下が舞踏会の前に、お前に会いたいそうだ。挨拶の前に転びたくなければ大人しく歩け。それとも、抱えて歩いてやろうか?」
「…いえ、結構です」
外では、夜の雪が静かに舞い落ちていた。
白銀の城に、まもなく宴の鐘が鳴り響こうとしていた。




