19.宴の準備①
「舞踏会…ですか?」
ヒストリアの声が一段高くなる。
セオドールは、机の上の書簡に視線を落としたまま頷く。
「皇帝陛下が来られる。歓迎の宴だ」
「…その舞踏会に出ろと?」
「そうだ」
「私は出席できません」
「なぜ」
「…ダンスができないので」
ヒストリアがきっぱりと言い切った。
「それに、偽物の花嫁などいなくても立派に宴は成り立つでしょう」
セオドールは、持っていた書類を机に置き、ゆっくりと視線を上げる。
冷たい青の眼差しが、ヒストリアを射貫く。
「出ろ」
その一言に、部屋の空気がわずかに張り詰めた。
しかし、ヒストリアは怯まずに食い下がる。
「今まで、ダンスが上手なご令嬢とばかり踊っておられる殿下はご存知ないかもしれませんが、舞踏とは踊る側だけでなく、踏まれる側の苦労もあるんですよ」
セオドールが眉をひそめる。
「…つまり、俺と踊るのが嫌だと言ってるのか?」
「そうは申しておりません。…ただ、私の足が殿下の足を踏み抜いて、罰を下されるのが嫌だと言っているのです」
その瞬間、セオドールの口元がほんのわずかに動いた。
笑ったのかもしれないが、きっと本人は自覚もないし認めないだろう。
「減らず口も大概にしろ」
「…では、舞踏会のお誘いも大概にしていただけませんか?」
「お前が陛下の宴を欠席すれば、余計な疑念を生む」
「では、殿下が代わりに舞ってはいかがですか?」
「…俺が?」
「えぇ。見応えがありそうなので、皆は疑う余地もなく殿下に釘付けになることでしょう」
短い沈黙。
次に動いたのは、セオドールだった。
低く息をつき、机の端を軽く指で叩く。
「…ならば、条件を出そう」
「条件?」
「舞踏会に出るなら、訓練場の使用を許可してやる」
「…訓練場?」
「体がなまってるんだろ。夜中にこそこそ抜け出されて狼の餌になっても面倒だからな。舞踏会に出るなら、堂々と許可をやる」
ヒストリアは小さく息をついて、微笑を浮かべた。
「…狼の餌?私がお腹の中に入ったら、毛並みを整えられる時にはお気をつけください。殿下に噛みつくかもしれません」
「…安心しろ。暴れても動けないように屈服させてやる」
セオドールの低い声が部屋の中に落ちた瞬間、隅の方にいたエマがびくりと肩を震わせた。
「…あ…、あのっ…、お二人とも…一度落ち着かれてください…」
恐怖のためか声が震え、前掛けの裾をぎゅっと握りしめている。
「私は落ち着いてるわ」
「どこがだ」
二人の間には、まるで火花が散っているようだ。
もはやエマの仲裁は役に立たなかったようだ。
「殿下の仰る"落ち着く"とは、力でねじ伏せ黙らせることでしょうか」
「反抗するならしかたないだろ」
「どちらにしても、舞踏会に女性を誘う態度ではありません」
「…女性?夜中に窓から抜け出して剣を振り回し、昼間は俺を恐れもせずに減らず口を叩いてくる者をそう呼ぶのか?」
「どうせそんな者ですので舞踏会に誘うのはおやめください」
「命知らずで本当に面倒くさい」
エマは、二人の間の空気に圧されて、凍りつきそうだった。
「…ひ、ひぃ…」
その時、扉が控えめにノックされる。
セオドールが短く返事をすると、入ってきたのはカインだった。
「…えぇ…っと、殿下?外は晴れていますが、この部屋から吹雪が出ているようですよ」
「…こいつが悪い」
セオドールがヒストリアに視線をやる。
「侍女が怯えています。舞踏会のお誘いだったのでは?まるで戦でも始めそうな空気なのですが…」
カインはやれやれといった感じで眉をひそめた。
「…戦を始める前に降伏しろと勧告されている気分です」
ヒストリアも一歩も引かない。
「で、戦争に勝利したのはどちらです?」
「「俺だ(私です)」」
二人の声が揃う。
息がぴったりだ。
案外、この二人でダンスをしたらうまくいくのではないかと、カインもエマも心の中で思った。
「…ヒストリア」
セオドールが低く名前を呼ぶ。
「…なんでしょう」
セオドールから名前を呼ばれる事がほとんどないため、さすがのヒストリアも一瞬怯んだ。
「剣で決めよう。お前が勝ったら出席しなくていい」
エマが「ひっ…」と小さく悲鳴をあげ、カインは「…殿下、またそうやって…」と、ため息をついている。
しかし、セオドールは止まらなかった。
「俺が勝てば、素直に舞踏会に出ろ」
「…卑怯です」
「卑怯?…違うな。これは妥協だ。それにこれだけ言葉で盾突いておいて、今さら男だ女だというわけじゃないだろうな」
「魔法です」
「魔法だと?」
「私は魔法士との戦いには慣れていません」
「魔法は使わない」
ヒストリアはほんの一瞬考えた。
悔しいほど正論で、悔しいほど挑発的。
「…いいでしょう。勝負します」
きっぱりと頷いた。
「負けたら俺の言うとおりにしてもらうからな」
「勝ったら舞踏会には出ません。…あと、訓練場の使用許可もお願いします」
「いいだろう」
エマが泣きそうな声で叫ぶ。
「ヒストリア様…っ、おやめください…!」
カインは苦笑いしてた。
「殿下、こんな舞踏会の誘い方あります?」
「黙れ」
「…はいはい、黙りますよ。――で、場所はどうされますか?ここではやめてください。後片付けが大変なので」
セオドールが振り向きもせずに言った。
「闘技場でいいだろう」
「承知しました」
ヒストリアの赤い瞳がキラリと光る。
その表情には、怯えも迷いもなかった。
「…殿下」
ヒストリアとエマが部屋から出たあと、セオドールと二人きりになったところでカインが切り出す。
「あまり締め付けすぎると、あの姫は反発するばかりですよ」
「わかってる」
「ならもう少し言い方を…」
「必要ない」
―――もう、放っておこう。
カインがそう思った瞬間だった。




