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18.氷花の庭で



夜明けの光が、ノルディアの大地にゆっくり登る。

氷壁に反射して大公城の回廊を銀色に染めていた。


その朝、ヒストリアは侍女のエマに誘われて“氷花庭園(ひょうかていえん)”へ来ていた。


氷花(ひょうか)は、魔力を帯びた雪の結晶花で、滅多に咲くことがない奇跡の花といわれている。

雪がないと咲かないが、一度咲いてしまえば枯れることはない。

しかし、触れば砕け散ってしまう。

また、放っておくと、花も蕾も凍り付いて霜によって砕けてしまうため、城にいる魔法士たちが定期的に氷結防止の魔法を張かけ直し、庭園を守っている。


雪の結晶というだけあって、庭園には雪が舞い、その中に咲く透明な花———氷花が淡く光り輝いていた。


「…これが…、氷花…」

触れれば溶けてしまいそうな花弁を見つめ、ヒストリアは息を呑む。

心まで閉じ込められてしまいそうな、美しくも儚い光だった。


今日はちょうど氷結魔法をかける日だったため、エマがヒストリアを庭園へ誘ったのだ。


ふと、奥の方に影が見えた。

庭園の雪に溶け込んでしまいそうな、銀色の髪、白いロングコートを着たセオドールだ。

氷花の前にただ立っている。


冷たい雪の中で背筋を伸ばし、動かないその姿に、なぜか胸がざわめいた。



声をかけようか迷っていると、セオドールがゆっくりと振り向いた。

鋭い刃のような青い瞳が、まっすぐヒストリアを射貫く。



「こんな場所で何を?」


「氷花庭園を見学に参りました」

ヒストリアが一礼する。



「ここには来るな」


「なぜですか?」


「長くいると凍りそうだからだ」

そう言うとセオドールはコートを脱いで、ためらいもなくヒストリアの肩にかけた。


冷たい風が和らぐ。


そうして彼は視線を花々に戻した。



沈黙が落ちる。

雪が二人の間に静かな壁を作っているようだった。



少しして、ヒストリアが沈黙を破る。

「…ほんとに氷でできてるみたいに見えますね」


赤い瞳が、光を閉じ込めた花弁に吸い寄せられる。


その光に触れようと手を伸ばした瞬間、

セオドールの手が彼女の手首を掴んだ。


「触れるな」


低く響く声に、ヒストリアの肩がびくりと震える。

その声色は、怒りというより警告のようだった。


「壊れる」


「ぇ…?」



淡々とした声。

けれど、その奥にわずかな懐かしさが滲んでいる。


セオドールの横顔を見つめれば、まるで誰かを思い出しているような繊細な陰が落ちていた。



「…どなたかに贈られたことが?」


問いかけた瞬間、手首を掴んでいたセオドールの手にほんの少し力がこもる。


「…昔の話だ」


短く、乾いた答え。

それだけ告げると、彼はヒストリアの手を離し、花からも視線を外した。



贈った相手―――

それはきっと彼が愛していた人なんだろう。

思い出を壊されたくないから、触るなと仰った。


ヒストリアはそう思った。



*******

部屋に戻ると、庭園の冷たさがまだ頬に残っていた。

ヒストリアは暖炉の前の椅子に腰掛け、肩にかけられたコートの端をぎゅっと握りしめる。


すぐにエマが温かい紅茶とミルクを用意してくれた。


「お体、冷えていませんか?」


「大丈夫、ありがとう。エマも外にいたから冷えてるのは同じでしょう?よかったら一緒にお茶にしない?」


ヒストリアが椅子に座り、エマにも座るように促す。


エマが、ヒストリアという名前で呼んでくれるようになったとき、本当はエマと同じ十八歳だということも打ち明けていた。

フェルバールの姫などではないし、気軽に接してほしいと。


最初、エマは“花嫁様”にそんな失礼なことはできないと、主人と侍女の距離感を保っていた。


しかし、ヒストリアに対する丁寧な態度は変えないものの、最近では同じテーブルについてお茶を飲んでくれたり、話し相手になってくれたりもする。


ヒストリアはそれが嬉しかった。



二人で、砂糖をたっぷり入れた温かいミルクティーを飲む。


「…そういえば、庭園に殿下がいらっしゃったのには驚きました」


「そうなの?」


「はい。以前は殿下が自ら魔法を施してお手入れされていた時期もあったようですが、最近では滅多に庭園に近づかれません。…何をしておいでだったのでしょう」


「…ただ、花を見ていたようだけど。…以前誰かに贈られたようなことも言ってた」


エマはしばらく口を(つぐ)んだまま、躊躇うように息を呑む。


「…殿下が、()()()に氷花を贈られたという話は…確かに、聞いたことがございます」


ヒストリアの心臓が小さく跳ねた。

ある方―――

その言葉が胸に残る。


「やっぱり」


「ですが…、」

エマが言葉を選ぶように続けた。

「もう何年も前の話です。まだ殿下が大公様となられて間もない頃、ご婚約されていたお相手がいらしたそうで」


「…殿下って何歳の時に大公位をいただいたの?」


「…たしか、十三歳の時だとお聞きしました」


(…殿下は今二十三歳だから十年前。…その頃からあんなしかめっ面の子どもだったのかしら)


ヒストリアの指が紅茶のカップの縁を滑る。


「正式発表はなかったようですが、帝国では殿下から氷花を贈られたその方が婚約者様だと噂されていたそうです」


―――婚約者様?

…花嫁じゃないんだ。


ヒストリアは不思議に思う。


「けれど、そのご婚約は、ほどなくして解消されたとか」



貴重な花まで贈ったのに婚約を解消するなんて、何かあったのだろうか。


「…殿下にも想い人がいたのね」


エマは慌てて頭を下げた。

「申し訳ありませんっ…、私などが軽々しく…」


「いいの、エマ。私が聞いたんだし」


「ですが、ヒストリア様は花嫁様ですのに…っ」

心配そうに唇を噛んでいる。


「…花嫁って言っても婚姻を結ぶわけじゃないし、私は平民で、所詮属国の人質にかわりないから」


「そんな…っ!」


言葉を落としながら、ヒストリアは自分の胸の鼓動に気付いた。

痛いほどに速く打っている。

なのに、その意味がわからない。


部屋の中には、暖炉の火がパチリと弾ける音だけが響いていた。




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