1.偽りの姫
―――カンッ…!
弾かれた木剣が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
朝の光が差すフェルバール王国の城内にある騎士団の訓練場。
若手の騎士たちが木剣を手に汗を流している。
「…はぁ…っ、…やっぱりリアには何度やっても勝てねぇ…!」
落ちている木剣の側に座り込んだ騎士、ラウルが、息を切らしながらそう漏らした。
黒に近い茶色の髪からは汗がぽたぽたと垂れている。
「私とは体格が違うんだから、もっとその体躯を生かした戦法にしなきゃ」
一方のヒストリアは全く息が上がっていない様子で、そんな彼女を周りの騎士たちが親しみと尊敬の眼差しで見ている。
「…じゃあ―――」
座っていたラウルが木剣を素早く拾い上げると、ヒストリアに向けて突きを繰り出した。
すかさずその太刀を交わしたヒストリアは、再び木剣を弾き飛ばす。
膝立ちになったラウルに手を差し伸べると、彼も手を伸ばした。
「…参った」
握手をする形ですくっと立ち上がる。
「ありゃ敵わねぇや。剣の実力だけなら団長クラスなんじゃねぇか?」
「リア団長ー!」
周囲の仲間もそんな言葉と共に笑い声をあげ、訓練場の雰囲気が和む。
「――ヒストリア・グレイス」
穏やかな空気を切り裂いたのは、初老の男。
声の主は、訓練場の入り口に立っていた。
「王様と王妃様がお呼びだ。すぐに支度してお伺いしなさい」
心臓が跳ねる。
一体何の用だろう?
剣を片付け、身支度を整えてから王座の間へ向かう時でさえ、この呼び出しの真意がわからない。
重厚な扉の前で立ち止まり、なぜこんなところに呼ばれているのかわからず扉を見つめていると、ほどなくして中に入るように促された。
「ヒストリア・グレイス、よく来た」
王と王妃はすでに座している。
ヒストリアは膝をつき、頭を下げた。
数年振りに聞く王の声。
王――、つまりヒストリアの父親にあたるわけだが、会ったことなど数回しかない。
ましてや、決してこんな風に親しげに呼ばれる間柄ではない。
「…騎士団長並みの剣を振るうと聞いたからどんな野蛮な子かと思っていたけれど、思ったよりもおとなしいのね」
今度は王妃の声がしたが、頭を下げているヒストリアに二人の表情は読み取れない。
ただただ心がざわめく。
ここで一体何を言われるのか、全く予想がつかなかった。
「面をあげなさい」
王妃の言葉に従い、膝をついたままま玉座を見上げる形でゆっくり視線を上げる。
「…その目」
ヒストリアの目はフェルバールでは珍しい赤色をしていた。
異民族であるの母譲りのものだ。
顔を上げたことで、憎悪のこもった王妃の表情をうかがい知ることができ、ヒストリアは心の中で確信する。
―――何かよくない話をされる
自身の膝に置いていた拳をギュッと握りしめた。
「まぁ、そう固くなるな。家族じゃないか」
王のその言葉に、ヒストリアは動揺する。
―――家族…?
目の前の男は何を言っているんだろう?
確かに血は繋がっているが、この男が自分や母に家族らしいことをしたことなんてあっただろうか。
それどころか、病気になった母の治療費すら出さずにこいつは―――ッ…
「お前を、我がフェルバール王国の王女として大公国に贈ることになった」
「…は…?」
今、なんと…?
突拍子もない王の言葉に思わず声が出てしまった。
「驚くことじゃないわ。先の戦争で大公国に大敗したのはお前たち騎士のせいでしょう?属国になった我が国が大公国に姫を差し出すのは国を守る手段。だから第二王女のお前が行くのは当然のことよ」
ヒストリアの目に恐怖と怒りが交錯する。
しかし王はニヤリと笑い、両手を広げる。
「そうだ――お前の母の面倒もこれからは私がみよう。お前が責務を果たせば悪いようにはしない。お前は第一王女として大公国に行くだけでいいんだ」
―――リヴィアナ
この国の王女の名前だ。
たしかヒストリアよりも二つほど歳上で、王と王妃からは文字通り寵愛されたお姫様である。
大公国といえば、氷と魔法が支配する国だ。
アストレイア帝国との結び付きが強く、帝国の北部に位置する大公国は氷雪に閉ざされた厳しい地であった。
それと同時に、魔物や蛮族の多い北方の最前線を守る防衛国でもある。
大公国の氷原には、魔力を増幅させる希少な鉱物が眠っている。
この鉱物は魔法師たちの命ともいえるエネルギーの源で、魔法国家である大公国にとっては心臓というべき資源であった。
しかし数年前、フェルバール王国が帝国の悪徳商人と手を組み、大公領から鉱物を密輸していた。
それを知った大公国が激怒し、戦争へと発展したわけだ。
勝ち目がないと悟ったフェルバールは、和睦と忠誠の証として贈り物の花嫁―――
簡単にいうと人質を用意することにしたのである。
「なに、大公国だって一国の王女を悪いようにはしないだろう。だがもし、お前が逆らうと言うなら―――」
王の瞳が鋭くなった。
「たしか、所属しているのは第三騎士団だったな―――、あれを全員処刑する」
「…!?」
ヒストリアは握った拳が震えるのを感じていた。
”贈り物の花嫁”の話は聞いたことがある。
強大な力を持つ大公国に人質の姫を贈るもので、敗戦国が自国を守るために行う風習のひとつだ。
そして花嫁は二度と生きて祖国には帰れないということも。
花嫁が失態を犯せば処刑され、祖国が反乱を起こせば人質同然の花嫁がどうなるかなど火を見るよりも明らかだろう。
騎士になると誓った日から、死を恐れているわけではない。
しかし、母や仲間の死は別だ。
こんな脅しを使ってくる人間に、心底怒りが込みあげてくる。
「…わかり…ました」
なんとか言葉を絞り出し、頭を深く下げる。
「よろしい。出立は1週間後です。すぐに準備を始めなさい」
冷笑を浮かべる王妃の一言で、両脇を侍女に抱えられながら玉座の間から引きずられるように連れ出された。
「…待っ…て、…母と話を―――ッ…」
ヒストリアの声に耳を傾ける者は誰一人としていなかった。




