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15.氷竜の夜



テラスでの言い争いからさらに数日が経った頃、ヒストリアを取り巻く環境に二つ変化があった。


一つは、塔で生活しなくなったこと。

倒れて以来、ヒストリアの居所は東翼(とうよく)の一室になっていた。


それからもう一つは、城の中をある程度自由に歩けるようになったことだ。


本城以外にも、庭園や湖など、夜間に門が閉まる前までなら自由にしてよいとセオドールの許可が降りた。



この日の夜、ヒストリアは誰にも気付かれないように部屋を抜け出し、ある場所に向かう。


きっかけは、昼間にノエルがぽろりとこぼした言葉だった。



“―――祭事の時しか使わない闘技場があるんです。今は閉鎖中で誰も近寄りませんよ―――”



もう、何日も剣を握っていない。


塔での生活の時は、食事を運んでくれるノエルと剣の稽古をすることができた。

しかし、多くが暮らす城の中では流石に人の目があるし、いくら自由に行動できると言っても“兵士に混ざって剣の訓練をしたい”とは言えない。


元々フェルバールの騎士であるヒストリアは、剣が得意だった。

同期の騎士たちの間でも、女であるヒストリアが同等の扱いをされてきたのは剣の腕があったからである。


けれど、こうも長い間満足に剣を触っていないと、腕と共に心まで錆びてしまいそうな気がした。


ノエルが言っていた闘技場は普段は使われない場所というだけあって、白く凍りついたまま月明かりに晒されていた。


(なんて綺麗なところ…)


この城は帝国より北にあり、本来であれば豪雪地帯のはずだが、城の敷地内は魔法士の力で雪が下まで落ちてこない。

外に出るとひんやりはしているが、そこまで寒いわけでもなかった。


しかし、この闘技場は敷地の外側にあるのか、かぶっていた外套を脱ぐと冷気が頬を撫でて少し寒く感じられた。


ノエルに頼んで用意してもらった木剣を握る。

――ただ、体を動かしたかった。



服装は動きやすい、踵の低い靴と寝間着にするような柔らかいワンピースを選んだ、騎士のブーツや隊服のようにはいかないが、それでも久々に自由に剣を振るヒストリアは、生き生きとしていた。




「…何をしている」

しばらくしてその声が響いた瞬間、背筋が強張った。


声のした方向には、黒い外套を纏ったセオドールが立っている。


月明かりしかないこの場所でも、その双瞼(そうぼう)は氷のような光を放つ。



「…失礼しました。眠れず、少し身体を動かしていたのです」


「フェルバールでは眠れない夜には剣を振り回すという変わった習慣でもあるのか?」


「…そうではありませんが、適度に身体を動かすとよく眠れるのは確かです」


ヒストリアの声は静かだった。

けれど、その目に宿る赤い光が、セオドールをわずかに惹き付ける。


カインの調べた情報によると、彼女はフェルバール王の私生児で、血筋としては王の次女にあたるが、なぜか平民として騎士団にいたらしい。


最初は剣術の真似事程度の腕だと思っていたが、先程から木剣を振る様子を見ていると、無駄がなく実践的な動きをしている。



―――試してみるか。



「構えろ」

「え?」


セオドールが右手を持ち上げると、青白い光が集中し、みるみる剣の形を作っていく。


次の瞬間、拒む暇もなく氷の剣が打ち込まれた。

反射的に木剣で受け止めるが、強い衝撃が腕に伝わる。

何度か剣を打ち合うたびに、息が交錯した。



ヒストリアの剣筋は軽やかで、力では敵わないことがわかっているのか、うまく衝撃を受け流している。

いわば()()()()の剣だ。

対するセオドールは力で押し通す()()()()の剣。


ぶつかるたび、二人の違う生き方が交錯するようだった。



「この城で剣を振るう花嫁は初めて見た」


「私は、この城に嫁ぐ予定ではありませんでしたので」


「なかなか言うな」


「殿下ほどではありません」


互いの声に静かな火花が散る。

その言葉の鋭さに、セオドールの口の端がわずかに上がる。


自覚した瞬間、彼の表情が固まる。

(…笑った?この俺が…?)


この前も、目の前の女に“表情を動かす筋肉”がどうのと言われたが、最近無意識に口角が上がることが増えた気がする。


その考えが浮かんだ途端、眉間に皺を寄せる。

慌てて攻撃をやめ、顔を背けるが、ヒストリアはもう見逃してはいなかった。


「…また笑いました?」

「笑ってない」

「いえ、確かに笑いました」

「錯覚だろ」


ヒストリアが小さく唇を噛む。

それは恐れや悔しさなどではなく、笑いを堪える仕草だった。


セオドールは息を吐き、剣先を下げた。

同時に氷の剣は消えてなくなる。


「…そろそろ戻るぞ」


「そういえば門が…」

もうとっくに閉まっている時間だ。


「部屋まで連れていく」

その言葉に、ヒストリアは安堵した。

城主が一緒にいれば、閉まっている門でも簡単に開けてもらえるはずだ。



―――ありがとうございます。

そうお礼を言おうとした瞬間、後ろから何かを低く詠唱する声が聞こえ、振り向いた時には空中に浮かび上がる魔方陣の中からたくさんの氷の結晶が宙に舞っていた。


それらの光が集って渦を巻き、あっという間に巨大な竜の形を成す。

透き通った氷の竜の体には青白い光が流れ、まるで息をしているかのように白い冷気を吐いた。


その姿を見て、ヒストリアが呆然と立ち尽くしている。


「乗れ。窓まで運ばせる」


乗れと言われても、こんな大きな竜に乗っても大丈夫なんだろうか。


ヒストリアの国―――フェルバールでは、魔法はあまり一般的ではない。

神殿にいる者たちが魔鉱石を使い魔力を増強させたうえで簡単な治癒魔法を使うと聞いたことがあるが、セオドールのように剣を作り出したり巨大な竜を出現させる者などいない。



「…まさか、怖いのか?」


「…初めて見たので、怖いのは当たり前です」


「ははっ…、俺には減らず口を叩くくせに、こんな竜が怖いとは」


セオドールが愉しそうに笑う。

今度は錯覚などではない。


「安心しろ。氷と風は俺の従僕だ」

そう言うと、巨大な竜が体制を低くする。

その姿はまるで頭を下げているかのようだった。


セオドールが一歩近づき、ヒストリアの肩に手を添える。


「…殿下?」


セオドールは無言のまま彼女を持ち上げると、軽々と竜の上に乗せた。


「……!?」


「…暴れたら落ちるぞ」


「…お…脅しですか?」


「いや、警告だ。誰かを乗せるのには慣れてない」


軽口を交わす二人を背に、氷竜が静かに舞い上がる。


氷でできてるから冷たいのかと思ったら 竜の背中は不思議と冷たくも痛くもなかった。


城壁を越え、塔も遥か下に見える夜空の中を、月の光を浴びた白銀の翼が舞う。


ヒストリアの髪が風に揺れ、セオドールはその横顔をちらりと見上げた。


(…俺はなぜ、こんなことをしている)

自分でもわからないまま、ただぼんやりと見つめる。


ほどなくして、竜が城の東側、彼女の部屋の窓辺に着き、ヒストリアがテラスに降りた。

外套の裾を直し、微かに微笑む。


「ありがとうございました」


「…次は昼にやれ。手間がかからない」


「…はい、そういたします」



彼女が部屋に入るのを見届けてそのまま下に着地すると、セオドールは竜の背から飛び下りた。

それから、指の一振りで氷の竜を一瞬で溶かす。


青い光は空気に溶けて、辺りには再び静寂が―――


その場にしばらく立ち尽くしていたセオドールは、自分の手を見つめていた。



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