14.氷の綻び
ノルディア城に薄暮の光が差し込む頃―――、
エマとノエルに言われて、一日中寝台の上から起き上がることを許されなかったヒストリアは、部屋に一人になった隙に、ようやく歩いてテラスまで出てみることにした。
城の上空には雪が降っているようだが、城の周りにまるで透明な膜でもかかっているかのように一切雪が積もる様子はない。
空を見上げると、遥か上の方では、氷が反射して輝いているように見えた。
幻想的な城―――
これが魔法で作られていると思うと、魔法を使えないヒストリアにはどういう構造になっているのかさっぱりわからない。
「起き上がっていて大丈夫なのか」
部屋の中からそんな声がして振り向けば、そこにはセオドールが立っていた。
「…まだ顔色が悪いように見える」
そんな風に言うと、セオドールがテラスに静かに足を踏み入れる。
「…昨日は、ご迷惑をおかけしました」
礼を失しない距離で、ヒストリアが頭を下げる。
「酒が飲めなかったとはな。…なぜ無理に飲んだ?」
冷ややかな威圧が、場の空気を変えていた。
「お心に沿うように努めたつもりです。リヴィアナがワインが好きだと知らなかったので」
「…愚かな真似だな」
「…では、どうすればよかったのですか?飲まなければ“嘘つき”と断じられたでしょう?その場で殺されそうな空気でした」
ヒストリアの声には、怒りというより諦めが滲んでいた。
「お前のことは簡単には殺さない」
「…なぜですか?」
「俺に真正面から言い返してくるお前に興味がわいた」
「…偽物なのに?」
「リヴィアナではないというだけだろ。ヒストリアは本物だ」
「…ヒストリアという名も偽物かもしれませんよ」
ヒストリアの言葉に、セオドールの眉がぴくりと動く。
「口が減らないな。…あの状況で、偽名を言う馬鹿はそうそういないと思うが」
「紛らわしい言葉なので、目が覚めた時この世にいないのではないかと思いました」
「紛らわしい言葉?俺がか?」
「“楽にしてやる”と仰いました。普通、殺す相手に使う言葉です」
「俺はお前と違って嘘はつかない。…本当に楽になっただろ?」
お互いに目を逸らさず、淡々と会話が続く。
青と赤の瞳、それはまるで氷と炎のようだった。
「…それでも、他に何か言い方があったはずです」
「…お前、誰を相手に物を言ってるかわかっているのか?」
「もちろん―――、セオドール・ヴァル=ノルディア大公殿下です。それに、先程殿下は簡単には殺さないと仰いましたので」
セオドールは短く息を吐き、一瞬呆れたように目を伏せた。
「お前の度胸は一体どこから来るんだ」
「そんなもの、ありません。ここへ来るときも来てからも、いつ嘘が露見しまうのではと毎日不安でした」
「女とは思えない」
一瞬、セオドールの口元が僅かに動く。
ヒストリアはその変化を見逃さず、首をかしげた。
「…今、笑いました?」
「笑ってない」
「ほんの少し、笑いましたよね?」
「…気のせいだろ」
目を逸らし、咳払いをするセオドール。
ヒストリアの唇には、皮肉とも安堵ともつかぬ微笑が浮かんだ。
「殿下に、表情を動かす筋肉があったようで安心しました」
「…今度こそ、お前の望んでいる通りの意味で楽にしてやろうか?」
テラスでの会話は鋭いがどこか軽妙で、控えの間でそれを聞いていたカインは大笑いし、エマは顔面蒼白になっていた。
しかし、当人たちは知る由もない…。




