101.覚醒
セオドールの意識が、現実へと引き戻されたのは、胸の奥を引き裂くような痛みが走った瞬間だった。
「…っ…、」
息を吸おうとしても、空気が肺に入ってこない。
氷に沈んでいた魔力が、逆流するように暴れ、鎖が軋む音が小屋の中に響いた。
「殿下!」
カインの声が、遠くで聞こえる。
マックスの火炎魔法が、反射的に床へ流し込まれ、凍りつこうとする空気を必死に押し返しているのがわかった。
だが、そんなことはどうでもよかった。
視界の端に、倒れ伏した小さな影が映った瞬間、セオドールの中で、何かが完全に切れた。
「…ヒストリア…ッ、」
鎖を引き千切る。
その瞬間、思い切り肺に空気が入るのがわかった。
床に横たわるヒストリアは、ぴくりとも動かない。
青白い顔色。
わずかに上下する胸の動きが、今にも止まりそうで、慌てて抱き上げる。
「ヒストリア…」
冷たい。
あまりにも、冷たい。
「やめろ、戻れ…!」
声が、震えた。
「他人の精神に入るなんて…、誰が、そんな無茶をしろと言った…!」
喉が焼けるように痛む。
叫びながらも、理解していた。
自分のせいだ。
自分が、制御できない魔力を持っていたから。
自分が、壊れかけたまま立ち続けていたから。
「…一緒にいるって、言っただろ…」
声が、掠れる。
「…離れないと、約束しただろ…!!」
感情が魔力に直結し、空気が再び凍り始める。
マックスが舌打ちし、火炎を強めたのがわかった。
だが、それすら、もうどうでもよかった。
「ヒストリア…!!!」
必死に、名を呼ぶ。
「目を開けろ…、頼むから…」
その時だった。
ほんの、わずかな動き。
セオドールの手に触れている、ヒストリアの身体が微かに動いた。
「…ッ…」
「…セオドール、様…」
ひどく掠れた声。
けれど、確かに、彼女の声だった。
「…っ!」
息を呑む音が、誰のものかわからないほど重なった。
ヒストリアが、ゆっくりと目を開く。
焦点の合わない瞳が、少しずつ現実を映し、やがて、セオドールを捉えた。
「…名前…、」
微かに笑って、彼女は言った。
「…呼ぶって、約束したので、呼んでみました…」
その笑顔は、あまりにも穏やかで、まるで、ただ眠りから覚めただけのようだった。
「…っ、ヒストリア…!」
言葉にならない声が漏れる。
「…馬鹿か…ッ、」
怒鳴りたいのに、喉が震えて、声が崩れた。
「…死ぬところだったんだぞ…!」
ヒストリアは、少し困ったように目を伏せる。
「…怖かったです」
正直な声だった。
「…でも、」
ゆっくりと、彼を見上げる。
「…あのまま、殿下が壊れてしまう方が、もっと、怖かったんです」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「…だから…、そんな泣きそうな顔しないでください」
「…もう、勝手なことはするな……」
セオドールは、震える声で言った。
「…俺のせいで、お前が…、」
「…違います」
きっぱりと、遮られる。
ヒストリアは、まだ力の入らない手で、彼の指先をぎゅっと握った。
「…私が、選んだんです」
その言葉に、セオドールは何も言えなくなる。
「…セオドール様が、ひとりで戦うと言っても…、」
彼女は、はっきりと告げた。
「…これからも私は一緒に戦います」
ヒストリアは、にっこりと笑う。
胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちた。
制御してきた魔力。
押し込めてきた感情。
すべてが、彼女のその一言で、形を変えていく。
「…ああ、」
セオドールは、低く答えた。
「もう、二度と離さない」
それは、二人がお互いのために、静かに息をしているようだった。




