98.神殿に眠るもの
神殿の回廊は、昼間だというのに薄暗かった。
高い天井から落ちる光は冷たく、磨かれた石床に淡く反射している。
ヒストリアは、ルーカスの背中を追いながら、胸の奥に沈む不安を押さえ込んでいた。
「…ここだ」
ルーカスが立ち止まったのは、神殿の最奥。
外界から隔絶されたような、古い書庫だった。
扉を開けた瞬間、埃と羊皮紙の匂いが混じった空気が流れ出す。
積み上げられた書架の列は、まるで時間そのものを閉じ込めているようだった。
「先代皇帝に滅ぼされた呪術国家か…」
ルーカスが小さく呟くと、ヒストリアは無言で頷いた。
「記録は残っているだろうが、所詮勝者の歴史だからな。隠され、歪められている可能性がある」
彼は迷いなく、奥の書架から一冊の分厚い書を引き抜いた。
革張りの表紙はひび割れ、題字はほとんど判別できない。
その書を机の上に置くと、ルーカスが紙をめくって読み始めた。
「…奴らは、どうやら禁忌をおかしたようだ」
書を開きながら、ルーカスは淡々と語る。
「精神を侵す禁術…」
ページをめくる音が、静寂の中でやけに大きく響く。
「依存させ、感情を歪め、判断力を奪う。時には快楽に似た高揚を与えながら、少しずつ壊していく…薬物みたいなものだったらしい」
ヒストリアの指先が、わずかに震えた。
「帝国にも流れ込んだと書いてある。貴族、軍、神官にまで」
ルーカスは目を細める。
「呪術を受けた者は、やがて自分が壊れていることに気づかなくなる。最後には、精神がおかしくなり死んでいく。…皇帝が、滅ぼした理由は、」
ルーカスは、ぴたりとページを閉じた。
「帝国転覆を狙った…。しかも、皇帝の身内にまで呪術をかけようとしたようだ」
沈黙が落ちる。
「だから、国ごと消された。記録も、人も、名前もな」
ヒストリアは、胸の奥が冷えていくのを感じていた。
「…殿下は…」
「ここに書かれているような類の術だとすると、精神崩壊の危険がある」
その言葉は、あまりに静かで、残酷だった。
「この呪いは、魔力を暴走させるんじゃない。制御する意志を削り取るんだ」
ルーカスは、視線を落とす。
「これは俺の仮説だが、解呪には、被呪者の精神に触れる必要がある。だが、他人がそれに触れれば、一歩間違えれると完全に壊れる可能性がある」
ヒストリアは、ぎゅっと拳を握った。
「…それなら…」
「いや、行くな」
即座に、ルーカスは言った。
「お前には見せたくない。もし失敗すれば、目の前であいつが壊れることになるんたぞ」
「それでもです」
ヒストリアは、顔を上げた。
「夢で見たんです。殿下が…、壊れてしまうところを…っ、あんなの…、絶対に嫌です」
ルーカスは、しばらく黙っていた。
そして、ふっと息を吐くと、懐から小さな水晶を取り出した。
「…ひとつだけ、確認したい」
ヒストリアの手に、水晶を乗せる。
それは、ごく淡く、温度のない光を放った。
「これは?」
「俺が作ったアーティファクトだ。神力を測定することができる」
水晶は、かすかに、だが確かに光っている。
「…強くはない。だが、」
ルーカスは、驚いたように笑った。
「神殿に入りたての神官見習いくらいの神力はあるな」
「…私に、ですか?」
「そりゃそうだ」
肩をすくめる。
「お前は俺の曾孫だ。神力が遺伝していても不思議じゃない」
ヒストリアは、呆然と水晶を見つめた。
「これなら…」
ルーカスは、真剣な目でヒストリアを見る。
「精神に入ることはできるかもしれない」
それは、希望であり、同時に最も危険な選択肢だった。




