第17話 社畜、陰陽術の修業をする パート2
昼の市を抜け、川風の吹く方へ歩く。やがて視界が開け、昨日と同じ河原が広がった。陽はやや傾き、川面は黄金色を帯びてきている。
「遅かったじゃない」
大きな石の上に腰掛け、美弦がこちらを見た。足元には符袋と筆、それに墨壺が並んでいる。
「飯は武士の燃料だって言うだろ」
「その腹の燃料、半分は団子だったんじゃない?」
軽く笑いながら立ち上がり、袴の裾を払う。
玉藻は昨日と同じく、川原の平らな石の上にぴょこんと座る。二本の尾をゆらりと揺らし、まるで「今日も監督するぞ」と言わんばかりだ。
「若、拙者はここで見物つかまつります」
兵衛は川の縁に立ち、大太刀の柄に手をかけたまま、静かにこちらを見ている。余計な口を出す気はないが、面白いことがあればきっと茶化すに違いない。
美弦は腰の符袋から一枚の紙を取り出す。
「じゃあ、まずは昨日の復習。……昨日よりマシになってるか、見せてもらうわ」
俺は懐から、昨夜こっそり書いた符を取り出した。墨の線はまだ揺らいでいるが、昨日よりはずっと形が締まっているはずだ。
「……ふーん」
美弦の目がわずかに細くなる。
「まあ、昨日の落書きよりは護符らしくなったわね」
「もっと素直に褒めるって選択肢はないのか」
「師匠は弟子を甘やかさないの」
その横で、玉藻が「きゅ」と鳴き、尻尾をふわりと振った。
美弦は符をひらりと俺の前に放った。
「昨日は形を写すだけ。今日は“起符”よ。書いた符に力を通し、発動させる練習」
「発動……って、昨日の爆ぜたやつか?」
「そう。けど今日はもっと穏やかなやつ。失敗しても川が燃える心配はないわ」
「……逆に怖ぇな」
墨壺と筆が俺の足元に置かれる。
「構えは剣と同じ。筆を立て、迷わず振り下ろす」
美弦が空中で符を振る真似をする。
「力は手先じゃなく、腰から流すの」
なんだか兵衛の剣術指南と同じことを言っている気がする。
「若、これは武も術も同じ道理にございます」
兵衛が遠くから声を掛ける。
「腰が浮けば、斬れず、起きず。これ定めにございます」
「はいはい……」俺は筆を握り、符に向き合った。
一筆目、二筆目……墨の線がわずかに震える。
「呼吸が乱れてる。もっと落ち着いて」美弦が低く言う。
最後の線を引き切ると、符の紙がわずかに温かくなった。
「よし、それを空に掲げて」
言われた通りに掲げると、符の中央がぼうっと淡い光を帯び――
ぱちん。乾いた音とともに火花が散っただけで終わった。
「……爆竹かよ」
「でも発動はした。昨日よりは一歩前進よ」
兵衛がくつくつと笑う。
「若、これなら敵も驚いて一歩は退きましょうな」
「一歩しか退かねえだろ!」
それから何度も書き、掲げ、失敗を繰り返す。符が光るたび、玉藻がぴくりと耳を動かし、時には尻尾でぱしんと符をはたき落とした。
「おい、それ俺の訓練!」
玉藻は無表情で毛づくろいを始める。……お前、絶対わざとだろ。
「玉藻も退屈してるのよ」美弦が笑う。
夕陽が川面を赤く染める頃、ようやく一枚の符が淡い火を吹いた。ふわりと浮かび、川面に小さな波紋を広げて消える。
「……成功だな」
「まあ、合格点はあげる」美弦が頷く。
兵衛は大太刀の柄を軽く叩き、満足げに言った。
「若、次はこれを実戦でどう活かすか――それが肝要にございます」
「じゃあ、その“実戦”に近づけてみましょうか」
美弦が符袋を置き、河原の砂地にしゃがみ込む。指先で円を描き、その周囲に護符を四方へ置いていった。
「次は応用。簡易式の陣を張るわ」
「陣……って、これ結界みたいなもんか?」
「そう。だけど本格的なのじゃなくて、護りの練習用。逃げ場のない戦場じゃ役立つわよ」
四方の符が風に揺れ、墨の文字がかすかに光を帯びる。
「ここに立って、気を巡らせて」
美弦が俺を円の中心へ導く。
「……この四枚を結ぶように。糸を張るイメージで」
目を閉じ、息を整える。護符から護符へと、気を巡らせようと意識するが――すぐに息が乱れ、結界がぶるりと震えた。符の光が弱まり、砂の円も歪む。
「気が漏れてる。間を埋めることに集中して」
美弦の声が飛ぶ。だが、意識をつなげようとすればするほど、どこかから力が抜けていく。
その時、兵衛の低い声が背に届いた。
「若……剣の間合いを保つように、気の流れも張り詰めませ」
「間合いを……張り詰める……」
剣を構えた時のように、腹の底で力をため、円の端まで届かせる。護符の光が、わずかに揃った。
「その調子」美弦の声が柔らかくなる。
再び息を整え、四方の護符へ糸を結ぶように意識を巡らせる。やがて光が安定し、薄い幕のようなものが自分の周りを覆った感覚があった。
「きゅ」
気づけば玉藻が結界の中に入り込み、尻尾をゆらゆらと揺らしている。その尾が光を切るたび、波紋のような揺れが広がった。
「おい、遊ぶな」
「むしろ結界の強度テストになってるわ」美弦が笑う。
やがて護符の光が自然に収まり、砂に描いた円も消えていく。
「……よし、今日はここまで」
美弦が符を拾い上げると、川風がひと吹きして砂をさらっていった。
西の空はすでに朱を通り越し、紫がかかっている。川面には薄い月影が滲み、夜の匂いが近づいていた。
【陰陽術スキルの熟練度が上昇しました】
【筆術スキルの熟練度が上昇しました】
護符をしまい終えると、美弦はふっと空を見上げた。
「……次は、少し強い相手を呼ぶかも」
「強い相手?」思わず聞き返す。
兵衛と顔を見合わせる。
「若、美弦殿の“少し”はあてになりませぬぞ」
「お前もそう思うか……」
苦笑しつつ、ふと思い出す。
「そうだ、美弦。実はな……」
腰の袋から依頼札を取り出し、彼女に見せる。“北堀端の物怪調査”――昨夜の目撃情報つき。
「今日の昼に下見してきた。堀の水辺で怪火が出たって話だ」
「ふぅん、怪火ね」
札を受け取った美弦が、指先で軽く揺らす。
「陰陽寮からの依頼なら、私の出番じゃない」
「そういうことだ。できれば協力してほしい」
「もちろん。……じゃあ、話は早いわね」
美弦が符袋を腰に戻し、きっぱりと言った。
「そろそろ行くわよ。現場は北堀端でしょ?」
「今からか?」
「夜じゃなきゃ出ないでしょ、怪火なんだから」
あっさり返され、俺と兵衛は互いに肩をすくめた。まるで終業チャイム直後に「ちょっと残業お願い」と言われた時の気分だ。
河原を後にし、町へ戻る道すがら、昼間ほどではないが夜市の屋台が立ち始めていた。焼き鳥の串を返す音、醤油だれの焦げる匂い。湯気を上げる甘酒の桶のそばでは、酔った町人たちが笑い合っている。
「若、腹が減っては戦はできませぬ」
兵衛が迷わず焼き鳥の屋台に寄り、三人分の串を受け取った。熱々の肉をかじれば、甘辛いタレが舌の上でとろけ、稽古で空いた腹に沁み渡る。美弦もいつの間にか饅頭を手にしていて、「糖分は集中力を保つのよ」と平然と言う。玉藻は団子屋の前から動かず、尻尾を二本ぴくぴく揺らしている。
腹を満たした俺たちは、ゆるやかに賑わう夜市を抜け、北堀端へと足を向けた。川面はすでに夜色を帯び、遠くで水鳥の影がひとつ滑っていく。西の空の残光が町の屋根をかすかに照らし、石畳の先には静かな水辺が待っている――まるで、そこから何かが呼んでいるかのように。
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