家族仲が良好な場合の婚約組曲
誤字報告ありがとうございます!
読み易さを重視して敢えて「漢字→ひらがな」にしている箇所もありますのでそちらご了承いただければ幸いです。
「ねえ、お父様。オッチャブレ家とはどんな契約を交わしましたの?」
和やかな家族団欒の夕食時。
席に着く前からどこか思い詰めた表情をしていた娘がそう口を開いたものだから、問われた父はもちろん母も目をぱちくりとさせた。
「一体どうしたんだいマナディアンナ。今日はヤチマータ君と婚約後初めてのお茶会だったろう? そこで何か言われたのかい?」
心配を滲ませ柔らかく尋ねてくれる父の姿に、マナディアンナはぎゅっと一度口を引き結ぶ。そしてポツポツと語りはじめたその内容は、彼女の両親を大いに驚愕させ、また憤慨させるに十分だった。
なんでも、婚約者である筈のヤチマータは娘を格下の新興男爵家と侮るだけに飽き足らず、容姿にケチをつけ始終上から目線で些細な所作をネチネチ貶してきたと言うではないか。
両家揃った顔合わせの席ではニコニコ笑みを浮かべて紳士然といった態度で婚約に前向きだったというのに、とんだペテン野郎だった訳である。
「だから私、私が至らなかっただろう事は勿論ですが同時になにかこちらに不利な条件で婚約を結んだからあんな態度を取られたのかしらと悩んでしまって……」
「そんな事はない。それに実質向こうが我々に泣きつく形で持ち掛けてきた話なのだ。財政状況が芳しくないそうでな、他にも縁談があった中であれこれ優遇するからと、だから我々を選んで欲しいと頭を下げてきたのはオッチャブレ家の方だ。だと言うのにただ伝統があるだけの斜陽の伯爵家の息子がそんな奴だったとは……」
「そうよマナディアンナ、貴女も我がナリーキン家も、なにも恥じるものなど無いわ。貴女は私達の自慢の娘よ」
「お父様、お母様……」
うるうると今にも泣き出しそうな娘を安心させる様に「そうだぞマナディアンナ、愛しい我等の宝物。あとは私がなんとかするから安心なさい」とそう父が諭せば、「はい、お父様、お母様。私も、二人が大好きよ」とマナディアンナは漸く笑みを浮かべてくれたのだった。
後日オッチャブレ家との話し合いの末、婚約は解消。資金援助をアテにしていたのに逆に慰謝料を払う羽目になったオッチャブレ家ではヤチマータは厳しく叱責され尚且つ、マナディアンナが低位貴族の親しい友人達に万一にも毒牙に掛からないようにと話した事で、誰が相手だったのか伏せられたままヤチマータの醜聞のみが低位貴族の令嬢を中心に広がりどこに釣書を送っても断られてしまう状態になってしまってよりヤチマータは両親から詰められた。最終的に隣国の未亡人に売られたとかどこかの商家に婿入りしたとか噂になっていたが、マナディアンナにはもう関係ない事である。
「あらマナディアンナ、お帰りなさい。随分と早かったわね、何かトラブルでもあったの……?」
程よい陽気と爽やかな風が吹く行楽日和の昼下がり、新しい婚約者と食事に出掛けた筈の娘が帰宅して彼女の母はどうしたのかと早足で近寄り娘をそっと抱き締めた。
「お母様、それがシス様に急用が出来たとかで予定がキャンセルになってしまって……」
「急用?」
「はい、なんでも異母妹が熱を出したからと」
「? 異母妹が熱を出して何故キャンセルになるの?」
長年仕えてきた侍女が何も言わずともテキパキと談話室の用意を整えてくれたのを娘と並んでソファに座った母は、初めて聞くキャンセル理由に首を傾げた。
「異母妹は昔から病弱らしく、自分が側にいないと寂しがって熱もなかなか治らないんだそうです」
「……その子の母ではダメなの?」
「母も兄も、側にいないとダメだと」
「…………因みにその異母妹は幾つなのかしら」
「今年で十二歳になると仰ってましたわ」
「十二歳? あら、そう……コーンワーオ家は随分と甘やかしてるのね」
今度こそ娘には幸せになってもらいたいとある程度素行調査も行なって残った中から選んだのがコーンワーオ子爵家の次男、シスだった。
「あの家には長男もいたでしょう? 長男もそこに加わるのかしら?」
「いえ、長男は騎士団の仕事が忙しく寄り添ってやりたくとも出来ないから、その分お前が寄り添ってやってくれと言われてるとかで……」
「はあ、全員お花畑ね……」
調査の中には当然、異母妹の記述もあった。前妻が亡くなり男爵家の娘を後妻として迎えており、義母や異母妹を忌避するでもなく受け入れていて家族仲も良好だとあったので、そんな愛情深い男ならば娘を大事にしてくれるかと思いきや、とんだ大誤算である。
「ただこの一回だけではどうにも出来ないわね。マナディアンナ、申し訳ないのだけどあと数回試してみてくれる?」
「わかりました、お母様」
「ああ、マナディアンナ。次こそは貴女を幸せにしてくれる方をと思ったのに……」
「お母様、私なら大丈夫ですわ。それに、こうして私の事を十分に思ってくださる、それがどれだけ得難い事か最近よく噛み締めていますのよ」
お茶会に参加して皆様の話を聞いていると本当にそう思うのと、微笑む娘に母は感極まって瞳がうるうるだ。
「マナディアンナ……私こそこんな素敵な娘に恵まれてとっても幸せだわ」
そうして一頻り抱きしめ合ったあと「それじゃあ折角時間が出来たんですもの、お母様とデートしてくれる?」と親娘仲良く買い物を楽しんで、帰って来た父にもきっちりと報告した。その後、相手方が同じ理由で予定のキャンセルを繰り返した事からコーンワーオ家との婚約は解消され、マナディアンナは今回も友人に共有、シスの婚約もまた難航する事となった。
次の婚約こそ失敗してはならんとナリーキン家一同燃え上がっていた。
素行調査もキッチリしっかり行い、一見優良物件でも平民の恋人を隠れて囲っているクズがいたり、好きな相手にはどうして良いかわからず冷たく当たってしまうコミュニケーション障害持ちがいたり、跡取りには絶対したくない様な令息達を篩に掛けに掛けて掛けまくって、漸く「この男ならば……!」と思える相手を父、母、娘はもちろん、執事、侍女長、料理長、愛犬のキャネーとモチの認可も降りた上で選んだのだった。
そうして婚約後初めて二人で会う運命の日。「なにかあったらすぐ相談してね」と両親に見送られて期待と不安を抱えてショー伯爵家に赴いたマナディアンナであったが、三度目の婚約者は最初からずっと紳士的で物腰も柔らかく、気付けば緊張で固まっていた身体も解けるようにマナディアンナはリラックスし始めていた。
さらにマナディアンナを驚かせたのは──
「……という事が以前ありましてね」
「まあ、その様な方がいらっしゃるのね」
「自分も驚いてしまって、ですがマナディアンナ嬢と話していて安心しました。今までが特殊事例だったのだと」
なんと、新しい婚約者もまた婚約相手で苦労していたと言うのだ。権力を笠に着て見下してくる侯爵令嬢や、高額なものをあれこれ強請ってくる男爵令嬢、托卵を企てる伯爵令嬢などなど、とにかく酷い巡り合わせであったとか。
「クロウ様も大変だったのですね……」
「"も"という事は、マナディアンナ嬢も?」
「はい、私も婚約には苦い思い出ばかりでして」
そうして二人は共通する話題から心の距離をぐっと縮めて、婚約期間も順調に交流を深めていった。互いに互いを思う合うことの出来る、似た苦難を乗り越えてきた者同士、二人の絆はより強く結びつき、マナディアンナは漸く人生の伴侶を見つける事が出来たのだった。
結婚式当日、ナリーキン男爵家一同それはそれはオイオイと感涙に咽び泣いたし、ショー伯爵家一同もそれはそれはさめざめと嬉し涙を流したので、事情を知る列席者達はその様子に苦笑しつつも心温まり、なんとも和やかな式になったんだとか。
めでたしめでたし。
どうでも良い裏話。
クロウ君のお兄ちゃんの名前はアガーリ。