第16話 エルフの里
草原を歩いていると辺りが暗くなってきた。
気温も下がり、少し肌寒くなってきている。
「ローレライさん、今日はここで休みませんか?」
俺はローレライさんに提案した。
朝から歩き通しでローレライさんも疲れているだろう。
「そうですね。では今日はこの辺で野宿にいたしましょう」
するとローレライさんは周りを見回し大きな木をみつけるとそこに歩いていく。
そしてその木に背中を預けるようにして座り込んだ。
俺もそれに倣って木の反対側に腰を下ろす。
お腹がすいたな。
そう思い木を見上げると俺の頭上五メートルほどのところにバナナが沢山なっていた。
この世界に来たばかりの頃を思い出す。
この世界にはバナナが沢山自生しているらしい。
立ち上がりそれを採ろうとジャンプしかけた時、
「クロクロさん、よかったらこれ召し上がりますか?」
ローレライさんが木の陰から顔を出した。
ローレライさんは手にゴルフボール大の巨峰のようなものを持っていた。
「なんですか、それ?」
「これはガジュの実といって私たちエルフが遠出をする時などに持ち歩く食べ物です。これを一つ食べると丸一日は何も食べなくても済むのですよ」
「へー、それは便利ですね」
「よかったらどうぞ。まだありますから」
「ありがとうございます」
俺はローレライさんからガジュの実とやらを受け取るとそのまま口に運ぶ。
「あっ、皮は食べないでくださいね」
ローレライさんが言うので俺は口の中で器用に皮をむいて皮だけを取り出した。
「うん、美味しいです」
「よかったです。では私も」
言ってガジュの実の皮を丁寧にむくとそれを半分かじるローレライさん。
白くて細長い綺麗な指に思わず見惚れそうになる。
「エルフ族ってこんな特別な果実を作ってるんですね」
「他にもセントウという果実も栽培していますよ」
「セントウですか?」
「はい、それを食べるとどんな病気でもたちどころに治すことが出来るのです」
「へー、すごいっ。そんな果実があるんですかっ」
それが本当なら今回の報酬、金貨三枚と銀貨五枚よりもそのセントウとやらの方が欲しいな。
「一年に一回、それも一つの木から一つだけしか採れない貴重なものなのですけれどね」
「例えばですけど、ガジュの実とかセントウとかを売ればそれなりにお金になるんじゃないですか?」
そうすればエルフ族もお金に困ることはないと思うが。
しかし、
「それは駄目なのです」
とローレライさん。
「駄目?」
「はい。今のエルフの里の長は人間をあまりこころよく思っていませんから人間にエルフの里の食べ物を分け与えることを禁止しているのです」
「そうなんですか……でも俺ガジュの実食べちゃいましたけど?」
「そうですね。なので私がクロクロさんにガジュの実を差し上げたことは私たちだけの秘密にしていてくださいね」
言いながらローレライさんは口元に人差し指を持っていき可愛らしく微笑んだ。
大きな木の下で夜を明かした俺たちはエルフの里に向け再び歩き出す。
時折り出遭う魔物を返り討ちにしつつ草原の中の街道を突き進んでいると後ろから馬車の音が聞こえてきた。
振り返り道を譲ってやると、俺たちを追い越し通り過ぎていった馬車が前の方で急停止する。
なんだろう?
思って見ていると馬車から少女が降りてきた。
よく見るとそれはパリスで、
「クロクロ様ーっ」
手を振りながらこっちに向かって駆けてくる。
パリスはぼふっと俺に飛びついてきた。
俺はさりげなくそれを引きはがすと、
「パリスじゃないかっ。どうしたんだ、こんなところでっ?」
パリスの顔を見下ろす。
「それはこちらのセリフですわっ。クロクロ様こそこんなところで何をやっているんですのっ? というかこの女性は誰なんですのっ?」
矢継ぎ早に質問してくるパリス。
こころなしかローレライさんを見る目に敵意のようなものを感じるのは気のせいだろうか。
「この人はローレライさん、俺の依頼主だよ。今この人の住んでいる場所に向かっているところなんだ」
「ふ~ん、そうなんですの」
とパリスはローレライさんを無遠慮になめ回すように見る。
失礼だからやめろ。
とそこへ、
「いやあ、クロクロさんじゃないですか。お久しぶりです」
パリスの父親でここら一帯の領主でもあるガイバラさんが追いついてきた。
相変わらずの腰の低さで挨拶してくる。
「いえ、こちらこそ」
「お父様、クロクロ様はこちらの女性の依頼を受けて移動している最中なのだそうですわよ」
「そうなのか……クロクロさん、よかったらわたしたちの馬車に一緒に乗っていきませんか? 護衛のために冒険者さんを二人乗せているので決して広くはないのですが」
ガイバラさんがそのような申し出をしてきてくれた。
だが隣を見ると、
「……」
ローレライさんがパリスたちから顔を隠すようにフードを下に引っ張っている。
人間が増えたので警戒しているのかもしれない。
それを受けて俺は、
「すみません、ありがたいお誘いですけどこのローレライさんは馬車に乗ると酔ってしまうので俺たちは徒歩で行きますよ」
それらしい言い訳をして断った。
「そうですか、それならば仕方がないですね」
「残念ですわ。せっかくクロクロ様ともっと一緒にいられると思いましたのに」
「悪いな、パリス」
ガイバラさんがパリスを引き連れ馬車に戻っていく。
パリスは後ろ髪ひかれているようだが渋々ガイバラさんとともに馬車に乗り込んで立ち去っていった。
それを確認してほっとしたように胸をなでおろすローレライさん。
「すみませんでした。さっきの子俺の知り合いなんですけど、ローレライさんのことじろじろと見ちゃって」
「い、いえ。こちらこそ私のせいで気を遣わせてしまってすみませんでした。本当なら馬車に乗っていった方が楽なのですがエルフの里の場所は人間に知られるわけにはいきませんので……」
「別にいいですよ。でも俺も人間ですけどエルフの里に行っても大丈夫なんですか?」
今さらながら訊いてみる。
すると、
「え、えっと……は、はい」
ローレライさんは目を泳がせながら歯切れの悪い答えを返した。
パリスのせいでまだ動揺しているのだろう、俺はそう考えローレライさんのこの返答を特段気に留めることもなくエルフの里へとまた歩き出すのだった。
ロレンスの町を出発してから三日目の昼過ぎのこと、険しい山道を一時間以上かけて上っていると前を歩いていたローレライさんが立ち止まり後ろを振り返る。
そして俺を見て、
「クロクロさん、着きましたよ。ここがエルフの里の入り口です」
手を前に差し向けた。
だが……。
「え? ここって、何もないですけど……?」
ローレライさんが手を向けている先には切り立った断崖しかない。
困惑する俺の表情を見てくすくすと笑うローレライさん。
「あ、すみません。実はエルフの里には結界が張ってあって人間には見えないようになっているのです。クロクロさんにはただの岩山に見えているでしょうけれどこの先がエルフの里なのですよ」
ローレライさんはそう言って俺に手を差し出す。
「私の手を握ってください」
「手を握るんですか?」
「はい」
俺はよくわからないままローレライさんの言う通りにしてみた。
するとローレライさんは俺と手をつないだまま断崖に向かって駆け出した。
ぶつかるっ!
そう思った次の瞬間、ローレライさんと俺は断崖をすり抜けて気付けば広々とした集落の入り口に立っていたのだった。
今起こった出来事と周りの光景に呆気にとられていると、
「クロクロさん、ここが私たちエルフの里です」
俺から手を放したローレライさんがにこっと笑う。
「す、すごい。本当にこんなところにエルフの里があったんですね」
「はい。では早速ですがエルフの里の長のもとへご案内しますね」
言うとローレライさんは軽やかに歩き出した。
ローレライさんが言っていた通りエルフの里は自給自足の生活をしているようで辺り一面田畑が広がっていた。
そこには老若男女様々なエルフがいて俺を物珍しそうに見てくる。
中には敵意をむき出しにして見てくる者や逆に怯えて隠れてしまう者もいたが人間と交流を断っていると聞いていたのでそれは致し方ないことなのかもしれなかった。
しかしこれだけ広い土地で自給自足の生活をしている割には家畜が一頭もいない。
とそこで俺は「あ、そうか」と思い出す。
家畜はすべて竜王という魔物に食べられてしまったのだと。
「……さん、クロクロさん聞いていますか?」
ローレライさんが俺の顔を下から覗き込んでいた。
「あ、すいません。ちょっと考え事をしてたので……」
「ふふっ、そうですか。それよりあの家が里の長の家です」
ローレライさんはそう言って一軒の家を指差す。
その家はログハウス風で周りの家よりもひときわ大きく目立っていた。
「行きましょう」
「はい」
俺はローレライさんとともに里の長の家を訪れるのだった。
「失礼いたします、バーバレラ様。ただいま戻りました」
「お邪魔します」
「おお、よく帰ってきたのうローレライっ。無事だったかい?」
「はい。私は無事です、バーバレラ様」
家に入ると一人の老婆が俺たちを、というかローレライさんを出迎えた。
察するにこのバーバレラという年老いたエルフがこの里の長なのだろう。
「人間にひどいことされなかったかい?」
「大丈夫です、バレないようにちゃんと耳を隠していましたから」
「そうかい、それはよかったよ……それでこの人間が冒険者かい?」
バーバレラさんは俺を見上げ言う。
「はい。こちらはクロクロさんといってとても頼りになる冒険者さんです。今回の依頼もこころよく引き受けてくださいました」
「あ、どうも。はじめまして」
俺が挨拶するとバーバレラさんはじっと俺の目をみつめる。
そして一拍置いてから、
「ふん。よろしくな、クロクロさんとやら」
さっきまでローレライさんに見せていた表情とは打って変わって路傍の小石でも見るかのような顔でつぶやくとバーバレラさんは奥の部屋へと消えていった。
対応の差に多少困惑していると、
「すみません、お気を悪くさせたのなら私が謝ります」
ローレライさんが俺に顔を向ける。
「バーバレラ様は大昔、一人娘のレジーナさんを人間にさらわれてしまった過去があるのです。ですから人間のことをあまりこころよくは思っていないのです。今回の件もやむにやまれず仕方なく人間に頼ることにしたという経緯がありまして……」
「そうだったんですか……」
そういう事情があるならあまり歓迎されていない理由も理解できる。
敵意をむき出しにしていたエルフがいたのもそのせいか。
「あの……今回の依頼ですけれど……」
「大丈夫ですよ。今さら断ったりしませんから」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
不安そうなローレライさんを安心させようと俺は笑顔で返した。
ローレライさんはそれを受けて複雑そうな顔を見せた。
「竜王がまたやってくるのは明日のはずですから明日に備えて今日はもう休まれますか?」
「えーっと、その前にセントウっていう果実を見せてもらってもいいですか?」
俺はこの際だからとローレライさんに願い出てみる。
セントウというのはどんな病気でも治すことが出来るというエルフ族にとってとても貴重な果実らしい。
「セントウですか?」
「はい。駄目ですかね」
「……いえ、構いませんよ。では私についてきてください」
一瞬考え込むそぶりを見せたがローレライさんは俺の願いに応じてくれた。
俺はローレライさんについてバーバレラさんの家をあとにする。
ローレライさんはバーバレラさんの家の裏手に回り込み木々の間を通り抜けていく。
その後ろ姿を眺めながら俺はローレライさんのあとを追った。
しばらく歩いていくと目の前に湖が見えてきた。
そしてその周りを取り囲むように大きな木が十本ほど生えていた。
それらの木を指差して、
「あそこになっているのがセントウです」
ローレライさんが言う。
それを受けローレライさんの指差す方をよく見ると、大きな木に一つだけ桃のような果実がついていた。
周りの木々にも一つずつ同じように果実がついている。
「へー、あの桃みたいなのがセントウなんですか」
「もも? ももってなんですか?」
「あ、いえ、すいません。なんでもないです」
この世界には桃はないようだ。
ローレライさんが不思議そうな顔をしている。
「あれを食べるとどんな病気でも治るんですよね」
「はい。一つの木から一つしか採れないので毎年十個だけしか手に入らないのですけれどね」
「あの、今回の報酬なんですけどお金じゃなくてセントウじゃ駄目ですか?」
俺は思い切って訊ねてみた。
今回の報酬は金貨三枚と銀貨五枚という話だったがどう考えてもセントウの方が価値がある。
それにこの世界では超人の俺でも病気には勝てないらしいのでいざという時に役に立つかもしれない。
するとローレライさんは困った様子で、
「え、えーと、すみませんがそれは私の一存では決めることが出来ません。もし本当に報酬としてセントウをお望みであればバーバレラ様に直接訊ねてみるしか」
言葉を選びつつ口にする。
「そうですか……」
バーバレラさんに直接訊くのか……。
人間嫌いのバーバレラさんが果たして俺の提案に首を縦に振ってくれるだろうか……はなはだ疑問だ。
とその時だった。
カンカンカンカンッ!!
けたたましい鐘の音が里中に響き渡った。
それと同時に、
「竜王が来たぞーっ!!」
と男性の叫び声が上がった。
「えっ、竜王がっ!?」
驚くローレライさん。
「竜王が来るのって明日じゃなかったんですか?」
「そのはずだったのですけれど……と、とにかく戻りましょうっ」
「わかりました」
俺とローレライさんは急いでその場をあとにした。
『エルフのばばあ、家畜はどうした?』
「お、お主がすべて食い尽くしてしまったじゃろうがっ」
『用意出来なかったというわけだな。だったら貴様らを喰らうまでだ』
「な、なんじゃとっ」
里の出入り口に駆けつけると大勢のエルフたちが見守る中、バーバレラさんが大きな魔物と対峙していた。
その魔物は四本足で全身が金色のうろこに覆われた体長七メートルほどのドラゴンだった。
魔物のくせに本当に人語を喋っている。
と、
「バーバレラ様っ」
ローレライさんが声を上げた。
バーバレラさんが振り返る。
「おお、ローレライや」
「もう大丈夫ですよバーバレラ様っ。クロクロさんが竜王を追い払ってくれますからっ」
そう言ってローレライさんはバーバレラさんを安全な場所まで連れていく。
「クロクロさん、よろしくお願いいたしますっ」
「わかりました」
『ん? なんだ貴様は? エルフではないな』
目の前に歩み出た俺を鋭い眼差しで見下ろす竜王。
竜王が言葉を発するたびに大気がびりびりと震えるようだった。
「ああ、俺は人間の冒険者だ。エルフ族に雇われてお前を倒しに来た」
『倒すだと? ぬはははっ、笑わせてくれる。人間ごときがこの竜王に勝てるわけなかろう』
「そんなのやってみないとわからないだろ」
俺が返したその直後――
びゅん!
竜王の長い尻尾が鞭のようにしなり俺をなぎ払った。
俺はふっ飛ばされ近くにあった家の壁に頭から突っ込む。
『ぬはははっ、口ほどにもない奴め。もう死んでしまいおったわ』
「クロクロさんっ!」
ローレライさんの悲痛な声が聞こえた。
「や、やっぱり人間なんかじゃ駄目だったんだ……」
「くそっ、万事休すか……」
「わ、わたしたち食べられちゃうの……」
「おらの家が~……」
エルフたちの声も届いてくる。
誰も俺の心配をしている様子はない。別に構わないが。
「……んよいしょっと」
俺は家の壁から頭を引き抜くと頭についた木片を払う。
『なっ!? き、貴様、死んでいなかったのかっ?』
「クロクロさんっ!」
「大丈夫ですよローレライさん」
「で、でも血がっ……」
ローレライさんが不安そうに俺の顔をみつめるので俺は顔に触れてみた。
すると額から出血していた。
「あ、血だ……」
おそらくこれは壁に突っ込んだ時に出来た傷ではなく竜王の尻尾になぎ払われた時に出来たものだろう。
さすが竜王と名乗っているだけのことはある、これまで戦ってきたどの魔物よりもたしかに強いようだ。
俺は額からの流血を服の袖で拭うと竜王を見据える。
『貴様……ただの人間ではないな』
「さあな。記憶がないから俺にもわからないんだ」
『ふざけたことを。だったらこれならどうだっ』
言った瞬間竜王は大きく口を開いた。
そして口から青色の炎を吐き出した。
「熱っ!」
俺は炎のあまりの熱さにとっさに後ろに飛び退く。
『燃えろ燃えろっ!』
竜王は辺り構わず炎を吐き続けた。
家が次々と炎に飲み込まれ燃え広がっていく。
エルフたちはそれを見て川の水を汲み消火にあたる。
出し惜しみしている場合じゃないか。
俺は一撃で竜王を倒すべく、
「ブースト、レベル4っ!」
と唱えた。
全身の毛が逆立ち力がみなぎってくる。
『なに、ブーストだとっ!? しかもレベル4っ!? そんな高等魔法を貴様のような人間が――』
「くらえ、竜王っ!」
俺は跳び上がると一瞬のうちに竜王の顔の横に移動し、ありったけの力を込めて竜王の横っ面を殴りつけた。
『ぐがぁっ……!!』
俺の一撃により竜王の首が一回転すると、竜王は全身の力が抜けたかようにその巨体を地面に沈めた。
その衝撃で地面が大きく揺れる。
俺はブーストを解除するとローレライさんに向き直った。
「ふぅ~。終わりましたよ、ローレライさん」
「……す、すごい……」
ローレライさんは口を半開きにしている。
そして幸いなことにエルフたちの消火の甲斐あって、里に放たれていた火の勢いはかなり弱まっていたのだった。
「まさかあの魔物をたった一人で倒してしまうとはのう」
竜王が吐いた炎も無事消し終えたエルフたちは俺の周りに集まってきていた。
その中で里の長であるバーバレラさんが口を開いた。
「正直言って人間には期待しておらんかったのじゃが、こんなことがあるとは……」
「だから言ったではないですか、とても頼りになるお方だと」
ローレライさんが言う。
「ありがとうございました、クロクロさん。おかげで私たちエルフはまた安心して暮らしていけます」
「いや、別にいいですよ。そういう約束だったんですから」
頭を下げるローレライさんに俺はそう返した。
「あっ、約束といえば……バーバレラ様。実はクロクロさんが今回の報酬はお金ではなくセントウを譲ってほしいそうなのですがよろしいでしょうか?」
ローレライさんは俺からバーバレラさんに向き直ると先ほど話していたことを伝えてくれる。
「なにっ? セントウが欲しいじゃと?」
「はい。是非お願いします」
俺はバーバレラさんに向かって頭を下げた。
お金より万病に効く果実の方が俺にとっては嬉しい報酬だ。
「ふむ、人間にセントウをとな……ふ~む」
考え込むバーバレラさん。
その様子を見ていた他のエルフたちが、
「バーバレラ様、まさか人間にセントウを譲るのですかっ?」
「人間の手に渡ったら大変なことになりますよっ!」
「そもそもこの場所だって知られてしまったのにっ……」
「それはもう散々話し合っただろうがっ!」
口々に言い合う。
なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。
「あの、別に無理にじゃないので元の約束通り報酬はお金でもいいですよ」
俺は空気を読んでそう発言してみるが、
「いや、いいじゃろう。お主にセントウをくれてやるわい」
「バーバレラ様っ!?」
「本気ですかっ?」
「本当に人間なんかにセントウを渡すのですかっ?」
「クロクロさんは命の恩人じゃ、口を慎まんかっ」
バーバレラさんは周りのエルフたちの声を制してから、俺に「ついてきなされ」と目線をくれた。
「では私もまいります」
「いや、ローレライ。お主はここで皆と待っておれ」
「で、ですが……」
「わかったな」
「……は、はい」
ローレライさんを一瞥しバーバレラさんは歩き出す。
俺は沈んだ顔のローレライさんに「じゃあ、行ってきます」とだけ告げるとバーバレラさんのあとをついて歩いていった。
「さあ、入っとくれ」
「あれ? 湖の方に行くんじゃないんですか?」
バーバレラさんは自分の家に俺を案内すると家の中に入るよううながした。
てっきり家の裏手の奥の方にあるセントウの木にセントウを採りに行くとばかり思っていた俺は思わず訊ねる。
「セントウは夜暗いうちに採らんとすぐに腐ってしまうんじゃ。だからそれまではわしの家でゆっくりしとってくれ」
とバーバレラさん。
「あ、そうなんですか?」
「そうじゃとも。朝や昼に採ったセントウは一日で駄目になってしまうのじゃが、夜に採ったセントウはなぜか百日間は持つのじゃ」
「へー、不思議ですね」
「ほれ、そこに座っておれ。今飲み物でも持ってきてやるからのう」
「あ、すみません」
バーバレラさんは部屋を出ていくとしばらくしてから湯呑みを持って戻ってきた。
「さあ、これでも飲んで休んどくれ」
「あ、ありがとうございます」
俺はバーバレラさんから湯呑みを受け取るとさりげなく中を覗き込んだ。
中身はどうやら温かいお茶のようだ。
「じゃあ、すみません、いただきます」
俺は湯呑みにそっと口をつける。
こくんと一口それを飲んだ。
「!?」
すると途端に強い眠気が襲ってくる。
「どうかしたのかのう、クロクロさん?」
「あれぇ? なんか、急に眠くなってきて……」
「そうかいそうかい、お主にも睡眠薬は効くようじゃな」
にたりと笑うバーバレラさん。
「え……睡眠、や、く……?」
俺は眠気に逆らうことが出来ず持っていた湯飲みを落とすとそこで気を失ってしまった。
「……バーバレラ様、やっぱりこんなことはよくないと思いますっ」
「ローレライはまだ若いからわからんのじゃ。人間は卑怯で醜い生き物なのじゃよ。お前が言うからこうして生かしておいてやっておるのじゃぞ、そうでなければとっくに殺しておるわい」
「バーバレラ様っ」
バーバレラさんとローレライさんの声がする。
俺はハッとなりそこで目覚めた。
「こ、ここは……?」
気付くと俺は幾重にも鉄格子が張り巡らされた牢屋の中にいた。
ひんやりと冷たい床に寝かせられていたようだ。どうやら地下らしい。
「なんじゃ。もう気がついたのか?」
「クロクロさん……」
見ると牢屋の前にはバーバレラさんとローレライさんの二人がいて俺を見下ろしている。
バーバレラさんは汚いものでも見るかのような目で、ローレライさんは申し訳なさそうな顔をして俺を見ていた。
「こ、これは一体……?」
「お主には死ぬまで一生ここにいてもらう。悪いのう」
とバーバレラさんが吐き捨てる。
とても悪いと思っているようには見えない表情なのだが。
「ローレライさん? どういうことなんですか?」
「す、すみませんクロクロさん……私にはどうすることも……」
ローレライさんは俺から目をそらした。
唇をきゅっとかみしめている。
「初めからここに連れて来た人間を返す気などなかったということじゃよ」
とバーバレラさん。
「えっ?」
「わしは大昔に一人娘を人間にさらわれてのう、それから人間のことなど信用してはおらん。じゃから今回も用が済んだら人間の冒険者には毒薬を飲ませて殺すつもりでいたんじゃ。なのに賛成しておったはずのローレライが急に反対しおって……まあ、お主にも里を助けてもらった借りがあるからのう、仕方なく睡眠薬にしたというわけじゃ」
「……」
俺は言葉が出なかった。
つまりはローレライさんも初めから計画を知っていたということだ。
「す、すみません。クロクロさん……騙すような真似をしてしまって……」
ローレライさんはうつむきながら消え入りそうな声で言う。
「わしらも鬼ではないからのう、あとで食事は持ってきてやるわい。ほれ、行くぞローレライ」
そう言うとバーバレラさんはローレライさんを連れて牢屋の前から去っていった。
石造りの階段を上っていく二人の足音だけが耳に届く。
「はぁ~……マジかよ」
俺は頭を掻きつつ鉄格子に手を伸ばした。
かなり太い鉄格子が何重にもなっていてちょっとやそっとの力ではどうにもならないように感じられた。
だが、
「多分、全力を出せばこじ開けられると思うんだけどなぁ」
俺は身体能力強化の魔法、ブーストをレベル一〇まで扱うことが出来る。
寿命が縮むのは困るがやってやれないことはないだろう。
「う~ん……どうするかな」
とそこへ新たに足音が聞こえてきた。
ローレライさんかと思ったが顔を見せたのは中年の男性のエルフだった。
「ほら食事だよ。食べてくれ」
そのエルフはお盆に乗せた料理を鉄格子の隙間から一つずつ差し入れてくる。
「なあ、あんたたちは俺を村から出さないってこと知ってたのか?」
俺は料理をちらっとだけ見てからそのエルフに問いかけた。
確実に俺より年上だがあえて敬語は使わないでやった。
「ああ、全員じゃないけどな。里の一部の者だけは知っていた」
「そっか」
「……すまない。助けてもらったのにこんな仕打ちをしてしまって」
「悪いと思ってるならここから出してくれないか。俺は別にエルフの里の場所を言いふらしたりなんてしないぞ」
俺が言うとエルフは口を真一文字に結んでから口を開く。
「駄目なんだ。バーバレラ様の言うことは絶対だからな。バーバレラ様が心変わりでもしない限りクロクロさん、あんたはここから一生出られないんだよ」
「ふーん、そうなのか」
バーバレラさんは人間を嫌っているようだからそれは期待薄だな。
「わたしは里を救ってくれたこと、本当に感謝しているんだ。それに娘が道中世話になったようで、それについてもお礼を言わせてくれ。ありがとう」
「娘?」
「ああ、ローレライはわたしの娘だ」
「あー、そう」
このエルフはローレライさんの父親だったのか。
あまり、というか全然似ていないな。母親似なのか?
「エルフたちもクロクロさんに感謝している者がほとんどだよ。もちろん中にはバーバレラ様のように人間を毛嫌いしている者もいるがね」
「ふーん」
「それじゃあ、わたしは行くよ。しばらくしたら食器を取りに来るから」
そう言い残してローレライさんの父親は俺の目の前から姿を消した。
一人残された俺はお腹もすいていたのでとりあえず料理に手をつける。
まさか毒は入っていないだろう。
そう思い湯気の出ているパンを冷ましながらひとちぎりして口へと運んだ。
もぐもぐ……ごくん。
「おお、美味しいっ」
それはとても牢屋に入れられている者への食事とは思えないほど、今まで食べたことないくらい美味しいパンだった。
う~ん、これで床が冷たくなければな……。
食事を済ませた俺は地下牢で横になっていた。
静かな牢屋の中、考えるのはローレライさんのこと。
「思い返すとローレライさんの態度、どこかおかしかったかもなぁ……」
などと一人きりでつぶやいていると、
カンカンカンカンッ……。
鐘の音がうっすらとだが聞こえてきた。
「ん? なんだ?」
俺は耳を澄ましてみた。
すると、
「きゃああぁぁー……」
「うわぁぁぁー……」
「助けてくれーっ……」
エルフたちの悲鳴らしき声がかすかに俺のいる牢屋まで届いてくる。
ただ事ではない様子に俺は、いてもたってもいられず、牢屋を出ることを決意した。
両手で鉄格子を掴むと力を込めて思いきりこじ開けようとする。
「ぅぅん~……っ」
だが神様をして超人と言わしめるほどの俺の力でもびくともしない。
「はぁっ、はぁっ……なんだこれ、すごく硬いな」
ブーストなしでも少しくらいは動かせると思っていたのに考えが甘かった。
エルフ族の使う鉄格子は相当な強度があるらしい。
仕方ない……。
「ブースト、レベル1っ」
まだびくともしない。
徐々にパワーを上げていく。
「ブースト、レベル2っ」
ぐぐっ。
鉄格子が曲がった。
「ブースト、レベル3っ」
ぐにゃり。
鉄格子がひしゃげて俺が出られるだけの空間が開く。
「よしっ」
俺はブーストを維持したまま牢屋から抜け出ると地上へと駆け出した。
地上に出るとエルフの里は焼け野原と化していた。
周りの家々は炎で焼かれ田畑も見る影もない。
そしてエルフたちはというと体長十メートルはあろうかという金色のドラゴン相手に戦いを挑んでいた。
だが戦況はかなり厳しいようで多くのエルフたちはドラゴンの足元に倒れている。
若い男性のエルフたちがほとんど傷つき倒れている中、女性のエルフたちが回復にあたっているがそれも追いついていないようだった。
そんな状況の中でバーバレラさんとローレライさんが果敢にドラゴンに立ち向かっている。
バーバレラさんはおそらく魔法だろうが、手のひらから氷柱を飛ばしてドラゴンを攻撃していた。
一方ローレライさんは手に絡みつかせたツタのような植物を剣に変えてドラゴン相手に応戦していた。
しかし次の瞬間、
「きゃあぁっ!」
『オレ様の可愛い息子を殺したのは貴様かぁっ!』
ローレライさんが下半身を踏み潰されてしまう。
「やめい竜魔王っ! その子が竜王を殺したのではないっ!」
『だったらオレ様の息子を殺したのはどいつだ、ばばあっ!』
「そ、それはっ……」
「俺だっ!」
俺は竜魔王とやらの前に進み出るとそいつを見上げ声を上げた。
察するにこの竜魔王という魔物は竜王の父親らしい。
息子のかたき討ちに来たのだとしたら俺が出ていかないわけにはいかない。
「ク、クロクロさんっ……ど、どうしてっ……」
ローレライさんが体を踏み潰されながらも懸命に顔を上げる。
「クロクロさん……あんたどうやってあの牢から出たのじゃ……」
そしてバーバレラさんは信じられないものを見たかのごとく目を見開いていた。
「竜魔王っていったな。今すぐローレライさんを踏みつけている足をどけろ!」
『貴様、人間か? ふざけるなっ! オレ様の息子が人間などにやられるはずがないだろうがっ!』
「おい、もう一度だけ言うぞ。早くローレライさんからその汚い足をどかすんだ!」
『うるさい、黙れっ!』
竜魔王は灼熱の炎を吐いた。
俺は瞬時にバーバレラさんを抱えてそれを避けるとバーバレラさんを安全な場所に置く。
そして瞬時に竜魔王の体の下に潜り込んだ俺は、
「うおりゃあーっ!」
竜魔王の首の下辺りを思いきり殴り上げた。
『ぐふぅうっ……!』
竜魔王はその衝撃で巨体を天高く舞い上がらせる。
数秒後、地面に強く落下した竜魔王に追撃を浴びせようとするも竜魔王はすでにこと切れていた。
竜魔王を見事倒した俺だったが拍手喝采は起こらなかった。
それもそのはず若い男性のエルフたちはみな傷つき倒れ、他のエルフたちは彼らの回復と竜魔王によって里に放たれていた炎の消火に追われていたからだ。
そんな中、唯一バーバレラさんだけは俺を呆けたようにじっとみつめていたのだが、しばらくして我に返ると魔法で里全体に大雨を降らせ里の火を消し止めたのだった。
里が落ち着きを取り戻した頃、
「わしが悪かったクロクロさん。この通りじゃ」
バーバレラさんはエルフたちの見ている前で俺に土下座をしてみせた。
「バーバレラ様っ!?」
「何をしているのですかっ」
「おやめください、バーバレラ様っ」
その姿に周りにいたエルフたちが動揺し声を上げる。
だがバーバレラさんは構わずそのまま続けた。
「わしは人間を嫌うあまりクロクロさん、あなたにひどい扱いをしてしまった。それなのにクロクロさんはわしらを助けてくれた。クロクロさんがいなければわしらは全滅しておったじゃろう。すまんかった、クロクロさんっ……」
「顔を上げてください、バーバレラさん。バーバレラさんが人間を嫌う理由はローレライさんから聞いていましたから理解できます。それに俺は気にしていませんから」
「クロクロさんや……ありがとう。ありがとうよ、クロクロさん」
バーバレラさんは若いエルフたちに体を起こされてからも何度も俺に向かって頭を下げるのだった。
「さてと」
依頼も完了したことだしそろそろ俺は報酬を受け取って帰りたいところなのだが……。
「ねえ、こっち手伝ってーっ」
「それよりこっちーっ」
「こっちもいっぱいいっぱいなのよっ」
「男たちがまだ全回復してないんだからわたしたちが頑張らないとっ」
エルフたちは焼け落ちてしまった家々を直すのに忙しくて俺のことなど目に入っていないようだった。
ローレライさんも里を忙しそうに走り回っていて俺に渡すはずの報酬を忘れているのだろう。
「どうするかなぁ……」
すると、
「ちょっとクロクロさんっ、暇ならこっち来て手貸してくださいよっ」
若い女性のエルフが今にも崩壊しそうな家の前から俺を呼んだ。
「え、俺?」
「男たちは自分に回復魔法をかけるのに必死で働き手はわたしたちしかいないんですからっ。お願いしますっ」
「あ、ああ。わかった」
元来ノーとは言えない性格の俺はそのエルフのもとに駆け寄っていく。
「この家はもう直せないので一旦取り壊しますからクロクロさん、手伝ってください」
「壊せばいいんだな」
「はいっ」
そういうことなら話は早い。
俺は崩壊しかけた家を殴りつけバラバラの木片に変えそこを更地にしていった。
「わぁー。やっぱりクロクロさんすごいですねっ」
女性のエルフが声を大にして言う。
とそれを聞きつけた他のエルフたちも「クロクロさん、今度こっちお願いしますっ」とか「クロクロさん、こっちもーっ」と俺を呼びつけ出した。
俺がエルフ族の命の恩人だということをわかっているのかいないのか、俺をこき使うエルフたち。
だがまあ、俺を好意的に受け止めてくれているらしいことはわかったのでそれほど悪い気はしなかった。
里の修繕作業をしているうちに辺りは暗くなっていた。
バーバレラさんは、
「今日はもう遅い、続きはまた明日にしようかのう」
とエルフたちを気遣い休ませる。
それを受けてエルフたちは里の中央広場にキャンプファイヤーのような火を起こしそれぞれシートなどを敷いて横になっていく。
ほとんどの家が焼かれてしまったためみんなで外で寝るらしい。
怪我をしていた若い男性のエルフたちも自身の回復魔法によって傷はほぼ塞がっているようだった。
とここでようやくローレライさんが俺への報酬のことを思い出したようで、
「あっ、クロクロさんすみませんっ。報酬まだでしたよねっ」
俺のもとに駆けてくる。
「え、ええ、まあ」
「お金とセントウ、やっぱりセントウの方がいいですか?」
「ええ……でもバーバレラさんの許可がないと駄目なんですよね」
「わしは構わんよ」
とバーバレラさん。
「よろしいのですか? バーバレラ様」
「ああ、クロクロさんはわしの知っておる人間たちとは違うようじゃからな。セントウの一つや二つ、持っていってもらいなさい」
「ありがとうございます、バーバレラ様っ」
ローレライさんはバーバレラさんにお辞儀をすると急ぎ足でセントウを採りに向かおうとする。
だが、
「待て、ローレライ!」
それを止める中年の男性のエルフがいた。
ローレライさんの父親だ。
「なんですかお父様っ?」
ローレライさんは立ち止まり振り返った。
「残念だがセントウはすべて燃え尽きてしまっているんだよ」
「えっ!?」
「な、なんじゃとっ!」
バーバレラさんも知らなかったようで驚きの声を上げる。
「バーバレラ様、セントウの木はなんとか無事でしたが果実は全滅でした。なので今年はもう一つも採れません」
「なんと……」
「そ、そんな……」
目を見開くバーバレラさんと肩を落とすローレライさん。
「すみませんねクロクロさん。そういうわけなんですよ」
ローレライさんの父親が申し訳なさそうな顔で俺に向き直った。
「そうですか……残念ですけど仕方ないですね。諦めますよ」
「で、ではせめてこのお金を受け取ってください」
ローレライさんはそう言うと服のポケットから大事そうに袋を取り出す。
そしてその中から金貨三枚と銀貨五枚を俺に差し出してきた。
俺はそれを受け取ろうとしたがふと周りを見回した。
エルフの里は田畑の作物はボロボロで家畜は一頭もいない。
家も半壊状態のものばかり。当のエルフたちもみんな疲れた様子でいる。
自給自足の生活をしていたエルフにとって金貨三枚と銀貨五枚というのはなけなしのお金らしい。
「……いや、やっぱりお金もいいです」
「え? どういうことですか?」
「そのお金は里の復興に充ててください」
「そんな、それは駄目ですよっ」
「そうじゃともっ。クロクロさんは二度もわしらを救ってくれたのじゃ、金貨三枚でも足りんくらいじゃっ」
ローレライさんとバーバレラさんは語気を強めるが俺の意志は変わらない。
「いや、本当にいいですから。それより俺もう帰りますね。ここはエルフ族の聖域です、あまり人間が長居していい場所ではないですから」
俺は言うなりエルフの里の出入り口へと向かった。
「クロクロさんっ……」
ローレライさんの声が背中に届く中、多分この辺りだろうというところで手を伸ばすと手が空間をすり抜けたので、俺はそれを確認してからエルフの里を出る。
こうして俺はあえて後ろを振り向くこともなく別れの挨拶を交わすこともなくエルフの里をあとにしたのだった。




