第14話 惚れ薬
俺のハーフマラソン優勝で幕を開けたレクリエーション大会だったが、その後次々とゴールテープを切っていったのはクラスコの城下町の騎士たちだった。
それにより総合順位としては現時点で一位がクラスコ、二位がハルジオン、三位がディオングンで最下位がロレンスの町の騎士団となっていた。
「いやあ、クロクロといったか。すごい奴だなお前は……まさかおれに勝つとはなっ……」
肩で息をしながらクラスコの城下町の騎士団長であるロイさんが話しかけてくる。
「いえ、ロイさんこそ……」
「何を言ってる……お前が勝ったんだ、もっと胸を張れっ」
ばしんと強く背中を叩いてくるロイさん。
多分ロイさんなりの敬意の表し方なのだろう。
しかしながら重力十分の一というハンデを貰っている俺とほぼ互角に走り切ったのだ。
ロイさんがもし俺のもといた世界に転移でもしたらおそろしいくらいの力を発揮するのだろうな。
ロイさんと入れ替わるようにして今度はドラチェフさんとランドが俺のもとへとやってきた。
「クロクロくん、優勝してしまうとはやはりきみはすごいね……」
「クロクロっ、お前超すげぇじゃねぇかよっ……はぁっ、はぁっ」
そして、
「さて、続いては騎士団対抗の綱引きとなります。皆さんお集まりください!」
ほとんど休憩を挟むことなく第二競技が始まるのだった。
その後二十対二十の綱引きと五対五の模擬戦がトーナメント形式で行われた。
その両方に俺は参加した。
結果から言うと、そのどちらも惜敗だった。
いくら俺の力が強いとはいっても二十人の鍛え抜かれた騎士たち相手に一人でどうこうできるはずもなく綱引きは準優勝で終わった。
そして五対五の模擬戦はというと木剣を使ったある種剣道のような試合形式だったため剣術を苦手とする俺にはかなり不利な競技だった。
しかしながら持ち前のパワーとスピードでなんとか立ち回りその結果はまたしても準優勝。
ちなみに優勝したのはどちらもロイさん率いるクラスコの城下町の騎士団であった。
太陽が沈み始めた頃、
「それでは最後の競技、一対一の模擬戦を始めたいと思います! それぞれの町の騎士団の代表者は前に出てきてください!」
司会のムゲンさんが声を上げた。
他の騎士団からそれぞれ騎士団長であるロイさんとデールさんとザッパさんが前に歩み出る中ロレンスの町の代表者はというと――
「クロクロくん、きみが出てくれ」
とドラチェフさん。
「俺でいいんですか?」
「ああ。さっきの五対五の模擬戦もきみだけは最後まで生き残っていた。情けない話だが僕よりきみの方が数段上だ。適任はきみだよクロクロくん」
「……わかりました。やってみます」
「クロクロ、頑張れよっ」
ドラチェフさんとランドに背中を押され俺は前へと進み出る。
「ロレンスの町の騎士団の代表者は俺です」
ロイさんたちと並び立つと俺は彼らに聞こえるようにそう宣言したのだった。
現在の総合順位は一位がクラスコの騎士団、二位がロレンスの騎士団、三位がハルジオンの騎士団、最下位がディオングンの騎士団となっている。
最後のこのトーナメント形式による一対一の模擬戦で俺が優勝さえすればロレンスの町の騎士団は総合順位で逆転一位になれるというわけだ。
「ただいまよりトーナメント第一試合を始めたいと思います! クロクロさんとデールさん、両者は中央までお進みください!」
ムゲンさんの声を受けて俺とディオングンの町の騎士団長であるデールさんが広場中央に向かい合って立つ。
「クロクロくん、頑張ってくれたまえよっ」
「クロクロ、負けんなっ!」
「頑張れクロクロ!」
仲間たちから応援の声が飛ぶ。
同様にデールさんに対しても声援が送られていた。
デールさんはその声に木剣を持った手を上げて応じる。
「それでは……始めっ!」
ムゲンさんの合図とともにデールさんが駆け出した。
俺に近付くと、
「はあっ!」
木剣を振り下ろしてくる。
俺はそれを腕で防いだ。鎧を装備している上に得物が木剣とあっては痛くもかゆくもない。
そして今度は俺の番だとばかりにこちらも木剣を振るう。
だがいかんせん俺の剣術の腕はからきしなので木剣は空を切った。
思いきり空振りしたことで俺は体勢を崩してしまう。
そこを狙われ「今だっ!」とデールさんの鋭い突きが俺の首元に命中した。
「こふっ……」
いくら木剣とはいえ喉に全力の突きを食らえば俺でも多少はダメージがある。
呼吸を整えるため一旦退くと俺はデールさんの全身を眺めた。
鎧は全身を覆っているため無防備なのは首から上だけだ。
つまり狙うなら首から上ということになる。
「休ませるかっ!」
デールさんは追いすがってきた。
執拗なまでに俺の首に突きを連打してくる。
わかりやすい一辺倒の攻撃に俺はその突きを左手で受け止めると思いきり握りつぶした。
バキッと木剣の先端が砕ける。
「なっ!?」
驚き怯んだデールさん。
その隙を見逃さず俺は木剣をなぎ払った。
「がっ……!」
俺の振り抜いた木剣がデールさんのこめかみに当たりデールさんが地面に倒れる。
当たり所がよかったのかデールさんは起き上がれないでいる。
すると「ワン、ツー、スリー……」とムゲンさんがカウントを始めた。
「フォー、ファイブ、シックス……」
そして、
「……テンっ! 勝者、クロクロさんですっ!」
地面に倒れたままのデールさんを確認したムゲンさんが俺の勝ちを高らかと宣言したのだった。
第二試合はあっさりと決着がついた。
俺がドラチェフさんたちのもとに戻ってすぐに、
「勝者はロイさんですっ!」
とムゲンさんから勝ち名乗りが上げられる。
そして俺もロイさんも休むことなく次の決勝戦のため広場の中央に移動した。
俺とロイさんが大勢の町の人たちと騎士たちの見ている前で対峙する。
「ロイー、負けるんじゃないぞーっ!」
「今年も優勝だロイっ!」
「ロイ頑張ってーっ!」
やはり地元ということもあり応援の大半がロイさんへと向けられている。
そんな中、
「クロクロ様ー、頑張ってくださいませーっ!」
クラスコに住んでいるくせにパリスがクラスコの城下町の騎士団長であるロイさんにではなく俺に声援を送ってきた。
その声に振り返り見るとパリスはそれを父親であるガイバラさんに注意されている。
ガイバラさんはいい人だからきっとどの騎士団にも肩入れしないように中立的な立場で見守っているのだろう。
少しだけしょんぼりしてしまったパリスに俺は笑いかけてやった。
ドラチェフさんのためにもロレンスの町の人のためにもロレンスの町の騎士たちのためにも、そしてパリスのためにも負けられないな。
ドラチェフさんやパリスたちに目を向けていると、
「クロクロ、おれはお前が決勝に残ると思っていたぞ」
ロイさんが話しかけてくる。
「お前は運動能力だけなら間違いなくここにいる誰よりも上だからな」
「それはどうも」
「だが剣に関しては素人のようだな。今回は剣での勝負だからおれに分がある」
やっぱり剣の扱いがド素人だということはバレているか。
「町の人たちの期待もあるからな、おれは負ける気はさらさらないぜ」
「それは俺も同じですよ」
「ふふんっ、言うじゃないか」
ロイさんはにやりと口角を上げた。
「それでは決勝戦、始めっ!」
ムゲンさんの掛け声がしてもロイさんは動かずにじっと俺を見据えていた。
俺もまたロイさんの一挙手一投足に気を張る。
単純なパワーやスピードでは俺の方が上だがこれは剣での勝負、ロイさんの言った通り俺は剣術に関しては素人だ。
「どうした? 攻めてこないのか?」
「そっちこそ」
「ならおれから行くぜっ!」
ロイさんが木剣を振り上げ攻撃を仕掛けてきた。
俺はその剣撃を持ち前のスピードでなんとかかわしていく。
さっきのデールさんとの勝負の二の舞にならないように首から上をガードしながら俺も木剣を振り返す。
するとロイさんは首から上ではなく俺の鎧の隙間を縫うように突きを放ってきた。
鋭い突きが俺の腕の関節部分をとらえる。
「うおっ!?」
不意の強烈な一撃に俺は持っていた木剣を手放してしまった。
その隙を逃さずロイさんはすぐさま追撃を俺に浴びせてくる。
俺は乱れ飛んでくる剣撃を必死にガードしつつ落ちてしまった木剣を拾うとロイさんから距離をとった。
「さすがにタフだな……これだけ打ち込んでいるのに効いている感じがまったくしないぜ」
ロイさんが大きく肩を揺らしながら口に出す。
「並みの騎士ならとっくに降参しているか気絶しているはずなんだけどな……」
「……そうですか」
と返すが俺は俺で決め手がない。
俺の剣の腕ではロイさんの首から上を上手く狙い打ちできるとは思えない。
しかもロイさんは俺の攻撃を予想して首から上を片方の腕で完全に防御しながら戦っている。
さて……どうするか。
!
とそこで作戦とも呼べないような作戦を思いついた。
「行くぜっ!」
言うなりロイさんが突っ込んできた。
その動きに合わせて俺も前に出る。
そしてロイさんの一撃を避けずに額からぶつかっていった。
なんてことはない、肉を切らせて骨を断つ。
俺はロイさんの剣撃をあえて受けるとロイさんの鎧の上から心臓付近をめがけて木剣で思いきり突いた。
「ごはぁっ……!」
俺の力と鎧の強度に耐え切れず木剣が砕けるがその突きの衝撃はロイさんの体を後方にふっ飛ばすには充分だった。
心臓に強い衝撃を受けたことで立ち上がれないでいるロイさんを見て、
「し、勝負ありっ! 勝者はクロクロさんですっ!」
ムゲンさんが声を張り上げる。
一瞬静かになる広場。息をのむ観戦者たち。
ヤバい……空気を読まずに勝ってしまった。
だが俺が反省しかけた時だった。
「「「おおーっ!!」」」
と広場に集まっていた町の人たちと騎士たちから割れんばかりの大歓声が沸き起こったのだった。
一対一の模擬戦で俺がロイさんに勝ったことにより最終的な総合順位はロレンスの町の騎士団がクラスコの城下町の騎士団を抜いて見事ロレンスの町の騎士団が逆転優勝を果たした。
そして閉会式では見届け人のガイバラさんからロレンスの町の騎士団長であるドラチェフさんに表彰状と優勝旗が手渡された。
その際に町の人たちから温かい拍手が送られる。
さすがガイバラさんの住んでいるお城の城下町の人たちだけあってみんな勝負が終われば他の町の騎士団の優勝に対しても素直に喜んでくれていたようだった。
「これにて閉会いたします! それでは皆さんまた来年お会いしましょう!」
ムゲンさんの閉会宣言により一日かけて行われた各町の騎士団対抗のレクリエーション大会は幕を閉じたのだった。
夕方をとうに過ぎ辺りはもうすっかり暗くなっていた。
今日はロレンスの町には帰らずクラスコの城下町で泊まっていこうかと話していると、
「クロクロ様ーっ」
ガイバラさんのもとからパリスがこちらへ駆けてくる。
「ん、どうした? パリス」
「クロクロ様はこれからどうされるおつもりですの?」
「えっと、今日はこのままこの町に泊まって明日帰るつもりだけど」
「でしたらクラスコ城に是非泊まっていってくださいませっ。クロクロ様とは話したいことがいっぱいあるんですのっ」
パリスは俺の腕を取って揺らす。
「いやでも――」
俺がドラチェフさんを振り返り見ると、
「わたしたちのことはいいからクロクロくんはパリス様とクラスコ城に行ったらどうだい? わたしたちは明日の朝宿屋でクロクロくんが戻るのを待っているからさ」
「そうだぜ、城に泊まれるなんてこんなチャンスめったにないぞ」
ドラチェフさんとランドが笑顔で勧めてくる。
「う~ん……」
「クロクロ様~っ」
「……わかった。じゃあお世話になるかな」
「わぁっ、ありがとうございますですわっ! では早速まいりましょう!」
そう言うとパリスは少女とは思えない力で俺をクラスコ城へと引っ張っていくのだった。
クラスコ城は外観も立派だったが中に入るとさらに荘厳な造りになっていて俺は驚かされた。
パリスはそんな俺を引き連れてお城の中を案内して回る。
「クロクロ様、ここがキッチンですわっ」
「見てください、ここはお風呂ですわっ」
「こっちがお父様のお部屋ですっ」
俺はガイバラさんと顔を合わせると会釈を交わした。
「そしてここがわたくしのお部屋ですわっ」
テンション高くパリスが言い放つ。
パリスの部屋は想像していた通りのお嬢様お嬢様した部屋だった。
天蓋付きのベッドに大きなぬいぐるみが沢山、クローゼットには華やかなドレスがずらりと揃っている。
「へー、可愛い感じの部屋だな」
「そうでしょう。わたくし男性をこの部屋に入れるのはお父様以外ではクロクロ様が初めてなんですのよ」
「ふーん、そうなのか」
パリスは近くにあった大きなクマのぬいぐるみを抱きかかえると楽しそうにくるくる回った。
よくわからないが楽しそうで何よりだ。
「なあ、ところで俺の泊まる部屋はどこなんだ?」
「? どういう意味ですの?」
パリスが小さく首をかしげる。
「いや、俺はどこで寝ればいいんだよ」
「? クロクロ様はここでわたくしと一緒に寝るのですわよ」
「…………はい?」
「ここで寝るってベッドは一つしかないだろ」
「大丈夫ですわ。わたくしのべっどはキングサイズでしてよ」
「そういうことを言ってるんじゃなくてだな、なんで俺がパリスと一緒のベッドで寝るんだよ」
「いけませんの?」
上目遣いでパリス。
「いや、いけないというか……パリスって年いくつだ?」
「十四ですわ」
「十四……」
十四歳の少女と同じベッドで寝る二十六歳の男か。
うーん、問題ないとは思えない絵面だ。
「こんな大きなお城なんだから空いている部屋くらいあるだろ。俺はそこで休ませてもらうよ」
「なんでですの?」
「一人の方が落ち着くんだよ」
適当な理由で俺は別の部屋に泊めてもらおうとするが、
「駄目ですわ、それではお城に泊まっていただく意味がありませんもの」
とパリスは食い下がる。
「せっかくいろいろお話しながら寝られると思っていましたのに別の部屋ではそれが出来ないではないですか」
じっとみつめてくるパリス。
どうやら一緒の部屋で寝ると決めていたらしく引く様子はないようだ。
「……わかったよ。だったらベッドの横の床に布団を敷いて寝るよ、それならいいだろ」
「床に寝るんですの? 固いですわよ」
「慣れてるから平気だ」
俺は生前はそうやって毎日寝ていたんだからな。
「そうですか、わかりました。ではお布団を用意いたしますわね」
そう言ってパリスは部屋を出ていった。
うん、なんとか納得してくれたらしいな。
その後どこかから大きな布団を運んできてくれたパリスに俺はお礼を言う。
そしてメイドさんが持ってきてくれた晩ご飯をパリスと一緒に食べてから大浴場のような大きなお風呂に入った俺がパリスの部屋に戻ると部屋の照明は薄暗くなっていた。
「クロクロ様、もう寝ましょう。わたくし眠くなってしまいましたわ」
ご飯とお風呂を済ませたことで眠くなったのかあくびをしつつ天蓋付きのベッドに横になるパリス。
俺もそれに倣ってベッドの横に敷いておいた布団に寝転ぶ。
「クロクロ様、少しは記憶が戻ったりしました?」
薄暗い部屋の中パリスの声がした。
「いや、戻ってない」
正確には記憶喪失ですらないが。
「そうですか……」
「ああ」
「……ロレンスの町に帰ったらまた冒険者の仕事をするのですか?」
「そうだな。前は自給自足の生活に憧れていたんだけどな、やってみると意外と大変なことがわかったからな。それにじっとしているのは俺の性に合わないみたいだ」
「ふわぁ~あ……そうですの……」
パリスの口調がゆっくりになってきた。
やはりまだ十四歳、眠気には勝てないらしい。
「……クロクロ様……わたくし、大きくなったら……」
そこまで言うとパリスの声が聞こえなくなる。
「パリス?」
「……すぅすぅ」
パリスは眠りに落ちていた。
「おやすみ、パリス……」
俺は小さくつぶやくと目を閉じるのだった。
翌朝。
「世話になったな」
「また遊びに来てくださいませ、クロクロ様っ」
「ああ、そうするよ」
「きっとですわよ」
とパリス。
「ではガイバラさん、ありがとうございました」
「いえいえ、何もお構いできませんで……それどころかパリスに付き合ってくださってこちらこそありがとうございました」
俺はパリスとともに俺を見送りにお城の外までわざわざ出てきてくれていたガイバラさんに頭を下げるとパリスに向き直る。
「じゃあなパリス」
「はいですわっ」
俺はクラスコ城をあとにすると城下町の宿屋へと向かった。
そしてそこで俺を待ってくれていたドラチェフさんたちと合流するとロレンスの町へと戻るのだった。
ロレンスの町に戻った俺は騎士をやめることをドラチェフさんに伝える。
「そうかい、残念だけどしかたないね」
とドラチェフさん。
「みんなに挨拶していくかい?」
「いえ、どうせこの町にいれば会えますから」
「そっか。じゃあこれが約束の金貨二十枚だよ、とっておいてくれたまえ」
「ありがとうございます」
俺はドラチェフさんから二十枚の金貨を受け取ると宿屋ガラムマサラへと戻る。
「あら、クロクロさん。久しぶりだねぇっ」
宿屋に入ると女将さんが笑顔で出迎えてくれた。
「はい、ちょっといろいろあって」
「また泊まっていってくれるんだろ?」
「はい、お世話になります」
今の俺の所持金は金貨が二十五枚。
宿屋の代金が一泊銀貨五枚として五十日泊まれる計算だ。
「五十日か……長いようで短いな」
厳密に言えば昼ご飯代や生活必需品代などを考えるともっと短くなる。
「やっぱり稼げる時に稼いでおくか……」
お金はあるに越したことはない。
俺はそう考え宿屋をあとにするとギルドへと赴いた。
[健康で頑強な研究助手の募集 報酬は応相談 必須ランク:E 推奨ランク:D]
ギルドの掲示板にてEランクでも受けられる依頼書をみつけた俺はそれをミレルさんのもとに持っていく。
「すみません、これってどういう依頼ですか?」
依頼書をカウンターの上に差し出し訊ねると、
「はい、こちらは錬金術師ミネルバさまからの依頼ですね。研究助手の募集となっております」
ミレルさんはそう答えた。
「何をするんですか?」
「さあ、それはミネルバさまに直接訊いていただかないと……」
「報酬の金額が書かれていないんですけど」
「それもミネルバさまに訊いていただくことになりますね」
「そうですか……」
「クロクロさま、どうなさいますか?」
まあ、他に受けられそうな依頼もないしこれでいいか。
「その依頼受けますよ」
俺はミレルさんから依頼書を受け取ると裏面に書かれていたミネルバさんの家へと向かうのだった。
「ここ、か……?」
ミネルバさんの家にたどり着いた俺はその家を前にして固まっていた。
というのもミネルバさんの家は屋根が下にあり玄関が上の方にあるという上下が逆さまになったような造りになっていたからだ。
見たこともない構造の家に呆気にとられていると、
「……何か用?」
背後から女性のか細い声がした。
振り返るとそこには眼鏡をかけ白衣を着た十代半ばほどの女の子が俺を見上げ立っていた。
「えっと、きみこの家の人?」
「……そう」
「ここにミネルバさんって人いる?」
「……ミネルバはわたし」
「え? きみが錬金術師のミネルバ?」
「……そう」
意外なことに目の前の小柄な女の子が今回の依頼主だった。
「……あなたは?」
「俺はギルドで依頼を受けてやってきたクロクロだ。よろしく」
握手を求め手を伸ばす。
だが、
「……わかった。ついてきて」
ミネルバは俺の差し出した手を一瞥するとそのまま歩き出した。
家の裏側に回り裏口から中に入るミネルバ。
俺もあとに続いて家の中へと入っていく。
「あのさ、この家なんか変わってるな」
「……そう? 別に普通」
「いや、普通ではないだろ」
家も変わっているが依頼主のミネルバとやらもなんか変わった奴だな。
その後リビングらしき部屋に通されると、
「……ちょっと待ってて」
そう言ってミネルバが部屋を出ていった。
しばらく待っているとミネルバがコップを持ってやってくる。
「……飲んで」
俺の目の前にピンク色の液体の入ったコップを置いた。
「なあ、今回の依頼内容って具体的にはなんなんだ? 俺は何をすればいいんだ?」
「……飲んで」
「ん、あ、ああ」
イチゴジュースか……そう思いながらコップに口をつける。
こくんと一口。
「うげっ! なんだこれっ!?」
飲み込んだ瞬間喉が焼けるように熱い。
「お、おいミネルバ、この飲み物一体なんだっ……?」
「……わたしが作った惚れ薬」
「惚れ薬っ!?」
「……わたしのこと好きになった?」
「なるかっ! いいから水くれ水っ」
ミネルバはぶすっとした顔で部屋を出ていった。
そういえばミレルさんの話ではミネルバは錬金術師だとか言っていた。
そして今回の依頼は健康で頑強な研究助手の募集だった。
ということは今回の依頼内容は……。
水の入ったコップを持って戻ってきたミネルバから俺は奪い取るようにしてそれを手にすると一気に飲み干す。
「かはっ、かはっ……つ、つまり今回の依頼は俺にお前の実験台になれってことか……?」
口元を拭いながら声を漏らす俺に、
「……そう。あなたはわたしが作る薬品の被験者」
ミネルバは淡々と言い放つのだった。
「今回の依頼は断る。キャンセルだ」
「……なんで?」
本当に理由がわからないといった顔で訊いてくるミネルバ。
「実験台だなんて聞いてなかったからだ」
頑強さには自信があるがミネルバの作った得体の知れないものを摂取することには抵抗がある。
「……依頼料の話まだしていない」
「報酬がいくらだろうが受ける気はないよ、悪いな」
「……そう」
ミネルバはそう言うとすとんと床に座り込んだ。俗にいう体育座りだ。
「じゃあ俺、帰るけど」
「……わかった」
こっちを向くこともなく床の一点をみつめながら返す。
相手が十代半ばの小柄な女の子ということもありなんだか俺が悪いような気がしてくる。
俺は家を出ようとするが、
「……」
立ち止まって今一度考える。
「……ちなみに報酬はいくらなんだ?」
「……実験が成功したら金貨五枚」
ミネルバは俺を見上げ言った。
その顔は捨てられた子猫のようだった。
うーん……今ギルドに戻ったところでEランクの冒険者が受けられそうな依頼はないんだよな。
だったら……。
「ミネルバ、やっぱり気が変わった。その実験に付き合ってやるよ」
「……ほんと?」
「ああ、ただし絶対成功させろよ」
「……それは約束できない」
「あのな、こういう時は嘘でもわかったって言うもんだぞ」
「……わかった」
こうして俺は我ながら甘いと思いつつも錬金術師ミネルバの実験に付き合うことにしたのだった。
「それで作りたいのは惚れ薬なのか?」
研究室に移動した俺はミネルバに訊ねる。
「……そう」
「好きな人でもいるのか?」
「……いない」
「じゃあなんでそんなもの作るんだよ」
「……錬金術師だから」
理由になっているのかいないのかわからない答えを返すミネルバ。
もしかして照れ隠しのつもりだろうか。
「まあいいや、それで俺はどうすればいい?」
「……わたしが作ったものを飲んでくれればいい。成功したらあなたはわたしのことが好きになる」
「一応訊くけどその効果ってちゃんと切れるんだよな?」
「……?」
ミネルバは不思議そうに首をかしげた。
「いや、永遠にその効果が続いたら俺一生お前のことを好きになったままじゃないか。それは困るぞ」
「……大丈夫。効果は一日だけ」
「本当だろうな」
「……任せて」
ミネルバは自信ありげに自分の胸をぽんと叩く。
「はぁ~、わかったよ。信じる」
「……じゃあこれ飲んで」
言うとミネルバは棚にあったピンク色の液体の入った瓶を取って俺に差し出した。
「賞味期限とか平気だろうな……ったく」
俺は文句を言いつつもそれを一気に口の中に流し込む。
「ぷはっ、まっず……これ味どうにかならないのか?」
「……ならない。それよりどう? わたしのこと好きになった?」
ミネルバが俺をみつめてくるので俺もじっと見返すが恋愛感情など一切芽生えてはこない。
「いや、全然」
「……じゃあ次、こっち飲んで」
ミネルバはまたもピンク色の液体の入った瓶を渡してくる。
「はいはい……ぅっ、苦いっ」
俺はこの後もミネルバの作った惚れ薬もどきを飲み続けた。
棚にあったストックがなくなるとミネルバは新しい惚れ薬作りに精を出す。
俺はそんなミネルバの作った惚れ薬を次々と飲み干していった。
だが一向に効果は表れない。
――そして三時間が過ぎ、
「わ、悪い、もう無理。お腹いっぱいだっ」
俺はお腹がたぷんたぷんになりギブアップを宣言した。
「うっぷ……今日はもうやめにしよう」
「……わかった。じゃあまた明日来て」
「ああ……そうするよ」
俺は飲んだ惚れ薬を吐き出さないようふらふらになりながらも、慎重に宿屋へと帰っていくのだった。
次の日もその次の日も俺はミネルバの作った惚れ薬を飲み続けた。
だが惚れ薬の効果はまったく表れない。
惚れ薬を完成させることなど出来ないのではと半ば諦めの念を抱いていたところ俺に突如異変が起こった。
それは実験を始めてから五日目の昼。
ミネルバを見ると胸の鼓動が高鳴り顔が熱くなる。
ミネルバのすべてがいとおしく思えてくる。
「な、なあ、ミネルバ。も、もしかしてだがこれって効き目が出てるんじゃないのか?」
「……わたしのこと好き?」
「あ、ああ。不本意だがそんな気持ちでいっぱいだ」
「……完成した」
ミネルバはむふーっと満足げに鼻を鳴らした。
俺が飲んだものと同じピンク色の液体の入った瓶を高々と掲げる。
「なあ、これ一日で効果は切れるんだよな」
「……そのはず」
「は、はずだと困るんだけどな」
「……わたしは行くところがあるからあなたはここで待ってて」
「お、おう。わかった」
惚れている弱みからかいつもみたいに上手く話せない。
好きな女子と二人きりになってしまった男子中学生のようだ。
俺は家を出ていくミネルバの背中をみつめながら「い、いってらっしゃい」と優しく声をかけるのだった。
「……ただいま」
一時間ほどしてミネルバが袋を抱きかかえて帰ってきた。
「な、なんだそれは……?」
「……お金」
「お金?」
「……そう」
……いやいや、説明があまりにもなさすぎる。
もっと詳しく話してくれ。
「お金って、まさか惚れ薬を誰かに売ったのか?」
「……そう」
「そうって……お、お前、惚れ薬を作るのは自分が錬金術師だからみたいなこと言ってたじゃないか」
「……?」
「いや、言ってただろ」
惚れ薬なんてものを世に売り出して平気なのか?
悪用でもされたらまずいんじゃ……。
「ちなみにいくらで売ったんだ?」
「……金貨二百枚」
「に、二百枚っ!? マジかよ」
「……これ、あなたの分」
ミネルバは袋の中から手づかみで金貨を五枚取って俺によこしてきた。
「な、なあ、ちょっと待ってくれ。作るのに協力してた手前言いにくいんだが、惚れ薬なんて厄介なものは売ったりしない方がいいんじゃないか?」
「……なんで?」
「ほ、ほら、何か犯罪めいたことに使われるかもしれないだろ。そうなったらお前も共犯みたいなものだぞ」
「……」
ミネルバは押し黙る。
何か考えているようだ。
「……でも売らないとあなたに報酬を払えない」
「ほ、報酬か……う~ん」
報酬はたしかに欲しいが惚れ薬が悪用されるのは見過ごせない。
俺も片棒を担いでいるようなものだしな。
「わ、わかった。今回の報酬はなしでいい」
「……いいの?」
「あ、ああ。その代わり誰に売ったのか教えてくれ。今からお金を返しに行こう」
「……わかった」
ミネルバは納得した様子で金貨の入った袋を俺に差し出した。
どうやらミネルバはお金が欲しかったというわけではなく、単に俺に報酬を支払うために惚れ薬を売ったようだった。
なので二百枚もの金貨にも未練は一切なさそうだった。
「で、誰に売ったんだ?」
「……ドラチェフって人」
「え?」
俺はミネルバと騎士宿舎に向かうと、ランドに取り次いでもらってドラチェフさんを呼び出す。
「やあ、クロクロくん。どうしたんだい?」
「ドラチェフさん、この子から惚れ薬買いましたよね」
「なっ、ど、どうしてそのことをっ!?」
「惚れ薬まだ使ってませんよね。ってことでお金は返しますから惚れ薬返してください」
「だ、駄目だよっ。こ、これはグェスちゃんと付き合うために僕が手に入れたものなんだからっ」
ドラチェフさんは手に持っていた瓶を慌てて後ろに隠す。
「ドラチェフさん、まだグェスさんのこと諦めてなかったんですか? 俺に負けてもう付きまとわないって言ってましたよね」
「うっ、そ、それは……」
するとミネルバが、
「……それ、失敗作。惚れ薬完成できなかった」
口を開いた。
「し、失敗作なのかい? これ?」
「……そう」
「でもさっきは完成したって……」
「……それ、飲んでも気分が悪くなるだけ。だから返して」
「そ、そうなのかい……だ、だったらしょうがないね」
そう言うとドラチェフさんは瓶をミネルバに渡した。
そして俺の持っていた金貨の入った袋を受け取る。
「……惚れ薬、わたしには作れそうにない。ごめんなさい」
「い、いいよ。僕もクロクロくんに言われて目が覚めたからね。もう忘れてくれたまえ」
ドラチェフさんは少し残念そうにしながらも騎士宿舎に戻っていった。
「悪かったな、お前に謝らせて」
「……別にいい」
「そ、そっか」
「……じゃあわたしは帰るから」
俺の言葉にミネルバはそう返すと一人家へと帰っていく。
その小さな後ろ姿を見て、無性にいとおしく思えたのは、きっと惚れ薬の効果がまだ続いていたからだろう。




