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英雄遺産のエーヴィッヒ  作者: 大浣熊猫
三度過ぎ往くツワンツィヒ
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勇者と孫 第二話

 この世界には魔王がいる。

 人間に危害を加える魔物一族がいてそれを収める王様が魔王というわけではないし、王位が世襲で引き継がれていく魔の者にとって楽園のような王国があるわけでもない。

 魔王というのは意思を持った悪意に乗り移られた生き物のことだ。世界にいる一人が発症する病気みたいなものだと思っていい。


 魔王はなぜ世界を支配をしたがるのか。それは全てを産み出した知覚の懐に全てを戻すためだ。


 意識を持つ者がまず世界に現れると、それを知覚する者が現れる。知覚は知識を生み、それと同時に悪意というものにも分岐する。

 意識は自己を認識させ、知識は寿命を伸ばしていく。そうなれば人は増え、それに比例するように悪意の量も増えていく。

 そうしていく内に育っていった悪意はやがて自我を持つようになる。

 だが、所詮は感情に過ぎず、肉体は持たない。自分の存在を証明するために生きている者にとりつき、力を与える。そして、出来上がった者が魔王というわけだ。


 だが、悪意ばかりが自我を持つわけではない。同じ分岐に拠って生まれた知識もまた、自我を持つようになるのだ。

 悪意とともに育った知識は生き物に悪意を抑える術も教える。そして、自我を持つようになる。それが魔王と対になる者、勇者だ。そちらも依り代が息絶えれば、同様の道筋を辿る。


 最後の戦いの時、悪意に抗う術を授けられた勇者はガリマールであり、悪意を授けられた魔王はヴァハトマンスだった。

 そして、ガリマールによって魔王ヴァハトマンスは倒された。それからもう六十年近く経過している。


 だが、その六十年というのは人間たちからすれば異常なのだ。

『凪の二十年(ツワンツィヒ)』という言葉があるように、意思を持った悪意は依り代を倒されても二十年後にはまた新たな依り代を得て、魔王として世に出てくるのだ。

 しかし、五十数年間、世界は平和――魔王という壊滅的破壊を行う存在がいない状態であるツワンツィヒを二回も繰り返している。


 悪意というのは魔王を産み出したことから分かるように人々の意識の中に蓄積していくものだ。

 意識の中にあるコップに水が注がれるように溜まっていく。コップは無限に蓄える水甕ではないので、やがてはあふれかえる。

 あふれかえった悪意は何処へ流れていくかというと、同族に向かっていく。つまり、人間同士で小競り合いを起こすのだ。


 老人ガリマールは、まだベランダに重たい尻を置いたまま動こうとしなかった。

 若いメイドはどうすれば戻ってくれるか考えると、何かをひらめいたようになった。


「今日はお孫さんがいらしてますよ。フェリシアンさん、いいお孫さんですね。ちょっとベランダに出るのを注意して貰おうかしら」


 そう言うと同時に玄関の方からドアが開けられる音がすると「やあ、お爺ちゃん。元気そうだね」と青年の声が聞こえた。


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