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屁っこき娘と噓つき坊ちゃま  作者: 青戸部ラン
三章 接触、そして暴発
19/24

19話

「――と、いうわけなのです。ですよね、夏花さん?」

「……はい」

「はぁ……、まったく迷惑な話だ」


 思わず艶子の様子を思い浮かべてしまい、顔をしかめた冬史郎の視線の先には項垂れた夏花の姿がある。冬史郎は落ち込む夏花に声をかけようとも思ったが、それよりも浮かんだ疑問を口にした。


「とはいえだ。あの女は夏花に母の話をして、いったい何をしたいんだ? 夏花に『やめろ』と言われたとして、なぜ僕が“呪い食い”を止めると思ったんだ?」

「へ? そりゃ、あの坊ちゃまの様子を目にしたら、夏花さんの言うことなら聞くと思うでしょう……?」


 眉間の皺をさらに深くした冬史郎の顔を見て、八尾の目がみるみる丸くなっていった。

 以前、冬史郎は夏花を捕まえている艶子にものすごい剣幕で詰め寄ったことがある。その行動が周囲にどういう意味を持たせるのかまでは考えていなかったのだ。


 驚いた顔の八尾に冬史郎は内心ムッとしながらも、落ち込む夏花の後頭部を見てなお文句を言い続けるほど苛立っているわけではなかった。今、冬史郎には文句を言うよりも重要なことがあるのだ。


「とにかく僕は家業を止めるつもりはない。それに夏花も落ち込むな。あの女にもいい薬になったはずだ。そんなことより――」


 冬史郎は重い身体を引きずるように、うつむく夏花の側に膝をついた。夏花の屁をくらった艶子の状況を想像すればするほど、呪いが浄化されるときの爽快感を求める気持ちが強くなる。


「早く、僕にも屁をこいてくれないだろうか。どれだけデカい屁でも僕は耐えられるぞ」


 冬史郎の言葉に顔を上げた夏花は、死んだ魚のような目をしていた。



 §



「はぁ。やっぱり夏花の屁は極上だ。この清々しさを味わえないとは、八尾も艶子も残念なことだ」


 先ほどまでの死にそうな見た目はどこへやら、すっきりした顔の冬史郎を横目に、八尾はこっそりと夏花に呟いた。


「夏花さん……なんというか、申し訳ありません」

「いえ、大丈夫です。機会があれば、後日きちんと私の口から謝ります……」

「待て待て待て。艶子に会うのは許さないぞ」


 二人のやり取りを聞いていた冬史郎は声を上げた。さすがに何度も艶子に夏花を脅かされてはたまらない。


「僕の目の届かないところでは会わせない。あの“嘘つき”にまた夏花に変なことを吹き込まれても困る。なあ夏花?」

「――え?」


 冬史郎は戸惑う夏花の目を覗き込み、表情をそのままに低い声で尋ねた。


「あの女を招き入れたのは誰だ?」

「そ、それは……」


 夏花の目が泳ぐ。


「わ、わかりません」

「……そうか」


 冬史郎は艶子を引き入れた人物におおよそ予想はついていた。きっと前回、夏花と共に座敷で出会った下働きだろう。二人はこれまで仲良くしていた仲間同士だったと聞いている。

 笑いあう夏花と巴の姿を思い浮かべると、冬史郎の胸にため息がこみ上げた。


「はぁ。君が庇いたいのはあの下働きだろう? そのくらい人の機微に疎い僕だって予想はつく」

「おや坊ちゃま。人の機微に疎いと自覚がおありだったんですね」


 横から口を挟んだのは八尾だ。冬史郎にジロリと睨まれてもどこ吹く風と、平気な顔をしている。


 その一方で、夏花は冬史郎の質問の意図を図りかねているらしかった。戸惑ったように目配せする夏花に答えるように、八尾が頷き返す。

 そんな二人の様子も冬史郎は面白くなかった。


(なぜ僕に隠し事をするんだ。直接『なぜそんなことを聞くのか』と問えばいいものを。どうせ八尾には正直に話したんだろうに)


 冬史郎はふいっと夏花の顔から目を背け、用は済んだとばかりに立ち上がった。黙って障子の前に立つと八尾がすすっと進み出、目の前の障子を開く。


「あ、あの巴ちゃんは……っ」

「何もしないよ。ただ聞いただけだ」


 声をかける夏花に顔も向けず冬史郎は答えた。

 夏花が正直に答えても答えずとも、あの巴という下働きの動きには気をつけておく必要がある。艶子の狙いは冬史郎なのだから、きっとまた何か行動を起こすだろう。


 冬史郎はぼそりと呟いた。


「……僕は止めない。止められないんだ」

「ご主人様……?」


 だが冬史郎は夏花に背を向けたまま部屋を後にした。

 先ほどまで清々しさに溢れていた胸の中が重く閉ざされそうだったからだ。




 八尾に付き従われ、冬史郎は無言で自室に向かった。自室の前まで来た時、ようやく冬史郎は口を開いた。


「八尾、僕は止めない」

「……はい。八尾は坊ちゃまのお気持ちは存じておりますよ」


 静かに答える八尾はいつも通りの微笑みを浮かべている。それがまた面白くない冬史郎は唇を噛んだ。


「夏花が何と言おうと、僕は“呪い食い”を止めないからな。絶対……」


 ギリ、と睨みつける冬史郎を八尾は表情を変えず、優しい微笑みのまま見下ろしていた。そして静かに口を開いた。


「……坊ちゃまのお心のままに。八尾はお上のお望みが叶えば、それ以外は何でもようございますから」


 ザァッ……とどこからともなく湿った風が吹き、冬史郎の髪を揺らした。



 それから何日も長い雨が降り続いた。

 ようやく太陽が顔を出した日のことだ。夏花は巴が暇を出され、郷里に帰ったことを聞かされた。

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