14話(艶子視点)
丹羽深雪。
彼女は丹羽家のただ一人の後継者。私、艶子の主人。そして、家からほとんど出ることなく育った箱入りのお嬢様だった。
(一度、立場だけ深雪様と入れ替わってみたいわ。どんな世界なのかしら……)
若く、まだ純粋だった私は何度もそう思ったものだ。最高級の生地で作られた着物を普段使いし、優秀な使用人、上質な調度に囲まれた生活――女中奉公に出された私とは、天と地ほどの差がある。
ただ深雪様本人とは入れ替わりたくなかった。なぜなら深雪様は私とそう歳が変わらないのに、昔話の山姥のように恐ろしい老け込み方をしていたからだ。
時間が経てば少し若さが戻るものの、すぐに生気を失っていく。自分だったら絶対に耐えられない状態だが、深雪様は気にする風でもなく、のんびりと優雅に生活していた。
ちょうど深雪様が利冬様と結婚した頃だったと思う。見目が良かった私はとんとん拍子に深雪様付きの女中となった。
「私の側にいることになる艶子に、知っておいて欲しいことがあるの」
そう言って深雪様は帝から預かったという美しい茶碗を取り出した。そこで私は初めて“呪い食い”の光景を目にしたのだ。
(な、なんて気味が悪いの……。まるで妖しの類だわ)
ずずず、と汁を啜るように“呪い”を飲み込んでいく深雪様はただただ恐ろしかった。とは言え、自分の主人である深雪様の前でそんな態度はとれない。理解を示し、同情して見せると、深雪様はすぐに私を信頼した。
旦那様である利冬様も“呪い食い”の事を知った上で一応は深雪様を愛しているようだった。だが男性は老婆のような妻よりも、年相応の瑞々しさを持つ女性の方が魅力的なのだ。利冬様に身を擦り寄せれば、彼はすぐに私の虜になった。
だがその事件が起こったのは、二人の間に息子の冬史郎様が産まれ、冬史郎様もまた子どもながらに“呪い食い”を始めて間もない頃のことだ。
幼い冬史郎様を守るため、深雪様は“呪い”を食べ過ぎたらしい。あっという間にやつれ果て、何の手立ても尽くせないまま干からびるように死んでしまった。
――ああ、かわいそうに。
心に浮かんだ気持ちはそれくらいだった。なぜなら私のお腹の中には一之輔が宿っていたからだ。利冬様が私を後妻に迎えることは間違いのないことだった。
(憧れの丹羽家の女主人になれたのね。これで私も使う立場になれたんだわ)
無事に一之輔も生まれ、私たちは帝都近くに建てた屋敷に移った。自分好みの女中達だけを残した丹羽家は快適だった――ただ一つ、冬史郎様が懐いてくれないことだけが残念だったが……。
婿養子の利冬様は“呪い食い”をすることは無かったので、私はこのまま丹羽家の悪しき生業が途絶えるものだと思っていた。しかし冬史郎様が「自分が継ぐ」と言い出したのだ。
(あんな気味の悪い事……、深雪様のように命を危険に晒すことだってあるでしょうに、何を意固地になっているのかしら……)
冬史郎様は八尾という得体の知れない使用人を側に置き、引きこもるように別邸で暮らし始めた。
そんな生活がすでに十年以上続いている。
「継子でも一応は息子だから世話をしないと……と思っているけど、あそこまで毛嫌いされてしまうとどうしようもないわねぇ。やっぱり一之輔の方が可愛いわ」
冬史郎様の元から帰る車内で、私は独り言を口にした。
“呪い食い”の副作用ともいえる、見た目の劣化がなぜか突然すっかり良くなり、本来の美しい容貌を取り戻した冬史郎様。あの見た目ならどんな美しい娘でも選び放題だろう。
しかし――。
「夏花さん……、ね」
今日、冬史郎様の側には夏花という下働きの娘がいた。どういう成り行きかはわからないが、冬史郎様はその娘に執心しているようだった。
(確かに可愛らしい娘さんだったけれど、丹羽家の嫡男と下働きとでは格が釣り合わないわ。どうして手の届かないところで余計なことばかり起こるのかしら。一之輔が嫡男だったらどんなに良かったか……)
そこで私はひらめいた。
「そうよ、あの子に止めさせてもらえばいいのよ」
冬史郎が丹羽家を継ぐ理由は「長男だから」ということだけではない。
“呪い食い”が行える人物が冬史郎だけだからだ。
「あの“気味の悪い仕事”をしなくなれば、丹羽家を一之輔が継いでも問題ないはずだわ」
“呪い食い”――それは深雪様が命を失った原因でもある。
「お気に入りのあの子に命が心配とでも言われたら、冬史郎さんも止めざるを得なくなるはずよ。……ふふ、楽しくなってきたわ」
私の心は珍しく沸き立っていた。