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屁っこき娘と噓つき坊ちゃま  作者: 青戸部ラン
二章 本物の嘘つき
13/24

13話

 ぴしゃりと襖が閉められ、冬史郎の部屋の中には冬史郎と夏花の二人になった。ようやく手が離された夏花の手首には赤く、冬史郎の手の跡がついている。夏花がこっそり手首をさすっていると、冬史郎が深く息を吐いた。


「……どうして僕の言うことを聞かなかった」


 息とともに冬史郎の口から漏れ出た声は低く沈んでいた。伏せられた睫毛の隙間から見える瞳はうっすら濡れているようにも見える。


「あの人の手の届くところに自分からのこのこ出て行って……。本邸に引き抜かれたいとでも考えたのか?」

「え……」


 いきなり飛躍した話に夏花は驚きながらも、艶子に対する冬史郎の言動に合点がいった。


(ご主人様からすれば継母となった奥様に、お父様も、そして顔なじみの使用人達も連れて行かれてしまった感覚なのかもしれない……。同じように引き抜かれないかと怖がるのはわかるけど、なんだか釈然としないわ……)


 夏花は上手く言葉に出来ない胸の中の(もや)を押し出すように返事をした。


「……私が奉公に来ているのはこの家です。勝手に仕事を投げ出すような真似はしません。ご主人様が必要ないというのなら話は別ですけれど――」

「そんなこと……っ!」


 夏花の言葉に冬史郎がガバッと顔を上げた。その打ちひしがれたような表情に、夏花は言葉を失った。初めて出会ったときと同じように肩をつかまれると、夏花の目の前に現れた冬史郎の端正な顔は今にも泣きだしそうに歪んでいた。


「そんなこと、どうして僕が考えるんだ。夏花、わかってくれ。僕は君がいなくなると困るんだ。呪いが身体から消える間、ずっと死んだような姿でいる僕の辛さが君にわかるかい?!」


 夏花に縋りつく冬史郎の必死な言葉にはこれっぽっちの嘘も含まれていなかった。だが、だからこそ夏花の胸の中に芽生えた靄はさらに深く立ち込め始めた。


「……ならっ」


 夏花に全てを預ける冬史郎を押し返すように夏花は声を張った。


「ご主人様は突然仕事が変わっても、部屋から出るなと言われても心細くはならないのですか? それに嘘とは言え、冷たい言葉をかけられ続ける私の身にもなってください!」


 夏花の叫びに冬史郎は目を見張った。

 夏花にだって冬史郎が身体を楽にしたい気持ちはわかる。だからと言ってどうして夏花が犠牲にならなければいけないのだろうか。これまで蓋をして、抑えていた気持ちがとうとうあふれ出てしまった。


「屁をこかせたいだけならどうでもいい嘘だって構わないじゃないですか。どうしてわざわざ私を傷つけるようなこと言うんですか。どうしてわざわざ目立つところに引き出したんですか?」

「それは……」


 答えを言い澱んだ冬史郎の手が夏花の肩から力なく離れて行く。だが夏花の溢れた思いはまだ止まらなかった。


「私だってつらいんです。たとえ命令だとしても、嘘ばっかりつかれて、恥ずかしい思いをさせられて、嫌味を言われて……。屁のことで笑われないだけマシですけど、それでも悲しいものは悲しいんです!」

「あ、ぼ、僕は……」


 夏花の言葉を真正面から受け止めた冬史郎は言い返そうとしていた。しかしどこからともなく現れた八尾によって止められることとなった。


「はぁ……。どうして分かり合おうとするのに感情をぶつける必要があるのですか?」

「――ひゃっ!?」


 ふいに耳元に落とされたため息に夏花は飛び上がるほど驚いた。振り返ると夏花のすぐ後ろに八尾が立っている。さっきまで冬史郎に掴まれていた肩に、今度は八尾が後ろから手をかけた。


「夏花さん、今日はもう下がっていただいて結構です。女中たちの声が気になるようでしたら消すこともできますが、どうします?」

「……いえ、大丈夫です」

「そうですか。では、あとは八尾が坊ちゃまと話をいたしますので……」


 口から飛び出そうになった心臓を落ち着かせながら夏花は答えた。八尾の言った「消すこともできる」の意味は分からなかったが、これ以上面倒なことを考えたくなかったのだ。


 すっかり俯き、黙り込んでしまった冬史郎がどんな表情をしているのか夏花にはわからなかった。だが冬史郎と八尾の話が終わった後も、夏花が今まで通りこの家に勤め続けられるはずなんか無い。


(奉公先の主人に盾突いて、それからも変わらず働き続けるなんて無理よね。屁が必要だって言うけど、私の屁の効能に気づかなかったこれまでもご主人様は“呪い食い”の仕事を続けて来たんですもの。何とかなるはず……。私は屁をこかなくていいし、嘘をつかれずに済む。良い事づくしじゃない……)


 部屋の敷居をまたぎながら、夏花は自分に言い聞かせるように思いを巡らせた。だがどこか後ろ髪を引かれるような思いがあったのも否めない。その証拠に襖を締めるべく座った夏花は、一瞬顔を上げ、室内の冬史郎の姿を窺ったのだ。


 冬史郎もまたあとわずかで閉まる襖の隙間に目を向けていた。情けなく眉を下げる冬史郎は所在なさげな子犬のようだった。


「ご主人様。申し訳、ありませんでした……」


 その姿に胸の奥がちくりと痛んだものの、夏花は小さく呟きながら静かに襖を締めた。

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