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屁っこき娘と噓つき坊ちゃま  作者: 青戸部ラン
二章 本物の嘘つき
11/24

11話

 座敷掃除をしている夏花と巴の前に現れた艶子は、二人をゆっくりと見回し、いっそう笑みを深めた。


「いつもきれいに保ってくれてありがとう。あまりこちらの屋敷に目を配れていなくて恥ずかしいわ」


 艶子はにこやかな顔を崩さず、礼を口にした。


「あ、いえ、とんでもありません……」


 巴は先ほどまでの重苦しい雰囲気をすっかり引っ込め、もじもじと艶子に答えている。


「可愛らしいお嬢さん方ね。お名前は?」

「巴です」

「そう、巴さん。素敵なお名前ね。それに、下働きにしておくのにはもったいない器量だわ。それで……?」


「あなたは?」と名乗りを促す艶子の視線が夏花を捉える。しかし夏花は口を開きかけて止めた。冬史郎の顔がよぎったのだ。


(どうしよう……。ご主人様には奥様と会わないように言われていたのに……)


 艶子は夏花の返事を笑みを浮かべたまま待っている。背後からは巴がハラハラしている様子が伝わってくる。このまま答えなかったらきっと巴が代わりに答えてくれるだろう。


(いや、いくらご主人様の命でもここで名乗らない方が不自然だわ。それにご主人様が避けているだけで、私が避ける理由なんてないもの。ひねくれもののご主人様の事ですもの、きっと何か思い違いをしているのよ)


 夏花はきゅっと尻に力を込め、姿勢を正した。


「っ、な、夏花と申します……!」


 突然かしこまった夏花の姿に、艶子は一瞬驚いた顔をして、またすぐに笑みを浮かべた。


「夏花さんね。ふふ、元気ですこと」


 艶子はこらえきれなかったかのように笑い声をあげ、そしてまた二人に向き直った。


「少し落ち込んでいたんだけど、元気をもらえたわ。実は今日も冬史郎さんに『お見合いならしない』と追い返されてしまったの。最近調子が良さそうだから話を聞いてもらえるかと思ったんだけど……」

「――っ!」


 艶子の言葉に、夏花の背後にいる巴が息を飲む音が聞こえた。冬史郎に恋心を抱いているであろう巴にとって、その言葉は今一番聞きなくないはずだ。


「それにしても冬史郎さんは本当に調子が良さそうね。あのままだと深雪様と同じ道を辿りそうで心配だったのよ。急に元気になったから驚いてしまったわ。何かあったのかしら……」

「『深雪様と同じ』?」


(深雪様というと、確かご主人様のお母様だわ。『同じ道を辿りそう』ってどういう……。もしかしてご主人様の“呪い食い”と深雪様の死は関係あるの?)


 冬史郎の母、深雪が亡くなる前、艶子は深雪の世話をする女中だった。きっと深雪の最期も知っているのだろう。


 夏花が思いを巡らせていると、目を細めた艶子が感心したように口を開いた。


「あら、夏花さんは深雪様の事ご存知なの? 古い(女中)たちは皆本邸に連れていったから、こちらにいる子は深雪様の事には詳しくないし。もしかして私と深雪様の事も知っているのかしら」

「え?」

「あなたに話したのは八尾さん? それとも冬史郎さん本人……?」


 ゆっくりと長い睫毛が動き、艶子の瞳が試すように夏花を映した。濡れたような真っ赤な唇に赤い舌が這う。

 艶子の反応は事情を知っている夏花を警戒しているようにも感じられた。


(これはよくわからないけど、ご主人様や八尾様の名前を絶対言ったら駄目なやつよ、夏花……)


 艶子の視線に、まるで蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった夏花は、必死に次の言葉を探した。

 絶対に返答を間違えてはいけない場面だ。背に腹は代えられない。夏花は「嘘をつくこと」と「穏便にやりすごす」ことを天秤にかけ、後者を取ることにした。


「い、いえ。少しだけ、噂を耳にしたことがあって……」


 ――ボコッ


 自分の言葉に腹の中の屁が動く。きゅうっと腹が痛んだが夏花は表情に出ないように堪えた。

 艶子は夏花の返事に眉をピクリと動かしたものの、笑みをそのままに口を開こうとした。

 その時だ――。


「夏花! 何をしているっ!」

「ひぇっ?」

 ブッ、スゥゥ……


 広縁の向こう側から聞こえた夏花の名を呼ぶ声に、そこにいた誰しもが目を奪われた。

 立っていたのは険しい顔をした冬史郎だった。と思うが早いか、冬史郎はドカドカと激しく足音を立てながら三人の方へ近づいてきた。その後ろを八尾が慌てて追いかけている。


 しかし夏花の頭の中は、先ほど驚きと共に出てしまった屁の音の事でいっぱいだった。


(今の屁の音、絶対後ろにいる巴ちゃんに聞かれた。は、恥ずかしい……)


 夏花はちらりと背後を確認し、すぐにその心配は杞憂だったことに気づいた。巴の視線は激しい剣幕でこちらに向かってくる冬史郎に釘付けで、夏花の屁のことなど全く耳に入っていないようだったのだから。

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