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33:三者面談(後)

 バアちゃんと向き合った担任の小早川(こばやかわ)先生は、おれのことを普段よりも三割増しで褒めてくれた。

 もともとおれは真面目な方だし、成績だってそんなに悪くない。「最近は授業中に居眠りをすることも少なくなった」と言われて、おれは苦笑いを浮かべた。


「山田は進学希望だったな。山田の成績なら、充分希望の大学に行けると思うぞ。もちろんご家族の意向や、体質とかの兼ね合いもあるんだろうが……」


 三者面談前に提出した進路希望の用紙を眺めながら、先生が言った。

 小早川先生は体育教師らしく大柄で声が大きく、熱心で親切な先生だ。体育の授業中によくブッ倒れるおれのことも、いつも気にかけてくれている。

 

「アタシも両親も、薙がやりたいようにさせてやるつもりですよ。進学した方が、将来の選択肢も広がるだろうしねえ」

「……ちゃんと就職できるか、わかんないけど」

「何言ってるんだい。アンタは頭も良いし、アンタが望むなら何にでもなれるよ」


 バアちゃんが皺くちゃの手で、おれの髪をガシガシと撫でた。先生の前で小っ恥ずかしいが、おれの意向を尊重してくれるのはありがたいことだ。

 とはいえ、まだ高校二年の秋である。進路の話はそこそこに、「体調にはくれぐれも気を付けろよ」というアドバイスを受け、面談は無事終了した。おれが褒められて、バアちゃんも満足げだった。


「ありがとうございました」


 バアちゃんと二人で教室から出ると、おれの次に面談をする予定の陽毬が立っていた。陽毬は普段よりも強張った表情で、「おつかれさまです」とぎこちない笑みを浮かべている。

 陽毬の隣に立っているのは、濃紺のスーツを着て、シルバーフレームの眼鏡をかけた中年男性だった。おそらく、陽毬の伯父さんだろう。穏やかで真面目そうな人だったが、こちらを見つめる瞳は冷ややかだ。


「こ、こんにちは」


 軽く頭を下げて挨拶をしたけれど、ふいと視線を逸らされてしまった。バアちゃんとすれ違いざま、小声で「吸血鬼か」と呟くのが聞こえた。

 教室に入る寸前、陽毬がこちらを振り向いた。なんだか縋るような、不安げな表情だった。彼女の様子が気にかかって、おれはその場から動けなくなる。


「薙。アタシは零児の母さんとお茶して帰るけど、アンタはどうするんだい」

「……ごめんバアちゃん。おれ、もうちょっとここにいる」

「そうかい。じゃあ、先に帰るよ」


 バアちゃんは深く追及することなく、背筋を伸ばしてシャキシャキと歩いて行った。

 その背中を見送った後、おれはこっそりと教室の扉に耳をくっつけてみる。小早川先生の大きな声は、ここまでよく聞こえてきた。


「一番ヶ瀬はすごく真面目で授業態度も良くて、委員会活動にも積極的で、誰にでも親切です。もちろん成績も優秀ですし、僕の方から何も言うことはありませんよ」


 小早川先生はおれの三倍くらい陽毬のことを褒めたけれど、当然の評価である。もっと褒めてもいいぐらいだ。おれは盗み聞きをしながら、うんうんと力強く頷く。

 陽毬の伯父は「そうですか」と興味なさそうな声で答えた。もっとちゃんと褒めてやれよ、と他人事ながら腹が立ってくる。

 こっそりと中を覗いてみると、陽毬は俯きがちに下唇を噛んでいた。


「一番ヶ瀬は……就職希望か。この成績ならどこの大学でも狙えるし、もったいない気もするが」

「いえ、いいんです」

「国公立なら学費の負担も少ないし、奨学金制度もあるし……どうですか、伯父さん」

「いずれにせよ、私には関係のないことです」


 先生の問いかけを、陽毬の伯父はぴしゃりとシャットアウトした。怖い顔で腕組みをして、「これ以上話すことはない」という意思表示をしているようだ。

 小早川先生が、困惑したように眉間に皺を寄せる。


「関係ないって……ねえ……」

「この子の面倒を見るのも、高校を卒業するまでという約束ですから。今日ここに来たのも、後からとやかく言われる方が面倒だと思ったからです。卒業後にこの子がどこで生きようが、私には関係ない」

「一番ヶ瀬さん。本人の前で、言うことじゃあないでしょう」


 小早川先生の声に怒気が滲む。おれのはらわたも煮え繰り返りそうになっていた。

 どうして、こんなにいい子の陽毬に対してそんなことが言えるんだ。怒りのあまり身体が震える。いつのまにか、拳を固く握りしめていた。


「先生、大丈夫です。わたし、気にしてません」

「もういいですか。仕事を抜けて来ているんです」

「あ、ちょっと……」


 陽毬の伯父は立ち上がり、小早川先生の制止も聞かずに教室から出てきた。慌ててその場から飛び退いたおれと、ばっちり目が合う。


「……なんの用だね」


 眼鏡越しの冷たい目が、おれのことを鋭く睨みつける。「陽毬をなんだと思ってるんだ」とよっぽど怒鳴りつけてやりたかったけれど、部外者のおれが言えることなんて何もない。

 おれが黙っていると、そのまま背を向けて歩き出した。


「……お、伯父さん」


 教室から出てきた陽毬が、スーツの背中に向かって声をかける。彼は足を止めたけれど、振り向くことはしなかった。


「今日、来てくれてありがとうございました。忙しいのにごめんなさい」


 陽毬の声が震えている。制服のスカートを握りしめる手が、色を失って真っ白になっている。


「……高校卒業後は、好きにするといい。俺は、おまえがどこで生きようが死のうがどうでもいい」

「……はい」

「ただ死ぬなら俺の知らないところで、迷惑のかからないように死んでくれ」


 あまりの言い草に、おれは全身の血液が爆ぜるような怒りを覚えた。おれが凶暴で野蛮な吸血鬼だったら、きっとこの場で喉元に噛みついていただろう。もっとも、このおっさんの血なんて飲みたくもなんともないが。


「……わかってます、伯父さん」


 怒りに震えるおれの隣で、陽毬は健気に微笑む。陽毬の伯父は何も言わず去っていく。それを見送る陽毬の笑みは、まるで精巧な仮面のようだった。


「一番ヶ瀬、大丈夫か? ……あれ、山田まだいたのか」


 一連のやりとりを聞いていたらしい小早川先生が、教室から心配そうに顔を出す。

 陽毬は「平気です。失礼しました」と言って、おれの手をそっと握りしめた。


「行きましょう、薙くん」


 おれは陽毬に手を引かれるがまま、放課後の廊下を歩く。二人ぶんの上履きの音がぺたぺたと鳴る。

 グラウンドから響く野球部の声も、音楽室から漏れ聞こえるトランペットの音も、なんだか別世界の出来事のようだ。今この世界には、おれと陽毬の二人しかいないような気持ちになる。繋いだ手はまるで氷のように冷たい。なんとかして温めてやりたくて、力強く握りしめた。

 陽毬が誰かに必要とされたいと強く願う理由に、おれはようやく辿り着いた気がしていた。明るくて誰からも愛される彼女は、ガラス細工のように壊れやすい部分を隠し持っている。

 そんな弱さも危うさも全部、おれに曝け出してくれたら――おれはこの世界の誰よりも、彼女のことを甘やかして大事にしてやるのに。


 当てもなく歩いていたおれたちが行き着いたのは、いつもの暗室だった。ポケットから鍵を出したおれは、陽毬と二人で中に入る。

 扉が閉まって闇に包まれた瞬間に、おれは陽毬を抱きしめていた。


「……薙くん……」


 突然のことだったけれど、陽毬は嫌がらなかった。おれの背中に腕を回して、優しく撫でてくれる。なんだか、こちらが慰められてるみたいだ。きっと陽毬の方が泣きたいだろうに、おれが泣きたくなっている。


「陽毬、おれ……」


 伝えたいことはたくさんあるはずなのに、何も言えなくなってしまう。好きな女の子が傷ついているというのに、気の利いた慰めの言葉なんて、何も思い浮かばない。おれが彼女にしてあげられることなんて、ひとつしか思いつかない。

 おれは彼女の耳に唇を寄せて、喉の奥から絞り出したような声で告げた。


「……陽毬が、欲しい」


 ただそれだけのことで、この子が喜ぶことをおれは知っている。おれは彼女を欲しがることでしか、彼女を救ってあげられない。本当はもっと何かを与えられたらいいんだろうけど、きっと彼女はそれを望んでいない。

 背中に回した腕に力をこめたのは、血に飢えていたからではなく、彼女を安心させたかったからだ。君のことをどうしようもなく必要としている男がここにいるのだと、彼女に伝わるように。

 陽毬は今にも泣き出しそうに表情を歪めた後、そっとおれの胸に頰を擦り寄せてきた。先ほどまでの様子からは想像もできないくらい、柔らく穏やかな笑みを浮かべている。おれの心臓の音を確認するかのように目を閉じた陽毬が、微かな声で呟いた。


「……全部、あげます」

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