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12:ようこそ月城町(前)

 月城町の駅前には、巨大な城跡がある。かつてこのあたりを治めていた吸血鬼・十六夜(いざよい)麟太郎(りんたろう)が築いた城だ。未だにこの地区に吸血鬼が多く住んでいるのは、そういった歴史の名残りである。

 十六夜城は別名「蝙蝠城」とも呼ばれており、そびえ立つ天守閣も周囲を囲む石垣も真っ黒だ。城マニアのあいだでは結構人気があるらしい。現在は大きな公園になっている。

 かつては人間にとって恐怖の象徴であったであろうその城は、今となってはのどかな観光名所である。雑誌にデートスポットとして取り上げられることもあり、展望台にある鐘をカップルで鳴らせば永遠に結ばれるとかナントカカントカ。十六夜氏も、まさか後世に自分の城がカップルの聖地扱いされているとは思うまい。

 この十六夜城跡がデートスポットとして名を馳せているのは、その景色の美しさにある。今日の昼間は晴れていたこともあり、沈み行く夕焼けが真っ赤に燃えており、黒い天守閣とのコントラストが映えている。しかし、おれにとっては夜の闇の方がよほど美しく感じるし、早く沈んでくれよ、と思うばかりだ。


 ぼんやりそんなことを考えていると、見慣れたポニーテールが向こうから歩いてきた。一番ヶ瀬さんだ。いつもの制服姿ではなく、シンプルなシャツにプリーツスカートを合わせている。おれの姿を見つけると、ぱっと表情を輝かせて駆け寄ってきた。


「薙くん! お待たせしました。迎えに来てくれてありがとうございます」

「いや、別に……」

「今日はお世話になります」


 そう言って、彼女はニコッと笑みを浮かべた。手に持っている紙袋は、有名な老舗和菓子店のものだ。おそらく手土産か何かを持ってきてくれたのだろう。別に、気を遣ってくれなくてもよかったのに。


「薙くんのおうち、近くなんですか?」

「うん、歩いて十分くらい……」


 そう答えて、おれは一番ヶ瀬さんと並んで歩き出した。

 月城町は吸血鬼が多く住んでいるとはいえ、他の街と比べて大きな違いがあるわけではない。商店街のアーケードがやたらと堅牢だったり、街灯が全体的に薄暗かったり、通りかかる居酒屋の看板に、「新鮮な血液入荷してます」と書いてあるぐらいだ。それでも彼女は興味深そうにキョロキョロしていた。


「隣町に住んでるのに、このあたりまで来るのは初めてです」

「……まあ、用事がなきゃ来ないよな」

「あ、でも十六夜城公園は小学校のときに社会見学で来ました。歴史のある、立派なお城ですよね」


 一番ヶ瀬さんの話を黙って聞いていたおれだったが、ふと視線を感じて、ちらりと彼女の背後に目を向ける。

 おれの隣にいる一番ヶ瀬さんのことを、パチンコ屋の前に座り込んだ男がじっと見ていた。頭の先から爪先までをじろじろと眺めた後で、真っ白いうなじで視線が止まる。まるで値踏みするような視線に、おれの方がぞっとした。

 彼女自身に自覚はないのかもしれないが、処女の生き血は吸血鬼にとってご馳走である。最近はそれほど凶悪な事件はなくなったといえ、日が暮れてからは若い女が月城町を一人で歩くべからず、は暗黙のルールとなっている。

 おれは思わず彼女の肩に腕を回し、華奢な身体を引き寄せていた。目を丸くした彼女に向かって、小声で「ごめん」と囁く。


「……嫌かもしんないけど、このへん治安良くないからさ……」

「……いえ、ありがとうございます」


 一番ヶ瀬さんもおれの意図を察したのか、そっとおれの胸に頭を寄せてきた。ポニーテールの髪から甘い香りが漂ってくる。その場の勢いでやってしまったが、相合傘をしたあの日よりもずっと距離が近くて、どうにも照れ臭い。

 なんで女の子って、こんなに柔らかくていい匂いがするんだろう。首よりも指よりももっと柔らかな場所に牙を立てたらきっと気持ち良いのだろうな、なんてことを考えて、死にたくなった。

 ……ああ、おれはさっき彼女を見ていた男と、なんら変わりはない。


 しばらく歩いたところでようやく家の前に着いて、おれは慌てて一番ヶ瀬さんから離れた。おれが住んでいるのはなんの変哲もない一戸建てだ。大きく深呼吸をしてから、ゆっくり扉を開ける。


「……バアちゃん。ただいまー」

「お邪魔します」


 おれの後についてきた一番ヶ瀬さんが、おずおずと玄関に足を踏み入れる。

 リビングに続く扉が開いて、ブランド物の真っ黒いマント(高価なのだろうが、ずいぶんと時代遅れだ)を纏ったバアちゃんが顔を出した。一番ヶ瀬さんが来るからか、張り切ってオシャレをしたらしい。


「いらっしゃい。おやおや、よく来たね」

「はじめまして。薙くんのクラスメイトの、一番ヶ瀬陽毬です」


 一番ヶ瀬さんは人好きのする笑顔を浮かべて、ぺこりとお辞儀をする。「これ、よかったらどうぞ」と持ってきた和菓子の袋をそつなくバアちゃんに手渡した。


「ここのお饅頭、すっごく美味しいんです。おばあさま、甘いものはお好きですか?」

「もちろん。アタシは大の甘党でね。あとでお茶と一緒にいただくよ、ありがとう」


 前々から思っていたけれど、一番ヶ瀬さんは大人に好まれそうな振る舞いが得意である。学校の教師もみんな、彼女に好感を抱いているのがわかる。バアちゃんも例外でなかったらしく、一番ヶ瀬さんを見て満足げに頷いた。


「薙。アンタの言う通り、可愛いしいい子だねえ」

「バッ……バアちゃん! 余計なこと言うなよ!」


 一番ヶ瀬さんのことを「可愛い」と評していたのをあっさりバラされて、おれは泡を食った。

 隣にいる彼女の様子をおそるおそる窺ってみたが、特に気にした様子もなく、ニコニコ笑っている。彼女ほどの美少女になると、「可愛い」なんて言われ慣れているのだろう。一人で意識しているおれがバカみたいだ、とがっくりした。

 

「今日はタンシチューを作ったんだよ」

「わあ、嬉しい。シチュー大好きです」

「薙はクリームシチューの方が好きだから、あんまり作る機会がなくてねえ……赤ワインで牛タンを長時間煮込むのが美味しさの秘訣だよ」


 バアちゃんはそう言いながら、一番ヶ瀬さんをダイニングへと案内していった。いつもは二人で囲んでいる大きなテーブルを、今日は彼女と一緒に囲む。

 最初に誘ったときには遠慮がちだった一番ヶ瀬さんも、特に緊張した様子はなく、フレンドリーにバアちゃんと会話を交わしていた。おれは口数の多い方ではないので、フォローの必要がなくてホッとした。


 和やかな雰囲気で食事が進み、おれたちはデザートのチョコレートムースまできれいに平らげた。バアちゃんが赤ワインのボトルを一本空けたところで、「ところで」と切り出す。


「陽毬ちゃん。うちの薙に血を飲ませてくれてるんだって?」


 ついにきた。突如として投げかけられた質問に、妙な緊張が走る。

 一番ヶ瀬さんは居住まいを正すと、バアちゃんの目をはっきりと見つめながら「はい」と答えた。


「わたしが、薙くんにお願いして、血を飲んでもらってるんです」

「なんでまた、そんなこと……血が有り余ってるタイプには見えないけどねえ」


 バアちゃんは冗談めかしてそう言うと、ワイングラスに口をつける。一番ヶ瀬さんはどう返答したものかと考えていたようだったけれど、ゆっくり口を開く。


「……好きなんです」

「えっ、ええええ、え!?」


 予想だにしていなかった発言に、おれは素っ頓狂な叫び声をあげる。

 待ってくれ、一番ヶ瀬さん。そんなこと、おれは一度も聞いてないぞ。いや、嬉しくないわけじゃないけど、この状況で言われるのはちょっと……!

 ぐるぐると思考を巡らせているおれに、一番ヶ瀬さんはニコッと微笑みを投げかけた後、再びバアちゃんの方に向き直っていった。


「薙くんに、血を飲んでもらうのが」


 あー……そうだよな……。

 わかりきっていたことなのに、おれはがくっと脱力した。一瞬でも妙な期待をしてしまった自分を殴りたくなる。

 一番ヶ瀬さんのような人が、おれのような冴えない男を好きになるはずもない。彼女が求めているのは、単に「自分を必要としてくれる人」なのだ……。

 ひっそりと落ち込んでいるおれをよそに、バアちゃんはニッと口を開けて笑った。そうすると、おれのものより数段鋭い牙が覗く。あんなものに噛みつかれると、かなり痛いだろう。それでも一番ヶ瀬さんは平然と言った。


「おばあさまも、わたしの血飲みますか?」

「変わった趣味だねえ。痛いのが好きなのかい?」

「いいえ。わたし、誰かから求められるのが好きなんです」

「アッハッハ! アタシは遠慮しとくよ。この年齢トシで若いお嬢さんの生き血なんて飲んだら、胃もたれしちまう」


 バアちゃんはそう言って、ひらひらと片手を振った。それからおれの方を見て、意味ありげに唇の片側をつり上げる。


「薙、面白い子じゃないか。大事にしてあげなよ」


 おれは昔から、すべてを見透かしたような、バアちゃんのルビーのような真っ赤な瞳が苦手だった。「別におれは……」と口ごもるおれを、一番ヶ瀬さんはきょとんとした表情で見つめていた。

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