『評論文の解明』番外編
『評論文の解明』番外編
㈠
『評論文の解明』で述べ足りなかった、所謂諸現象を、此処に述べておく。評論文の内容の倒錯であるが、小説に対して自己を見る時、評論文とは自己表現になる訳である。小説から離れて、自己を模索するかの様である。それは、小説を解明していなくても、一つの文章になることは、間違いない。
㈡
この、小説と、評論文の、論点のズレ、についてであるが、これは近現代には特に顕著に表れた傾向である。勿論、この評論文すら、小説として認識するならば、今度は、評論文に対する評論文が生まれていることに、着目せねばなるまい。
㈢
例えば、メディアで述べられる意見に対する、一般人の、意見に対する意見の様なものだ。これを繰り返せば、意見に対する意見、更に、その意見に対する意見が生まれよう。評論文とは、その端緒になったもののことを指すのである。『評論文の解明』の番外編として、この事実を、一つ述べておく。