第九十四夜
「………」
アーテル達に遅れて転移したグレゴリウスは、マルクトに佇んでいた。
傍には共に転移したソフィーが居るが、既に彼女のことは意識の外だ。
意識は全て、目の前に立つ『因縁の相手』に向けられていた。
「―――」
群青色のマントを纏った長身の男。
豊かな髭を持つ凛々しい顔立ちの男だが、肌の色は死人のように青褪めている。
「さて…」
外見に危険を感じる要素は一つも無いのに、どこか最も人間からかけ離れた雰囲気を持つ存在。
最後のメガセリオン。
最初にして最強の獣がそこに立っていた。
「カインならようこそ、などと言う所だろうが…生憎と、私はお前達を歓迎する気など無い」
男の纏う青褪めた霧が段々と濃くなっていく。
「わざわざここまで来て、徒労だったな」
暗く冷たい闇夜そのもののような霧が迫る。
言葉を交わす気すらない、と言うように何の躊躇いも無く死の一撃が放たれる。
「雷霆よ…!」
しかし、それは銀の槍より放たれた紫電によって防がれた。
全てを包み込むような霧は、激しい電熱によって蒸発する。
「…十三年ぶりの再会だと言うのに、挨拶もなしか」
グレゴリウスは皮肉気な笑みを浮かべてそう告げた。
笑みを浮かべているが、その眼は少しも笑っていない。
むしろ、身の内から溢れそうな憎悪を抑え付けているようだった。
「無いな。私はこれでもカインの次くらいに長く生きている。怒りや憎しみを向けられることさえ、とうの昔に飽いているよ」
「…そうか」
バチッ、と火花が迸った。
槍の穂先から紫電が放たれ、ルナのマントを掠める。
「ならその日々を終わらせてやろう。私がこの手で、その命を絶つことでな!」
「…聞き飽きた台詞だ」
呆れたように呟きながらも、ルナは静かに笑みを浮かべた。
「だがまあ、退屈しのぎにはなりそうか? ずっとこのマルクトで案山子になる日々にも、うんざりしていた所だ」
そこでようやくルナは構えを取った。
「我が名はルナ…」
身に纏う霧を濃くしながら、視線をグレゴリウスへ向ける。
「対応する色は青。役割は死。青騎士『ルナ』だ」
「『邪悪の樹』」
カインの黒い血液が枯れ果てた枝へ変化する。
生命を啜り、枯死させる邪悪の樹。
数多の人間を吸い殺した死の枝だ。
「死ね」
弾丸のような速度で、枯れ枝が伸びる。
無数に分かれながら、その全てがアーテルを狙った。
「チッ…!」
アーテルは糸も使いつつ、枝を全て躱し続ける。
一本でも当たれば、それで終わりだ。
突き刺さった部分から血を残らず吸い尽くされて、木乃伊となるだろう。
「逃げるだけか!」
カインは人差し指をアーテルへと向けた。
ボコボコとその指が膨らみ、弾ける。
「ッ!」
(血の弾丸か…!)
カインの指から放たれたそれは、辛うじて躱したアーテルの後方に着弾した。
メキメキ、と嫌な音が背後から聞こえた。
「何…!」
振り向いたアーテルの目に、無数の枝が映る。
枯れ果てた枝は、血の塊が着弾した地面から伸びていた。
先程のカインの攻撃は弾丸ではなく、種子だったのだ。
「チェックメイトだ」
前後を無数の枝に囲まれたアーテルを見て、カインは嘲笑を浮かべる。
「それは、こっちの台詞よ!」
その隙を突くように、クリスはカインの背後から銃口を向けていた。
カインが振り返るよりも速く、引き金を引く。
瞬間、地面から伸びた新たな枝がクリスの体を締め上げた。
「ぐ…うう…!」
「大人しくしていろ。この力は加減が難しいんだ」
冷めた目を向けながらカインは呟く。
その気になれば今の一撃でクリスを殺すことも出来た。
だが、そうはせず、拘束するだけに加減した。
自身の目的の為、クリスだけは殺す気が無いのだ。
「生憎と、大人しくするのは苦手なのよ…!」
ガリッ、とクリスは自身の指を噛み、血を流した。
傷口から流れ出る血液が浮かび、弾丸となる。
「ファイア!」
放たれた血の弾丸は、有り得ない軌道を描きながら、カインへと迫る。
クリスの能力は必中必殺の弾丸。
それはカインの枝の間を潜り抜け、その心臓を撃ち抜いた。
「ッ…」
不死身のカインにとって、それは致命傷ではない。
しかし、それでも生物として重要な器官を破壊されて何ともない筈が無い。
すぐに再生するとは言え、僅かに動きが鈍るのは仕方のが無いことだった。
そして、その隙にアーテルは枝の包囲網から抜け出す。
「…本当に鬱陶しい奴らだ。こんなことをしても、時間稼ぎにしかならないと何故分からん」
数秒で心臓を修復し、カインは二人を殺気立った目で睨んだ。
(…そう、時間稼ぎだ)
カインを油断なく睨み返しながら、アーテルは思う。
ここまでは、計画通りだ。
アーテル達ではカインに勝てない。
少なくとも、今はまだ。
今のアーテル達の役割は時間稼ぎだ。
カイン相手に死なず、戦い続けることが勝利に繋がる。
(頼んだぞ、グレゴリウス…!)
(この二人、両方とも化物ですね…)
グレゴリウスとルナの戦いを少し離れた所から見るソフィーは内心思った。
メガセリオン最強のルナはともかく、それと渡り合っているグレゴリウスも大概だ。
恩寵を取り戻してから以前よりも強くなったらしいが。
同じ大司教であるルキウスより強いのではないだろうか。
(っと、どうせこの場にいても私に出来ることは無いし、転移しないと…)
そう考え、ひそかにその場から逃れようとするソフィー。
だが、何故か能力を使うことが出来なかった。
普段は手足のように使える秘跡が、全く使えない。
(まさか、またカインに干渉されて…?)
「!」
ルナと戦い続けるグレゴリウスは、思わず目を見開いた。
銀の槍が纏っていた紫電が、霧散するように消えてしまったのだ。
「私の前では全ての神秘は無力化される」
周囲を霧で覆い尽くしながら、ルナは呟く。
近くに聞こえたその声の方へとグレゴリウスは槍を振るった。
槍はグレゴリウスを貫いたが、その体は霧化して消える。
(幻影…? いや、違う…!)
槍が触れるまでは確かに実体があった。
アレは偽者ではない。
本物のグレゴリウスが、自身の肉体を霧に変えたのだ。
「故に我が呪禁の名は無神論。お前達の神を否定する呪いだ」
肉体の霧化と神秘の無効化。
それこそが青騎士ルナの能力だった。




