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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
一章 愛の獣
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第九夜


「コレでもう大丈夫だ。今は眠っているけど、すぐに目覚めると思う」


太陽が沈み、空に月が浮かんだ頃、治療は終わった。


「ありがとうございます…! 何とお礼を言って良いか…!」


村長は涙を流しながら深々と頭を下げた。


アメリアが狼狂病になったと聞いた時には心臓が止まりそうな思いだったが、アーテルは孫を無事に治してくれた。


何度も何度も頭を下げる村長を見て、アーテルは困ったように苦笑する。


「礼なら、そこで貧血で倒れている人に言ってくれるかな?」


そう言って指差した先には、ぐったりと椅子に座るクリスが居た。


アメリアの治療の為に大量の献血した結果、貧血を起こしているのだ。


「ええ、勿論です! 聖女様には感謝の言葉もありません…!」


「…どういたしまして」


返事をするのも億劫そうにクリスは言った。


村長に用意して貰ったお茶を口にしながら、視線をアーテルへ向ける。


「…確かに、血を好きなだけ持っていけと言ったのは私だけど」


アーテルを見つめるクリスの眼に、非難の色が宿った。


「本当にあんなに血を抜く必要があったの?」


先程のことを思い出し、クリスの顔が僅かに青褪める。


献血の注射を怖がるような歳では無いが、次々と己から大量の血が抜かれていく光景は、二重の意味で血の気が引いた。


「ただの輸血じゃないからね。アメリアの病気を治す為に色々と治療法を試す必要があったから、多めに血を使わせてもらったよ」


「それなら良いけど…」


「まあ、余った分は俺が少し貰ったけど」


「おい」


いけしゃあしゃあと言うアーテルの肩をクリスが掴む。


この男、さり気なく何をしているのか。


「私の血を何に使う気よ」


「聖女の血は貴重な研究資料なんだよねー。コレがあれば狼狂病の研究がスゴイ捗るんだよねー」


「………」


まあ、理屈は分かる。


白日教会でも聖人聖女の血の研究は日々行われている。


その特殊な血の全てを解明できれば、多くの狼狂病者を救うことが出来るだろう。


「…まあいいわ」


小さく息を吐き、クリスは会話を終えた。


献血した血を返して貰ってもこっちが困るし。


(…それはそれとして)


クリスはちらりと家の奥の部屋を見た。


そこにはアメリアが寝ている。


未だ目を覚まさないが、既に皮膚に浮かんでいた黒い痣が消えていた。


狼狂病はアーテルの言う通り、ほぼ完治している。


(本当に、開花した狼狂病者を治した…)


いくらクリスの血を使ったからと言って、普通は有り得ないことだ。


開花まで症状が進んだ狼狂病者を治すことは、白日教会の人間でも出来ない。


聖人の秘跡サクラメントを使っても、治せないのだ。


(この男は何者? まさか、教会に認知されていない聖人?)


本来、聖人とは素質ある人間が白日教会の『修道院』で修行を積むことで秘跡を得る。


だが、生まれつき秘跡を持つ者もごく稀に存在するのだ。


当然そんな人間はすぐに白日教会に見出される筈だが、絶対とは言い切れない。


教会の眼に入ることの無かった聖人が、狼狂病を治癒する力に目覚めたのか。


(でも、秘跡を使った気配はしなかった。だとすれば、あのワクチンに何か秘密が?)


「…ん?」


無言で考え事をしていたクリスは小さく声を上げた。


普段は服の中に隠しているペンダントを取り出す。


アーテルを一瞥してから、音を立てずに家の外へと出ていく。


「…コルネリアさん?」


『はい。私です』


クリスが表面に刻まれた大樹を指で撫でると、ペンダントから女の声が聞こえた。


コレは『聖銀のペンダント』と呼ばれる道具だ。


聖人と聖女に支給されるそれは身分を保証する物であると同時に、聖都と連絡を取る為の通信機の役割も持っている。


クリスがもう一度大樹の模様を撫でる。


すると今度は虚空に映像が展開された。


『どうやら、任務は無事に達成できたようですね』


映し出されたのは、黒縁の眼鏡をかけた知的な印象を受ける女だった。


端正な顔立ちをしているが、その表情は氷のように冷たく、近寄り難い雰囲気を持つ。


白日教会では一般的な修道服を着ているが、その性格を表すように暑苦しい程に露出が無い。


年齢は二十代半ば程だが、雰囲気のせいかそれよりもやや上に見えることもあった。


「ええ、終わったわ。少し貧血気味だけどね」


『どこか負傷でも?』


「いえ、こっちの話」


事務的なコルネリアに苦笑しながら、クリスは首を振る。


「それより、私に何か用? 報告前にそちらから連絡して来るなんて珍しい」


クリスはコルネリアに探るような目を向けた。


それなりに長い付き合いだが、この女は雑談など好むような人間じゃない。


あちらから連絡してくる時は、新たな任務か何かトラブルが起きた時だけだ。


『人狼が現れました』


「人狼? 次の仕事ってことかしら?」


『第四都市『ケセド』付近で目撃されたこの人狼は、人間と殆ど変わらない姿をしていたらしいです』


「!」


クリスの表情が変わった。


激情を宿した瞳がコルネリアを食い入るように見つめている。


『目撃情報によると、若い女の人狼。どうしますか?』


「行くに決まっているでしょう…! ずっと探していたんだから!」


興奮を隠せない様子でクリスは叫ぶ。


そう、ずっと探していたのだ。


人狼でありながら、人間と変わらない姿をした存在。


年若い女の形をした人狼。


それだけでその人狼がクリスの探している相手とは限らないが、見逃すことなどできはしない。


「ケセドならここから近い…! 絶対に、私が行くわ!」


『…分かりました。元々、そう言う契約でしたからね』


あくまで事務的にコルネリアは了承する。


クリスは白日教会で正式に聖女と任命された時、一つ条件を出していたのだ。


どんな任務、どんな依頼にも応じるが、その代わり若い女の姿をした人狼を発見したら優先的に任務を受けさせて欲しいと。


若く才能溢れるクリスの要求は、快く認められていた。


『詳しい情報は改めて報告します。ご武運を』


そう言ってコルネリアは通信を切った。


「…ッ!」


まだ興奮が収まらないクリスは一人空を見上げる。


長かった。


聖女となって既に五年。


多くの人狼を狩ってきたが、人型の人狼を見つけたのは初めてだった。


ケセドの近くに現れたと言うその人狼が探していた相手であることを神に祈る。


今度こそ、逃げない。


クリスはその人狼をこの手で殺すのだ。


「あんまり外に出てると風邪をひいちゃうよ?」


強く決意するクリスの背にアーテルが声をかけた。


「村長が夕飯の用意が出来たってさ」


「…ええ。分かったわ」


家へと戻っていくアーテルの後に続くクリス。


その顔には、昏い感情が浮かんでいたが、背を向けたアーテルは気付かなかった。

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