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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
五章 赤の獣
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第八十三夜


「………」


カインの襲来から数日後、アーテルは聖都の病院に居た。


今まではすぐに治っていた傷が、妙に治りが遅い。


それは一時的とは言え、完全に獣化した為か。


それとも逆に、肉体が人間に戻りつつあるのか。


「その傷、痕が残るそうだな」


ふとアーテルの耳に男の声が響く。


声の主、ルキウスはアーテルの包帯が巻かれた右手を見ていた。


酷い火傷と銃創。


暴走した際にクリスから受けた傷だった。


医者の話では、この傷だけは跡が残るだろうと。


「ああ…その方が良い」


アーテルは苦笑を浮かべて呟く。


絶望に沈み、暴走した結果、皆を傷付けた証。


コレがアーテルの体に刻まれている限り、もう二度とアーテルは暴走することは無いだろう。


「…そっちの腕は、どうなんだ?」


「俺の方は大丈夫だ。もう何ともない」


ルキウスは腕を軽く振って見せる。


暴走するアーテルの糸を受け、黒く変色していた部分だ。


「あの糸に触れていた時はぴくりとも動かなかったが、一時的な物だったようだな」


「それは良かった。本当に」


「結果的に何ともなかったんだから、そんなに気にするな」


そう言ってルキウスは笑みを浮かべた。


「君は本当に、良い奴だよ」








コツコツと靴音を鳴らしながら、クリスは大聖堂の廊下を歩く。


教皇から直々に頼まれた仕事が終わったので、その報告に来たのだ。


「………」


ふと足を止め、クリスは窓の外を眺めた。


カインの襲来から数日が経った。


最悪の結果にこそならなかったが、神樹セフィロトはカインによって破壊されてしまった。


白日教会のシンボルである神樹は完全に枯れてしまい、もう元には戻らないそうだ。


(…セフィロト、か)


信心深い者の中には災厄の前触れと言った者も少なからずいたが、今の所は何も起こっていない。


神から与えられた秘跡も問題なく使用できている。


そもそも、自分はあの神樹についてどれだけ知っていたのだろう。


かつて第一都市ケテルが作られた際に植えられた神聖な樹であるとは聞いている。


何百年も前の話だ。


あの樹の歴史は白日教会の歴史よりも古い。


カインの狙いは初めから教皇では無く、セフィロトだったと言う。


単なるシンボルと言うだけでは無い。


セフィロトには何か重大な意味があったのではないか。


(そう言えば、聖都に入ると獣は弱体化するって聞いた気が…)


そこまで考えた所で、クリスは教皇室の前に来ていた。


一先ず考えを止め、扉をノックする。


「教皇様。クリスです」


しかし、返事は無かった。


聞こえなかったのか、ともう一度ノックする。


「教皇様…?」


それでも反応が無く、クリスは首を傾げた。


軽く扉を押すと、どうやら鍵は掛かっていないようだった。


僅かに躊躇った後、クリスはそっと扉を開ける。


そして、クリスの目に入ってきた光景は…


「本日の紅茶は私のオリジナルブレンドを用意させていただきました。お口に合えば幸いです」


白銀の髪をオールバックに纏め上げたスーツの男が、慇懃に紅茶を注ぐ姿だった。


真っ白なテーブルの上には紅茶だけでなく、クッキーやスコーンなども並べられている。


「ありがとう。この紅茶もお菓子もとても美味しいよ、グレゴリー」


「恐縮です」


笑顔で告げるヨハンナの言葉に、丁寧な仕草で頭を下げる執事風の男。


二人の端正な容姿も相俟って、まるで絵画のようなティータイム風景。


クリスは思わず己の目を疑った。


何度も目を擦っても、目の前の光景は変わらなかった。


「ぐ、グレゴリウス…?」


そう、その謎の執事の正体はクリスも良く知るグレゴリウスだった。


今まで見てきた彼のイメージと今の彼が重ならず、クリスは顔を引き攣らせる。


と言うか、この二人ってこんなに仲が良かったか?


「混乱は尤もだと思います。クリス様」


「あ、コルネリアさん。居たのね」


何故か部屋の隅に立っていたコルネリアは、クリスの下に近寄りながら言った。


「貴女からすれば信じ難いことでしょうが、この男は元々こういう男なのです」


「ええ…?」


「ユリア様がご健在の頃は、家事能力皆無な彼女の代わりにヨハンナ様や私の食事を用意してくれたり、お菓子を作ってくれたりと、それはそれは使用人の如く」


「い、意外と器用な人だったのね。正直、もっと武人肌な人かと」


「そうです」


言葉では褒めつつも、どこか不満そうにコルネリアはヨハンナを見つめた。


自分の仕事を取られたとでも思っているのだろうか。


「グレゴリー、紅茶のお代わりをお願い。あとお菓子も」


「かしこまりました。そろそろ新しいクッキーが焼きあがっている筈です」


「ん。ありがとうね」


完璧な態度で立ち去るグレゴリウスに笑みを浮かべるヨハンナ。


何だか、ヨハンナの方もいつもとキャラが違うような気がする。


「教皇様が長年あの男との距離感で悩んでいましたので、その反動が出ているのでしょう」


「と言うと?」


「具体的には、以前同様にあの男を兄のように思っているのかと」


確かに、言われてみれば今のヨハンナはいつもより幼く見える。


幼少の頃のように、グレゴリウスに兄妹のように甘えたいのかもしれない。


まあ、ヨハンナも大人びて見えるが実年齢はクリスと同じ十九歳。


たまには誰かに頼り、弱さを見せるくらい普通かもしれないが。


「…って言うか、さっきから何かコルネリアさん。グレゴリウスに棘が無い?」


「…別に、槍で刺されたことを恨んではいません」


恨んでいるのか。


それはまあ、恨むだろうな。


軽く死にかけたし。


「私の私怨はともかくとして、あまり教皇様にあの男を近付けたくないのです」


「どうして?」


「それは…」


「グレゴリー、肩を揉んでくれない?」


コルネリアの言葉を遮るように、ヨハンナが言った。


「こんな感じでよろしいですか?」


「ん。強すぎず弱すぎず、丁度いいわ…ふわぁ」


肩を揉まれながら、ヨハンナは小さくあくびをする。


「お疲れのようですね」


「うん。まあ、最近は忙しいからね。あまり眠れてなくて…」


「少し仮眠を取ってはどうですか?」


「え? いや、まだしないといけない仕事が…」


「私が出来る範囲で終わらせておきますから。少しの間だけでも休養を…」


そんな二人の会話を眺めながら、コルネリアは頭痛を感じるように頭を抱えた。


「…こんな風に、世話を焼き過ぎて相手をダメにしてしまうのがあの男の欠点です」


「うわぁ…」


「ユリア様が生活力皆無となったのも、実はあの男が世話を焼き過ぎたことが原因では無いかと最近は考えています」


きっと本人に悪気は無いのだろう。


尚のこと性質が悪い。


「ほらほら! もう休憩は終わりですよ! グレゴリウス様も! あまり教皇様を甘やかさないで下さい!」


そんなコルネリアの大声で一先ず部屋の緩い空気は霧散したのだった。

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