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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
一章 愛の獣
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第八夜


「どうして…!」


村を走りながらクリスは叫ぶ。


今のクリスの頭を支配するのは、それだけだった。


訳が分からない。


どうして、人狼が住処に居なかったのか。


どうして、人狼が日中に人を襲っているのか。


「…まさか」


嫌な予感が頭に浮かび、クリスの顔が青褪めた。


「何か分かったのか!」


「『デイウォーカー』」


ぽつり、とクリスは答える。


「人狼は本能的に太陽を嫌うけど、決して日光の下で生きられない訳じゃない。だから稀に、昼夜が逆転した人狼が現れることがある」


本来夜行性である人狼が、夜に眠り、昼に活動する。


一転して人間だった頃と似たような行動を取り始める人狼。


それがデイウォーカー。


「教会に届けられた資料には犠牲者の数と人狼の外見特徴しか書かれていなかったから気付けなかった! この村の人にとって人狼は昼に襲うものだったんだ!」


この村の人々が人狼について詳しい知識を持っている筈がない。


まさか、人狼が本来夜に襲うなど夢にも思わなかっただろう。


なにせ、この村に現れる人狼はいつも日中に現れるのだから。


「…ッ」


とにかく、早く村長の家へ戻らないと。


この村には人狼と戦える人間が居ない。


放っておけば、アメリアが殺される。


「クリス! 前!」


「!」


全力で走っていたクリスはアーテルの声で、前方に注意を向けた。


どす黒い獣が前から走ってくる。


人狼だ。


狩りを終え、自身の住処へと戻る所なのだろう。


その口には、血に濡れたアメリアの姿があった。


「よくも…!」


カッと頭が熱くなり、クリスは銃を引き抜く。


「ファイア!」


『グ…!』


銀の弾丸が人狼の胸を捉え、僅かに呻いた。


人狼の口からアメリアの体が投げ出される。


『グァ…!』


「何…?」


ぐったりとしたアメリアの体が地面に叩きつけられる寸前、人狼は再びその体に喰らい付いた。


小さな体を口に咥え、大地を蹴る。


「待ちなさい!」


クリス達には見向きもせず、人狼は一心不乱に走り出す。


(まだアレだけ動けるの? 心臓に弾丸を撃ち込んだのに…!)


「追うよ! きっと住処へ戻ったんだ!」


「分かってる!」


その場で反転し、二人は逃げた人狼を追って廃墟へと戻った。








『………』


住処へ戻った人狼は床に置いたアメリアを見下ろしていた。


人狼に噛まれ、血に濡れた小さな体を、喰らうこともせずにただ眺めている。


理性も知性も無い黒く濁った顔が、静かにアメリアへと近付いていく。


「やめなさい!」


『グ…』


声を聞き、人狼の顔が持ち上がる。


アメリアに背を向け、招かれざる者に敵意の眼を向けた。


『グルァァァァァ!』


怒りのままに人狼が吠える。


「傷が…」


自分を大きく見せるように仰け反ったその体を見て、クリスは驚きの声を上げた。


先程弾丸を撃ち込んだ傷が既に再生していた。


並みの人狼を上回る再生力、そしてその体もクリスが今まで見てきたどの人狼よりも大きい。


『グルル…!』


ミチミチと膨張した腕が力任せに振るわれる。


「…ファイア!」


それを紙一重で躱したクリスはカウンターのように、銃口を向けた。


シリンダーに込められた六発の弾丸が瞬く間に全て放たれる。


連続する弾丸が人狼の血と肉を吹き飛ばした。


『グルァァ!』


「コイツ…!」


幾つも傷を負いながら、人狼は攻撃を繰り出す。


クリスは地面を蹴り、人狼から距離を取った。


(コイツ、痛覚が鈍い…! 体が急激に成長し過ぎて、感覚がそれに追い付いていない…!)


人狼とて元は人間だ。


内臓があり、五感もある。


だが、この人狼は感覚が鈍い。


急激に力を付けた代償に、あらゆる感覚が劣化している。


(人狼の核は心臓。だけど、あの体…)


確かめる為に体のあちこちに銃弾を撃ち込んでみたが、一つとして致命傷とはならなかった。


恐らく、あの体は無駄に膨らんだだけの肉の塊。


内臓は外見不相応に小さいのだ。


(銀の弾丸では心臓には届かない。なら…)


クリスは銃をホルスターに仕舞い、代わりに銀のナイフを手に取った。


「ナイフ…? それで攻撃を…?」


「………」


訝し気な顔を浮かべるアーテルを余所に、クリスはナイフを自身の指先に走らせた。


クリスの白い肌に赤い血が滲む。


「『グランス』」


声と共に、その血が形を変えていく。


赤い血が一発の弾丸へと変化する。


クリスは指先を銃口に見立て、人狼へ向けた。


「撃ち抜け! ファイア!」


神の祝福を受けた聖女の血が、弾丸となって人狼の身を貫く。


痛みを感じない人狼は何の躊躇いも無く、それを胸に受けた。


「…喰らったわね、聖女の血を」


『グ…ッ!』


人狼の動きが止まり、その顔に苦悶が浮かぶ。


血の弾丸は肉の鎧に阻まれ、心臓には到達していない。


だが、その身に撃ち込まれた血自体が人狼の血肉を焼いているのだ。


「聖人、聖女は人狼に流れる黒い血『黒血こっけつ』に耐性を持つ。私達は獣に噛まれても狼狂病になることは無い」


それこそが聖人、聖女が教会の戦士と選ばれた最大の理由。


狼狂病への完全耐性。


それが人狼と戦う上で最も必要な素質なのだ。


「私の血はその中でも特別でね。人狼の血が常人にとっての毒となるように、私の血は人狼にとっての毒となる」


『ググ…ガァァァァァ!』


胸を掻き毟りながら人狼はのたうち回る。


体内に入り込んだクリスの血は、人狼の体を内側から焼き尽くす炎となる。


心臓が無事であろうとも、その身はいずれ灰となるだろう。


「死ぬまであと数分って所かしら? 自分が殺して来た子供達の分まで苦しみなさい」


『ガァ…ァァ…!』


煙を噴き出す人狼の体が段々と弱々しくなっていく。


内側から肉を焼かれる熱と痛みに悶えているのだろう。


クリスはそれを冷ややかな目で見下ろしていた。


「………」


「…アーテル?」


そんなクリスの隣を通り、アーテルは無言で人狼へ近付いた。


『グ…ア…!』


それに気付くと、人狼はボロボロの体を動かし、起き上がる。


アメリアを背に隠し、アーテルを睨みつけた。


「何を、しているの? そんなの、まるで…」


クリスは思わず呟く。


そう、それはまるで、我が子を守ろうとする母の姿だった。


「自分の子供を、守りたかったんだね」


静かに、アーテルは呟いた。


「子供を人狼化させたかったんだろう? 自分と同じ人狼に」


最初に自分の子供を連れ去ったのは、自分の子供が奪われたと思ったから。


子供を噛んだのは、自分と同じ人狼に変える為。


「でも、上手くいかなかった」


狼狂病で死んだ人間が全て人狼になる訳では無い。


肉体の状態など様々な要因が重なって、人間は人狼になる。


だからそうならないこともある。


むしろ、そうならない方が多い。


「じゃあ、子供ばかりを狙ったのは…」


「…自分の子供に似ていたから」


自分の子供が死んだ時、人狼にはそれが分からなかった。


正気を失った人狼にとって、それはただ居なくなっただけ。


そしてまた我が子を奪われたと考えた人狼は、子供を奪い始めた。


自分の子供と勘違いして。


『ァ…ァ…ワ、タシ…』


「………」


『…ド、コ…? アノ、コ…ハ………ドコ…ニ…?』


「ッ…」


痛ましいその姿に、クリスは思わず目を背けた。


その肩に優しく手を置き、アーテルはクリスの手から銀のナイフを取る。


「…ここにはもう居ない。迎えに行って、あげるといい」


そう言ってアーテルはボロボロの人狼の体にナイフを突き立てた。


焼け焦げていた人狼の体はそれが致命傷となり、完全に崩壊した








「アメリア…!」


「大丈夫。まだ息はある」


言いながらアーテルはアメリアの傷を診る。


人狼の目的は子供を人狼化することだった。


だから手足に噛み傷はあるが、致命傷は無かった。


これなら命に別状はない。


問題は…


「そんな…!」


アメリアの体を見下ろしていたクリスは思わず声を上げた。


その皮膚に浮かぶ黒い痣。


それは狼狂病の症状だが、その中に『黒い花』のような模様が浮かんでいた。


「もう『開花』している…!」


開花。


白日教会で使われるその言葉は狼狂病の症状の段階を表している。


基本的に体に小さな黒い痣が浮かぶことが初期段階。


それが花型の模様となる『開花』の段階まで症状が進めば、もうワクチンでも治すことが出来ない。


開花の有無は、患者の生死を分ける基準なのだ。


「…クリス。一つお願いして良いかい?」


アーテルは冷静なまま告げる。


「君の血を、分けて貰えないかな?」


「な…」


医療道具を準備しながらアーテルは言った。


医者であるアーテルがアメリアの状態を理解していない筈がない。


その上で、アーテルは治療を諦めていないのだ。


「…確かに、狼狂病のワクチンには聖人の血が使われていると聞いたこともあるけど、開花した者はワクチンでも治せないわよ」


「君の血は、特別なのだろう?」


「…言ってくれるわね」


ギリッとクリスは歯を噛み締めた。


確かにそうだ。


クリスの血は他の聖人よりも特に強力な耐性を持つ。


それでもアメリアの狼狂病を治せる保証はないが、


「そう言われたら、断れないじゃない…!」


クリスは自分の腕をアーテルへ差し出した。


「好きなだけ持っていきなさい。その代わり、必ず助けなさいよ!」


「言われずとも。人として当然のことをするだけさ!」

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