第七十二夜
「コレは、何だ…?」
マルクトを調べていたアーテルは、目の前の光景に呆然と呟いた。
黒血に汚染され、廃墟と化した都市。
カインを探して奥へと進んでいたアーテル達は『樹のような物』を見つけた。
「………」
ような物、と称したのはそれがあまりにも異形の姿をしていたからだ。
聖都の神樹を思わせるような大樹。
だが、神樹とは異なり、それは枯れ果て、葉の一枚も付いていない。
「人の顔、みたいに見えるわね」
人面樹、と言うのだろうか。
幹の表面には無数の人間の顔が浮かんでいた。
まるで生きているように生々しい苦痛に歪んだ表情だ。
「それに、この樹…」
クリスは樹の根元を見つめる。
大地に根を張る不気味な樹は、血溜まりに浸っていた。
植物が水を吸うように、この樹は血を吸って育っているのだ。
『コレが気になるか?』
不気味な樹に目を奪われていた二人は、その陰に立つ人物に気付いた。
『俺達メガセリオンは力を維持する為に人の血肉を摂取する必要があるからな』
それは男だった。
黒いカラスを思わせるマスクを被り、黒革のガウンコートを羽織った男。
『言うなら、我々の食糧庫だ。コイツがあれば、わざわざ外に餌を探しに行く手間が省ける』
そう言いながら、男は手袋に付いた爪で樹の表面を傷付ける。
裂けた樹の傷口から、赤黒い血が垂れた。
『…まあ、定期的に『栄養』を与える必要があるのが、手間と言えば手間だな』
爪に付着した血を舐めながら、男は嗤った。
「アーテルと同じ格好…?」
「…いや」
驚くクリスの隣で、アーテルは目の前の男を睨む。
彼とよく似たマスクだが、その額には第三の眼が覗いていた。
「三ツ目のカラス。お前が、カインか」
『真似した、なんて言うなよ。それはお前の方だ』
くつくつと喉を鳴らしながら、カインは言う。
『かつてお前に呪禁を与えた時、俺はこの姿だった。だからお前は、俺を見つける為にその恰好をしているのだろう?』
「…そう、だったな」
言われてから思い出したように、アーテルは頷く。
その通りだった。
あの夜、アーテルの大切な者を全て奪ったカインは、今と同じ格好をしていた。
それを見つける為にに、アーテルはずっとこの格好をしていたのだ。
…どうして、カインに言われるまで忘れていたのだろうか。
『まあいい。こうして直接会うのは随分と久しぶりだな』
「………」
『それで? お前は何をしにここへ来た? 俺の為に働く気になったのか?』
「お前を倒し、家族の仇を討つ為だ!」
『…へえ?』
マスクの下で、カインはどこか驚いたように呟いた。
赤く光る三ツ目がアーテルへ向けられる。
『家族を殺された悲しみも、獣に変えられた憎しみも分からないくせに、そんな理由で俺と戦う気か?』
「『紅糸』」
カインの挑発には答えず、アーテルは紅い糸を生み出す。
五本の爪から放たれる糸は、薙ぎ払うようにカインへ向けられた。
『お前は既に死んだ人間だ! 肉体は人で無く、心すら持っていない! お前と俺の何が違う? お前は何故自分が人だと思う?』
「…決まっている!」
紅い糸を振るいながらアーテルは叫ぶ。
「俺はお前達のように人を殺さない! 人の血肉を喰らうことが無い! それが、心の無い俺がまだ人である証だ!」
『…ははは』
身に迫る糸を躱し、カインは嗤った。
アーテルの言葉を、決意を全て嘲りながら、片手を上げる。
ゴキゴキ、と音を立ててカインの右手が伸びた。
コートを破って現れたのは、木製の義手。
先端に鋭い爪が付いた木の腕だ。
『はははははははは!』
木の腕は不気味な音を立てながら蠢き、その爪でアーテルを狙う。
「チッ…!」
近付き過ぎていたアーテルは慌ててカインの腕を躱す。
『そら、捕まえたァ!』
アーテルの動きを読んでいたように、カインは左手を振るう。
右手と同様、倍以上に伸びた木の腕がアーテルへ迫った。
「ファイア!」
『む…』
しかし、その攻撃は降り注ぐ銀の弾丸によって阻止された。
カインは咄嗟に身を退いて、頭部と心臓を狙った弾丸を躱す。
「アーテル! 油断しないで!」
「…ああ、ありがとう。クリス」
「冷静に、ね。だけど、あなたの素の表情が見えたことは…少しだけ嬉しいよ」
「………」
クリスに言われて、アーテルは冷静さを失っていたことを自覚した。
自分が仇を前に我を忘れるなど、今まででは考えられなかった。
アーテルは少しずつ感情を取り戻している。
少しずつ、人間に戻ろうとしているのだ。
『人を殺さないこと。本当にそれだけでいいのか? お前が人である証明は?』
カインはまた嘲るように嗤う。
『では俺が証明してやろう。お前が既に、人とは相容れぬ獣であるとな!』
そう言ってカインは再びアーテルへと襲い掛かった。




