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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
三章 人の獣
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第六十二夜


そのひとは誰よりも強く、美しかった。


教皇ユリア。


女教皇ハイプリエステス』と言う名で呼ばれた歴代初の女性の教皇。


未だ年若い女でありながら、歴代最高の実力を持ち、単騎で何体ものメガセリオンを討伐した女傑だった。


『倒した獣の数なんて何の自慢にもならないよ。世界から全ての獣を無くすことが、私の役目なのだから』


称賛する人々に対し、彼女はいつもそう答えた。


武勇を誇ることもなく、力に溺れることもなく、ただ己の心に忠実に振る舞った。


『独善? 暴君? 結構だね! 上品に祈るだけじゃあ人は救えない。神様は私達が足を止める為に力を授けた訳じゃないだろう?』


誰よりも我の強く、間違っても聖女などと呼ばれるような女では無かった。


男勝りで自己中心的な英雄。


しかし、その燃え上がるような善性には誰もが魅了された。


『また勝手に聖都を抜け出したそうですね。アルゴルさんに怒られますよ?』


『うげっ、また説教されるのは嫌だな。アル爺には黙っておいてよ、グレゴリー』


『…私が言わずとも、きっとすぐに聞き付けますよ』


『その時は、その時だ!』


自信満々にユリアは笑った。


その豪快さと無計画さが過保護なアルゴルにとっては見逃せないのだろう。


『それより、グレゴリー。今晩のチビ達の夕食任せてもいいか?』


『…またですか?』


『良いじゃないか。ヨハンナもコルネリアもお前の手料理が大好きだって言ってるぞ? 良かったな! 料理が出来る男はモテるぞ!』


『料理も掃除も、家事が何一つ出来ない女はどうなんですか』


『そう言う細かいことは苦手だ! 剣を振り回す方が楽で良い!』


『それが聖女の台詞ですか』


どうしてこの人はこうなってしまったのだろう、とグレゴリウスは息を吐いた。


親代わりのアルゴルが女らしいことを殆ど教えなかったことが原因かもしれない。


『頼むよー。今日はちょっと仕事が長引きそうなんだ』


『分かりましたよ。貴女を補佐することが、私の仕事ですからね』


『わははは! ありがとう! お前は本当に良い子だなぁ、グレゴリー!』


グレゴリウスより年上で一児の母でもあるのに、どこか愛嬌のある女性。


力も才能もそうだが、何よりその人柄が魅力的だった。


この人の傍で、いつまでも戦っていたいと考えるようになっていた。


『………』


そして、運命の時は訪れた。


ユリアに率いられた教会の聖人達は遂にメガセリオンの本拠地『マルクト』に辿り着く。


人類とメガセリオンの戦い『聖戦』が始まった。


『グレゴリー! 無理はしていないか!』


『この程度、何の問題もありませんよ!』


恩寵を得ていたグレゴリウスも当然、聖戦には参加していた。


メガセリオンの過半数を滅ぼし、マルクトを守護する四騎士も二体を討伐した。


流れは完全にこちらに来ている筈だった。


『それ』が現れるまでは…


『まさか。俺のセリオン達がここまで追い詰められるとはな』


それは確かに人の形をしていた。


外見だけで言えば、獣よりも人間に近かった。


しかし、その本質は全く別物だった。


この世のあらゆる悪徳と罪悪を纏めたような存在感。


喋る度に口から呪詛が零れ落ちるような禍々しい気配。


一目見ただけで、全ての聖人が理解した。


コレは『神の敵』だと。


『侵略者共。悉く塵となれ』


そして、蹂躙が始まった。


男が腕を振るうと同時に、大地から無数の枝が伸び、数多の命を散らした。


辛うじて初撃を回避した者達も、横薙ぎに振るわれた次の一撃で胴から上を失う。


ほんの十数秒で、教会の戦士達は壊滅した。


『ユリア様!』


何とか攻撃を耐え切ったグレゴリウスは叫ぶ。


『…くッ』


枝が掠めたのか、足を負傷しているユリアは険しい表情を浮かべていた。


今まで、メガセリオンの支配者は四騎士だと思われていた。


この聖戦も、四騎士を全て倒せば終わると考えていた。


だが、違った。


四騎士さえもメガセリオンの一部に過ぎず、本当の黒幕は別に居たのだ。


『ルナ。残りは任せたぞ』


『了解した』


男と入れ替わるように、四騎士の一体が前に出る。


『チッ!』


それを見て、グレゴリウスは手にした槍を騎士へ向けた。


不意を打つように騎士の心臓を狙って、槍を突き出す。


しかし、


『無駄だ。この私にそんな攻撃は効かん』


槍は何の手応えも無く、騎士の体を透過してしまった。


霧のように散った騎士の体が不気味に揺らめき、グレゴリウスを包み込む。


『ぐっ…何、だ…?』


眩暈を感じ、グレゴリウスの視界が霞んだ。


毒でも浴びたかのように体に異変が起きていた。


『く、そ…!』


霧によって遮られた視界の中、音だけが聞こえた。


グレゴリウス同様に運良く生き残った戦士達の、断末魔が。


周囲を包み込む霧の中で、次々と生き残りが惨殺されていく。


無力感と屈辱に、グレゴリウスは血が出る程に歯を噛み締めた。


『グレゴリー』


その声はすぐ近くから聞こえた。


自分をそう呼ぶのは、彼女しか居ない。


姿が見えないながらも、グレゴリウスは安堵する。


『逃げろ』


『…な、何を言っているのですか?』


耳がおかしくなったのかと思った。


聞き間違いであることを望みながら、グレゴリウスは言う。


『この戦いは私達の負けだ。お前は逃げて、生き残るんだ』


『馬鹿なことを、言わないで下さい! 主君を捨てて逃げる従者がどこにいるのですか!』


『…お前ならば、きっと私の代わりになれる筈だ。お前が生きていれば、まだ教会は終わらない』


『ですが…!』


『コレは命令だ! グレゴリウス! この場から逃げろ! 逃げて、生き残れ!』


『…ッ!』


その瞬間、グレゴリウスは霧の向こうのユリアの姿を見た。


霧の中でどんな攻撃を受けたのか、体中から大量の血を流し、ボロボロとなった姿を。


もう助からない、と一目見て分かった。


分かって、しまった。


『う、おおおおおおおおおお!』


絶叫を上げ、グレゴリウスは敵に背を向けた。


絶望と後悔に苦しみながら、最愛の人を置き去りにして。


惨めに情けなく、逃げ出したのだ。








「ふざけるなよ、小娘が…!」


ポタリ、と血が零れ、地に吸い込まれる。


クリスの放った弾丸は紫電の護りを貫通し、グレゴリウスは体を貫いた。


前へと突き出されたその左腕を、貫いていた。


(防げないと気付いて、咄嗟に腕で急所を庇った…!)


クリスの弾丸は必中の秘跡だ。


例え回避しても必ず標的を貫く性質を持つ。


だからこそ、グレゴリウスは自ら腕を犠牲にして、敢えて弾丸を受けた。


先に弾丸を受けて、必中の秘跡を無効化させる為に。


「お前如きに! この私の何が分かる!」


グレゴリウスは右腕を頭上へと掲げた。


バチバチと紫電が迸り、引き寄せられるように聖槍がグレゴリウスの手の中に握られた。


「私はユリア様の為に! あの人の無念を晴らす為に! 行動しているだけだ!」


掲げられた槍に雷霆が収束していく。


怒りのままに力を解放するグレゴリウス。


その身に宿す神秘の全てが放たれようとしていた。


「………」


それを見上げながら、クリスは立ち尽くす。


コレは躱せない。


回避することは不可能。防御することも不可能。


解放されたが最後、クリスは断末魔すら残せずに死滅するだろう。


元々それだけの実力差が開いていた。


不意打ちで手傷を負わせることが出来ただけ、まだ幸運だった。


(…それでも)


例えここで殺されるのだとしても、クリスは口を開く。


グレゴリウスがクリスの言葉を認められなかったように、クリスも彼の言葉を認められなかった。


「あなたは、間違っている」


雷鳴が轟く中、クリスは告げる。


「ユリア様が、ヨハンナ様の母親が…! あなたが復讐に溺れ、他者を傷付けることを望む筈がない…!」


クリスはユリアと面識はない。


話には聞いているが、直接会って言葉を交わしたことは無かった。


しかし、それでも。


多くの人々を救う為に戦った人が、自分の為に復讐者に堕ちることを望む筈がない。


それだけは、クリスにも十分理解できた。


「知ったような口を利くなと、言った…!」


聖槍が振り下ろされる。


轟く雷霆が解放され、クリスの体を蒸発させる。


その時だった。


「何…!」


雷霆がクリスの身を焼き尽くす寸前、跡形も無く消失した。


放たれていた紫電が霧散していき、グレゴリウスの体から力が失われていく。


「何だ、コレは…!」


グレゴリウスは自身の体を見下ろし、混乱したように叫んだ。


己の内から力が、恩寵が消えていく。


かつても味わった喪失感と無力感。


全てを失う恐怖に、動揺が顔に浮かぶ。


「時間切れ、だな」


グレゴリウスの耳に声が響く。


聞き慣れた、しかしもう聞く筈の無かった声が。


「ヨハンナ…! 貴様…!」


「おはよう。グレゴリウス」


そこには、毒で殺された筈の教皇ヨハンナが立っていた。

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