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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
三章 人の獣
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第五十二夜


マルスの襲撃から一週間が経った。


戦闘による破壊跡も元に戻り、穏やかな日々が再び訪れていた。


「………」


クリスは任務も無く、聖都をぶらついていた。


アーテルは聖都の医療機関に顔を出し、自作した薬を提供するなど充実な日々を送っているらしいが、クリスに手伝えることはなかった。


(平和なのは良いことだけど、退屈ね…)


暇を持て余し、クリスはため息をつく。


クリスは聖都を拠点として活動する聖女だが、聖都に知人は少ない。


特殊過ぎる経歴故に、クリスは同僚の友人が皆無だった。


そんなことに寂しさを感じるような性格では無いが、突然の休暇を与えられた時に暇を持て余してしまうのはいつものことだった。


「そこのお前、ちょっと良いか?」


「…?」


アーテルの所にでも顔を出そうか、と考えていたクリスはその声に振り返った。


声の主は、口にタバコを咥えた男だった。


年齢は三十前後。


空は快晴だと言うのに、赤いレインコートを纏った男だ。


顔のパーツ自体は整っているが、大きな火傷の跡があり、それが厳めしい雰囲気を放っている。


背には白日教会製のショットガンを背負っていた。


「一つ、聞きたいことがある」


(この人…?)


初めて会う相手の筈だが、どこか既視感を感じてクリスは頭を捻る。


じろじろと男の全身を眺め、そして腰に提げられた特徴的な『ランプ』に気付いた。


(ランプ、ってことは…! この人は…!)


「アーテルと言う男がどこに居るか、知らないか?」








「この薬はこういう配分にした方が効率が良いよ」


同じ頃、アーテルは聖都の医療機関を手伝っていた。


自作の資料片手に呟くアーテルの周りを、白衣の男達が真剣な表情で取り囲んでいる。


「何と斬新な…!」


「独学でそれほどの医療知識を得るなど、信じられない…!」


「どうやってその薬を開発したのですか…!」


(…自分の体で治験したって、言ったらマズイよね?)


目を輝かせる医師達にアーテルは苦笑する。


アーテルの自作した薬は全て、アーテル自身の病を治す為に作った物だ。


『感動』を失った理由が狼狂病だと考えたアーテルは、それを治す為に手段を選ばなかった。


それこそ、薬でも毒でも何でも飲み込んだ。


アーテルの持つ常人離れした医療知識は度重なる人体実験による成果だ。


だから誰にも真似できることでは無く、アーテル以上に狼狂病に深い知識を持つ医師は居ない。


(とは言っても、結局全部失敗作だったんだけどね)


開花した狼狂病を治す薬を開発することには成功したが、それを試してもアーテルには効かなかった。


アーテルは単なる狼狂病では無く、呪禁を埋め込まれているからだ。


この病は薬では治らない。


(俺は本当に人間と言えるのだろうか? 奴らと同じ、ただの心の無い獣では?)


悩みは尽きず、答えは出ない。


(だけど、クリスはそんな俺を…)


人間だと言ってくれた。


病気に罹っただけの人、と。


だとすれば、うじうじと悩んではいられない。


少しでも人間に近付けるように、努力するだけ…


「アーテル! ここに居る!?」


「ッ! びっくりした。脅かさないでくれよ」


駆け込むように入ってきたクリスに、アーテルは言う。


「た、大変なのよ! アイツがアーテルを探しているの!」


「アイツ?」


「あの『煉獄の火(ウィルオウィスプ)』よ!」


そのクリスの言葉に、周りで見守っていた医師達が顔を青褪めた。


ただならぬ様子に首を傾げるアーテル。


「あの、とは?」


「ああ、もう! そう言えば何も知らないんだったわね!」


頭を抱えてクリスは叫ぶ。


どうやら、聖都の人間なら誰でも知っているようなことらしいが、生憎とアーテルは知らない。


煉獄の火(ウィルオウィスプ)って言うのは、ある聖人の異名よ」


「また異名か。前から思っていたけど、それって誰が決めるの? 自己申告?」


「名前はルキウス。階級は『大司教アークビショップ』」


「!」


呑気に返事をしていたアーテルはその言葉にぴくり、と反応した。


大司教アークビショップ


グレゴリウスと同じ、聖人の最上位の筈だ。


「確かにルキウスは階級に相応しい実力を持っていると言われているけど、煉獄の火なんて禍々しい名前で呼ばれているのは、別の理由よ」


クリスはやや青褪めた顔で言う。


自身より高い地位にいる聖人。


それはつまり、クリスよりも高い実力を持ち、多くの獣を屠っていると言うことだが、尊敬の色は欠片も感じられない。


あるのは恐怖と嫌悪。


「ケテル大火の話は前にしたでしょう?」


「ああ、確か貧民街を焼き尽くしたと言われる火事だろう?」


より厳密には自然発生した物ではなく、脱走したマルスが原因だった悲劇だ。


「…疑問には思わなかった? マルス一人が原因で貧民街全てを焼き尽くす程の火事が起きるなんて」


「………」


言われてみれば、とアーテルは頭を捻る。


当時のマルスは、まだ呪禁すら持たない一匹の人狼だった。


どれだけ高い才能を秘めていたとしても、ただ一人も生き残りも無く焼き払うことなど出来るだろうか。


「あのケテル大火を引き起こしたのは、ルキウスだと言われているのよ」


「…何だって?」


「あくまで噂よ。だけど、あの火事は人為的に起こされたようにしか思えなかった」


聖人が護る筈の市民を焼き殺す。


そんな噂が流れる程に、ルキウスは謎の多い存在だった。


「冷徹冷酷な男よ。常に一人で行動し、人狼を焼き殺す為なら他の何を巻き添えにしても顔色一つ変えないらしいわ」


「………」


ケテル大火も、そうだったと言うのか。


マルスと言う人狼を滅ぼすべく全力を振るった結果、貧民街は焼け落ちたと。


敵を滅ぼす為ならば、何を犠牲にしても構わないと。


「そのルキウスが、何故俺を?」


「…もしかしたら、気付かれたのかも」


青褪めた顔でクリスは言う。


人狼を強く憎むルキウスがアーテルの正体に気付いたのだとしたら。


人間のままであっても、呪禁を宿す存在だと知ったら。


恐らくは、今まで殺して来た者と同じように焼き殺すのだろう。


「だからしばらく身を隠して! それか教皇様に協力を…!」


「………」


必死に叫ぶクリスを、アーテルは無言で眺めていた。

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