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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
二章 白の獣
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第四十六夜


その男は生まれつき光を持たず、また音も知らなかった。


『………』


光を宿さない白濁した眼。


生まれてから一度も声すら発しない未成熟な子供。


実の親からも不気味に思われていた彼は、十四歳となった時に貧民街へ捨てられた。


外の世界を一切知らない彼は、自分が捨てられたと言うことすら気付かなかったが、目も耳も機能しない孤児が生きられるほど貧民街は平和ではない。


一週間も経つ頃には餓死寸前となって、路地に転がっていた。


『………』


彼の命を救ったのは、偶然それを拾ったアルデバランだった。


当時、クリスの実験を成功させていたアルデバランは次の実験台を探していた。


使い潰す目的で掻き集められた孤児達の一人だった。


より強力な聖人を求め、彼らはクリスの倍以上の黒血を注入した。


全身を流れる血液がマグマになったような激痛。


光も音も知らない彼に与えられ続ける苦痛。


いっそ死んだ方がマシだと思うような苦しみの中で、彼はただ願っていた。


自由になりたい、と。


そして…


『ヒヒッ…ヒヒヒヒヒヒ!』


最悪の人狼、マルスが生まれてしまった。


マルスは得た力を使って好き勝手に暴れた。


自分を傷付ける全てを。


自分を苦しめる全てを。


その手に触れた全てを破壊した。


元凶であるアルデバランだけが生き残ったのは、単に目の見えないマルスが気付かなかっただけだ。


『ヒハハハハハ!』


それからは、最高の気分だった。


マルスは力を手に入れた。


もう苦しむことは何も無い。


この力があれば、どんな奴にも負けない。


誰も自分を傷付けることは出来ない。


誰も自分を支配することは出来ない。


そう、信じていた。


(馬鹿、な…!)


その自惚れは、あっさりと壊された。


マスターテリオン、カインの手によって。


己の力を過信するマルスを一撃で葬り、カインは彼の自信を粉々に破壊した。


『ははは。強いな、お前』


地に這いつくばったマルスを見下ろし、カインはそう告げた。


まるで、イキのいいペットを見るような目だった。


『お前の胴から下を破壊した。人狼とは言え致命傷だな。このままだとお前は死ぬが、それは嫌だろう?』


『…ッ!』


『お前にも呪禁を与えよう。もっと強くなれ、俺の下でな』


耳が聞こえないマルスにその言葉は分からなかったが、何をされたかはすぐに理解した。


屈辱、だった。


情けをかけられたこともそうだが、何より。


命惜しさにそれに縋った自分自身が。


憎い。憎い。


力を手に入れた自分に首輪を付け、自由を奪ったあの男が。


自分より遥かに強く、支配しようとするあの男が。


『力だ。力が欲しい…!』


より強い敵を倒し、より強い力を手に入れる。


もっと。もっと、誰よりも強く。


誰にも負けない力が欲しい…!








「ヒハハハハハ!」


ひび割れる程に地面を踏み締め、マルスは空高く跳躍する。


地上のアーテルを見下ろしながら、大気を殴り付けるように拳を振るった。


「潰れろォ!」


降り注ぐのは衝撃波の雨。


破壊力を持った音の砲弾が、地上を蹂躙した。


「くっ…」


攻撃の嵐の前に、アーテルは必死に逃げるしかない。


クリスの手を引いて惨めに走り続ける姿を見て、マルスは嘲笑を浮かべた。


「『音』からは逃げられねえぞ! アーテル!」


変化を加えた衝撃波がアーテルを掠める。


思わず地に転がるアーテルに対し、追撃が放たれた。


「クリス!」


せめてクリスだけでも、と言うようにクリスを突き飛ばすアーテル。


直後、頭上から降り注ぐ衝撃波がアーテルの体を圧し潰した。


前回と同じだ。


服に隠れたアーテルの体から血が零れ、大地を汚す。


「ヒヒヒ! この程度か! この程度かよォ! アーテル!」


地に降り立ち、マルスはアーテルへ近付いた。


前よりは楽しめるかと思えば、所詮この程度か。


少し本気を出せば、簡単に潰れるだけの雑魚だったか。


「アーテル…!」


ゆっくりとアーテルに迫るマルスを見て、クリスが声を上げた。


銃口を向けるクリスに顔を向け、マルスの口元が吊り上がる。


「そう言えば、お前も居たな」


マルスは虫でも払うように軽く腕を振るった。


「…?」


クリスにはその行動の意味が分からない。


訝し気な顔を浮かべながら、引き金を引こうとした所、その体が宙を舞った。


「あ…ぐ…!」


苦悶の声を上げ、クリスの体が瓦礫に突っ込む。


「ハッ、期待外れだなァ」


ため息をつきながら、マルスは倒れたクリスへ片腕を向けた。


止めを差そうと、腕に力を込める。


「………あ?」


その腕を、止める者が居た。


ボロボロの体で起き上がったアーテル。


血塗れの手がマルスの腕を握り締めている。


「お前、それ…」


だが、マルスを驚かせたのはアーテルの行動では無かった。


カラスのようなマスクが壊れ、中から現れたアーテルの素顔。


「―――」


それは、夜闇のような長い黒髪の男だった。


その眼は深い海の底のように暗く、人の温かみを感じられない。


そして、何よりの特徴はその顔に刺青のように浮かぶ黒い痣。


黒い花のような模様の痣。


「狼狂、病…?」


瓦礫から身を起こしたクリスが思わず呟く。


そう、それは狼狂病の特徴だった。


しかも本来助からないと言われる『開花』した状態だ。


アーテルは、狼狂病だったのだ。


「―――」


陰鬱な表情を浮かべたアーテルの口が、ゆっくりと開く。


『如何なる悲劇、如何なる喜劇も、我が心を動かすに値せず』


「な、に…?」


アーテルの口から零れる言葉に、マルスは目を見開く。


地に流れる赤い血液が、黒く変色していく。


『それは黒く、それは重く、あらゆる光を呑み込む穴』


コレは秘跡ではない。コレは祝福ではない。


『天空の星々さえも、我が闇からは逃れられぬ』


それは呪い。


聖人の秘跡とは異なる力。


『混濁の黒よ。この胸より溢れ出せ』


メガセリオンだけが持つ世界を呪う毒。


「呪禁『無感動アディシェス』」

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