第四夜
「すみません。昨夜は寝ている所を襲われたので、姿すらハッキリ見ていないんです」
アーテルの質問に対する答えは、芳しい物では無かった。
とは言え、アーテルも駄目元で聞いたことなので落胆はなかった。
「じゃあ、どこか人狼が潜んでいる所に心当たりは無い?」
クリスはアーテルに代わり尋ねる。
「人狼はその殆どが夜行性。だから日中は日光を避けるように日陰に身を潜めているんだけど」
「そうですね…」
母親は口元に手を当てて考え込む。
人狼が好みそうな場所が無かったか、自身の記憶を振り返っているのだろう。
「…多分、洞窟に居ると思う」
その時、会話に割り込むように声が響いた。
視線を向けるアーテルとクリスに対し、目を覚ました少年は口を開く。
「ウチから少し離れた所に洞窟があるんだ。きっと、そこに居ると思う」
「洞窟、か。確かに人狼が好みそうな場所ね」
自然の洞窟なら人が来ることも早々ないので、人狼の住処には好都合だ。
この親子が襲われたのが昨夜なら、今もそこに居る可能性が高い。
「場所を教えてくれるかい?」
「良いよ。俺が案内する」
「と、トマス!」
少年、トマスの言葉に母親が慌てて叫んだ。
「大丈夫だよ、母さん。近くまで案内するだけだから」
トマスは安心させるようにそう言った。
「約束できるかい?」
「うおっ…!」
急に顔を近付けてきたアーテルにトマスは声を上げる。
先程の一件のせいか、アーテルのマスクがトラウマになっているらしい。
「洞窟には近寄らない、と約束できるかい?」
「痛い痛い! 分かっている! 分かっているから、クチバシで突くな!」
マスクに付いたクチバシで額を小突かれながらトマスは言った。
「そんなに遠くない。歩けばすぐに着くよ」
そう言ってトマスは先を歩いていく。
二人はやや後ろからそれについていった。
「…さっきの」
横に並んだアーテルの顔を窺いながら、クリスは口を開く。
「あの親子に注射していたワクチンだけど、アレも自分で作ったの?」
「そうだけど?」
クリスの疑問にアーテルはあっさりと答えた。
懐からまた小瓶を取り出し、クリスに見せる。
「狼狂病は今、最も国中に広まっている病気だからね。俺も色々と手を尽くしている訳よ」
小瓶を手の中で転がしながらアーテルは静かに言った。
狼狂病は、約百年前に人狼と共に発生した奇病だ。
人狼に噛まれた者、或いはその血が体内に入ってしまった者が感染する。
最初に小さな黒い痣が浮かぶ。
この段階までにワクチンを接種すれば症状は治まるが、放っておけばそれは段々と広がっていく。
最後は全身が黒い痣で埋め尽くされ、死に至る。
発生から百年、この国の人口の三割が死亡することになった死の病だ。
「………」
クリス達『白日教会』の使命は二つ。
人狼の絶滅と、狼狂病の根絶。
長い間、多くの人間が手を尽くしているが、未だどちらも達成できていない。
(人狼もそうだけど、狼狂病もまだまだ分からないことが多い)
症状がある程度進行してしまえば、白日教会の人間でも治療することが出来なくなる。
初期段階で治療することが出来るワクチンも、市井に出回る程の数は無い。
(それなのに、どうしてこの男はワクチンを持っているの?)
自分で作った、とアーテルは言ったが、それが出来る人間が白日教会に何人居るだろうか。
誰もが簡単に作れるのなら、狼狂病はとうの昔に根絶している。
(やっぱりこの男、何か隠して…)
「…ありがとうな」
クリスの思考を遮るように、トマスが声を上げた。
その視線はアーテルに向いている。
「人狼に噛まれて、あの病気になって、正直もうダメかと思っていたよ」
「気にしなくていい。医者として、患者を救うのは当然だ」
それこそがアイデンティティだとでも言うように、アーテルはきっぱりと言った。
トマスは苦笑を浮かべる。
「もっと早くアンタに会っていれば、父さんも…」
「父さん?」
「…悪い」
アーテルが聞き返すと、トマスは余計なことを言ったと顔を歪めた。
「…父さんも同じ病気だったんだよ。医者なんて近くに住んでなかったから、死んじまった」
「………」
狼狂病は死に至る病だ。
トマス達はアーテルの治療で死を免れたが、そうでなければ死んでいた。
アーテルが渡したワクチンも、本来ならかなり希少な物なのだ。
「父親は、その後はどうしたんだい?」
「…? どうしたって…?」
質問の意図が分からず、トマスは首を傾げる。
「教会の神父を呼ぶ金なんて無かったから、家の裏庭に埋めて簡単な墓を作ったけど?」
「…なるほど」
アーテルは視線をクリスに向けた。
クリスも何かに気付いたように無言で頷く。
「トマス。洞窟に着いたら、離れているように」
「あ? ああ、最初からそのつもりだけど?」
「絶対に、人狼の姿を見ないように」
警告するようにアーテルは告げる。
それに訝し気な顔をしながらも、トマスは頷いた。
「あの洞窟だよ」
しばらく歩くと、トマスは前方を指差した。
「分かったわ。それじゃあ、ここを動かないように」
「何度も言われなくても分かっているよ」
うんざりするような顔を浮かべ、トマスは言う。
立ち止まったトマスを置いて、二人は洞窟へと近付いていく。
「あなたも外に居た方が良いんじゃない?」
「ご心配ありがとう。でも、自分の身は自分で守れるさ」
「そ。じゃあ、あなたが人狼に噛まれても私は助けないからね」
「冷たいなぁ」
アーテルは悲しみを表すように肩を竦める。
と言っても顔はマスクで見えないのだが。
「…ビンゴみたいね」
クリスは地面に落ちた血に気付き、呟く。
洞窟の奥から獣の息遣いが聞こえた。
肉食獣の体毛のようにも見える黒く変色した肌。
四本足の獣は、爛々とした赤い瞳で二人を見ていた。
『グルル…』
「昨夜の奴よりデカいわね。でも…」
クリスはホルスターからリボルバー銃を抜く。
白銀に輝く銃口を、人狼へと向けた。
「ファイア!」
銀の弾丸が射出される。
古来より、人狼を殺すと言われる銀。
敬虔な聖職者の手で作られた聖銀は、月夜に生きる獣を撃ち滅ぼす。
『グ…!』
知性は無いが、本能でその脅威を人狼は理解した。
強靭な手足をバネのように動かし、跳躍する。
そしてそのまま壁を走り、クリスへと迫った。
「外したようだけど…?」
「問題ない!」
クリスは改めて銃口を人狼へ向けた。
その弾丸は脅威だが、躱せない程では無い。
人狼の顔に僅かな余裕が浮かんだ。
「『聖女』の戦いを教えてあげるわ!」
クリスは銃を握っていない方の手で、何かを握り締めた。
それは純銀のペンダントだった。
大きな銀貨のような形状で、表には大樹が描かれている。
それこそがクリスが聖女である証。
「『グランス』」
クリスの信仰が形となる。
銃口から放たれた弾丸は白銀の光に包まれ、人狼を狙った。
『ッ…!』
壁を蹴ってそれから逃れた人狼の顔に驚愕が浮かぶ。
回避した筈の弾丸が吸い寄せられるように、自分へと向かってきたのだ。
空中では回避することが出来ない。
銀の弾丸が人狼の体を貫いた。
『ガ…ア…!』
力を失った人狼の体が地に落ちる。
身に受けた銀の弾丸により、その身体が段々と崩れていく。
「…それが、君の『秘跡』か」
アーテルはクリスを眺めながら呟いた。
秘跡。
それは白日教会の聖人や聖女が持つ奇跡の力。
彼女らの信仰が形となった力であり、その効果は本人の信仰心に比例する。
「私の弾丸は必中。目を閉じていたって、必ず心臓を撃ち抜くわ」
「便利な力を神から授かったようだね」
(まあ、聖女の戦いと言うにはやや血生臭いけど)
アーテルはそう思ったが、口には出さなかった。
「さて、では戻ろう…」
『グルァァァァ…!』
そう言って洞窟から出ようとした時、人狼が叫び声を上げた。
跳ねるように動いた体が、背を向けたアーテルへと迫る。
「チッ…!」
咄嗟に身を躱すアーテル。
しかし、人狼の狙いはアーテルでは無かった。
「アーテル!」
「大丈夫だ! それより、洞窟の外に逃げたぞ…!」
既に人狼の心臓は射抜いた。
放っておけば死ぬだけだが、洞窟の外にはトマスが居る。
「追い掛けるわよ!」
急いで二人は洞窟の外へ向かった。
「な、何だ…?」
洞窟の外で待っていたトマスは突然聞こえた声に驚いた。
魂を震わせるような獣の叫び声。
同時に、洞窟から飛び出す黒い影。
「まさか…!」
それは昨夜、自分と母を襲った獣だった。
あの時はよく見えなかったが、今は太陽に照らされて姿が分かる。
異常に発達した四本足。
黒く変色した体。
そして、理性も知性も感じられない、変わり果てたその顔は…
「………父、さん?」
死んだ筈の、父親だった。
狼狂病を患い、その身が冷たくなり、この手で埋葬までした父親だった。
『グルァァァァ!』
蘇った父は、トマスのことを忘れてしまったかのように吠える。
致命傷を負い、段々と灰化していく体を抑えながら、目の前の獲物へ手を伸ばす。
「ファイア!」
瞬間、背後から飛んできた弾丸が人狼の胸を貫いた。
今度こそ完全に心臓を破壊された人狼は、トマスの目の前で灰となった。
最期まで、実の息子だとは分からないまま。




