第三十七夜
聖都『ケテル』
それは大陸の最北端。
第一の都市にして、白日教会の本拠地。
教皇によって治められているこの地は、大陸で最も安全な都市と言えるだろう。
全ての聖人と聖女を支配する場所。
此処は正しく、世界の中心だった。
「聖都へ帰ってくるのも、随分と久しぶりね…」
煌びやかな街並みに目を細めながら、クリスは言う。
最近は任務やトラブルが続いたせいで、中々帰ることが出来なかったのだ。
「………」
隣に立つアーテルはぼんやりと街を眺めている。
周囲の人間から奇異の目を向けられていることにも気付かず、無言で佇んでいた。
「…何? 聖都に来るのは初めてなの?」
「いや、一度だけあるよ。その時に教皇様に会って、ペンダントを貰ったのだけど…」
そう言うと、またアーテルは街並みに目を向ける。
並ぶ建物だけではなく、街を歩く人々を観察するように。
「ここは笑顔が多いね。健康的な人間ばかりだ」
以前来た時にも思ったことだ。
患者を求めて聖都を訪れたアーテルは、あまりの患者の少なさに驚いた。
聖人に護られているから狼狂病が発生しない、と言うだけではない。
殆どの人間が重病を患ったことが無く、満ち足りている。
「こう言うのを神の御加護がある、って言うのかな」
「多分、そうじゃないかしら? 生憎、実感したことは無いけど」
感慨深げに言うアーテルに対し、クリスは冷めた反応を返す。
「…前から思っていたけど、君って聖女の割に信仰心薄いね」
「信仰にも色々あるのよ。私の場合は、神の敵を屠ることで信仰を示しているの」
「へえ」
クリスの言葉に頷くとアーテルは視線を背後に向ける。
「ちなみに君はどんな信仰を持っているの? ソフィー」
「…私に話を振らないで下さい」
突然声を掛けられ、ソフィーは不機嫌そうに息を吐いた。
「と言うか、私はもう帰っていいですか? あなた達を聖都に送り届ける役目は果たしましたよね?」
ソフィーはアーテルを睨みながら言う。
そう、二人はこんなに早く聖都に辿り着いたのはソフィーのお陰だった。
彼女の持つ転移能力で、二人をここへ連れてきたのだ。
「ごめんね、ソフィー。まだアーテルの体が…」
「それは知っています。治療したのは私ですから………そもそも私だって医術の心得がある訳でも無く、死なないように応急処置をしただけですから」
「俺は医者なんだけどねぇ。どんな名医でも、自分を治すことは出来ないんだよ」
へらへらと笑っているが、アーテルの体はまだ重傷のままだ。
ソフィーによる手当てとアーテルの能力による縫合で何とか保っているだけ。
旅を続けることなど不可能である為、ソフィーに直接転送してもらったのだ。
「くっ、カタリナさんの頼みでなければ無視したのに…!」
「君って利己主義の割に、身内にはかなり甘いタイプだよね」
何だか微笑ましくなり、アーテルはけらけらと笑う。
「チッ、さようなら! もう会うことも無いでしょう」
忌々しげに舌打ちすると、ソフィーは姿を消した。
恐らく、故郷へ戻ったのだろう。
「…さて、私達も向かいましょうか」
「そうだね。教皇様が待っている」
二人は前を見て、歩き出した。
向かう先にあるのは、大聖堂。
白日教会の総本部にして、教皇の住む場所だ。
「…前に来た時にも思ったんだけど」
「何?」
大聖堂へと続く道を歩きながら、アーテルは視線を東の方角に向けた。
「聖都って、随分と歪な形をしているよね。基本的には外壁は綺麗な円状だけど、並ぶ建物が『偏り気味』じゃない?」
アーテルの指摘は尤もだった。
聖都ケテルは、円状の外壁に囲まれた都市である。
門は南にある正門と東門の二つ。
正門から入った中央地区には一般市民が住む『市街』
東門から入った東地区には貴族達が住む『貴族街』
そして、市街を抜けた聖都の北部には大聖堂と聖人達の住居が並ぶ『教会街』が存在する。
「全体的に人も建物も東寄りだよね。アレは何なんだ?」
そう言ってアーテルは聖都の西側を指差した。
聖都の使われていない西地区。
その場所と人々を仕切るように、大きな壁が作られていた。
「…あの場所は、元々聖都のゴミを埋めたり、燃やしたりする為に用意されたスペースだったらしいわ」
やや言い辛そうにクリスは言う。
「だけど、いつしかそこに浮浪者達が住み着くようになり、市街でも貴族街でも教会街でも無い第四の街『貧民街』と呼ばれるようになった」
「貧民街…」
貧民の為の街。
他のどんな街からも零れてしまった者達の街。
「こちら側と違って、貧民街はゴミで溢れ、病で溢れ、誰もが生きながら死んでいるような場所だった」
「………」
アーテルはもう一度壁に目を向ける。
アレは、この聖都と貧民街を仕切る壁。
第四都市『ケセド』と同じだ。
あの都市は外から狼狂病を持ち込まない為に来訪者を拒絶していたが、この街は貧民街に生きる全ての者を拒絶しているのか。
「前に来た時に知っていればな…」
アーテルはグッと拳を握り締めた。
以前来た時は患者が少ないと嘆いていたが、そんなことは無い。
あの壁の向こうにこそ、アーテルの求めている物がある。
「…やる気を出している所、申し訳ないけど。それは意味ないわよ」
「それは、何故?」
アーテルは視線をクリスに向けた。
まさか、クリスまで壁の向こうには関わるなと言うのだろうか。
壁の向こうの可哀想な人達など見捨てろと言うのだろうか。
「向こうにはもう、何も無いからよ」
「何も無い?」
「そう」
頷き、クリスは淡々と告げた。
「十年前に『ケテル大火』と呼ばれる火災があって、西地区は全焼したのよ」




