第三十二夜
「ハッハァー!」
地を踏み締め、空高く跳躍するマルス。
その白濁した眼でクリスを捉え、そのまま踏み締めようとする。
「くっ…!」
咄嗟に回避したクリスの後方で、衝撃が走った。
マルスが落下した部分が、まるで隕石でも衝突したかのように大きく抉れている。
(何て、威力…!)
どう見てもただの蹴りの威力では無い。
メガセリオンが人間離れした怪力を持つと言っても限度がある。
恐らくはコレが、マルスの能力。
接近して戦うことは危険だ。
クリスはそう判断し、リボルバーの銃口をマルスへ向けた。
「ファイ…」
「遅い」
銃口から弾丸が放たれるよりも速く、マルスは指を鳴らす。
パチン、と言う小さな音が鳴ると同時にクリスの持つ銃がバラバラに弾け飛んだ。
「ッ…!」
見えない攻撃。
サートゥルヌスとアーテルを一撃で倒したマルスの能力だ。
唯一の武器を失ったクリスを、マルスは嘲るように笑った。
「『五連銃装』」
嘲笑うマルスを前に、クリスの腹部から何かが突き出す。
服を突き破って現れたのは、赤黒い銃口。
クリスの血によって作られた五つの銃口だ。
「おお?」
「一斉掃射!」
五つの銃口から同時に放たれる血の弾丸。
銃口も銃身も銃弾も、全てが血で作られたそれにリロードは要らない。
文字通り、クリスの命尽きるまで弾丸の嵐を撃ち続ける。
回避する隙など与えない。
この技はクリスにとって切り札であると同時に、諸刃の剣。
雨あられの如く放たれる弾丸は全てクリスの血を消費して作られている為、一日にそう何度も使える物では無いのだ。
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
銃弾を撃ち尽くし、クリスは荒い息を吐く。
サートゥルヌスとの戦いで背に負った傷もある。
これ以上弾を生成するのは危険だった。
(だけど、コレで…)
「面白い能力を使うなァ。お前」
クリスの思考を遮るように、声が響いた。
地面に飛び散ったクリスの血を踏み締め、愉し気に笑うマルス。
その体には、傷一つ無かった。
(嘘でしょ…アレを全て、防ぎ切ったと言うの…?)
マルスの足下にはクリスの血が付着している。
嵐の如く襲い掛かる血の弾丸を、マルスは全て撃ち落としたのだ。
「弾丸の能力か。確かに強力だが、銃弾が『砲弾』に敵う筈もねえ」
「…砲弾」
マルスの言葉をクリスは繰り返す。
砲弾。それが何度も見せたマルスの能力の正体。
「…なるほど。音の砲弾ね」
「ほう、中々鋭いな。こんなに早く見破られたのは初めてだぜ」
クリスの指摘に対し、マルスはまた愉しそうに笑う。
「そう、俺の能力は音だ! 自身が発したあらゆる音を無限に増幅し、自在に操る能力!」
ただの足音が爆弾へと変わり、指を鳴らす音が砲弾となる。
目に見えない衝撃波を操ることが出来る。
全てを破壊する力だ。
「まあ、知った所で? 躱すことなんざ出来ねえって話!」
マルスは右の拳を振り被った。
直接殴るには距離がある。
しかし、既に衝撃波の射程圏内だ。
「!」
やはり、見えない。
不可視の砲身から放たれる不可視の砲弾。
一撃で人間を殺傷する攻撃が、クリスに迫る。
「…え」
その時、クリスの身体が何かに引かれ、強引に動かされた。
転ぶように地面に倒れたクリスの頭上を『砲撃』が掠めていく。
「あ…」
クリスは自身の左腕を見て、思わず呟いた。
いつの間にかその腕に巻き付いていたのは、紅く細い糸。
それは、その能力は、
「アーテル!」
「やあ、無事かい。クリス」
クリスの身体を見下ろしながら、アーテルはそう呟いた。
「無事って、あなたこそ…!」
ポタポタ、とマスクの下から血が垂れている。
服に隠れて見えないが、体中傷だらけの筈だ。
だが、それを一切態度に出さず、アーテルは普段通りに口を開く。
「…気にするな。痛みはあまり感じない」
「そんな筈…!」
「気にするな」
有無を言わさないように、改めてアーテルは告げた。
威圧されたように黙り込むクリスを余所に、アーテルはマルスと向き合う。
「ヒヒヒ! 凄えなァ、お前! 俺の砲撃をまともに受けて立っていられた奴は初めてだぜ!」
パチパチと馬鹿にしたようにマルスは手を叩く。
「アーテルとか言ったかァ? それは痩せ我慢か? それともマジで効いてねえってか?」
「見れば分かるだろう」
会話はそこまで、と言うようにアーテルは走り出す。
「…ああ、そうだなァ。見れば分かる」
それを眺めながら、マルスはゆっくりと拳を振り被った。
「ただの痩せ我慢だ。楽にしてやるよ!」
拳を振るうマルス。
その先から衝撃波が放たれ、アーテルへ迫る。
「ハッ!」
「何…?」
瞬間、アーテルの身体が勢いよく跳躍した。
目標を失った衝撃波が、大地を空しく破壊する。
(…糸か)
眼が見えずとも、マルスは音でその絡繰りを見破った。
いつの間にか周囲の木々に張り巡らせていた糸。
それを手繰ることで、空へ逃げた。
「だが、空中なら躱せねえだろう!」
再び拳を構え、マルスは衝撃波を放つ。
宙を舞うアーテルはそれを躱せない。
その筈だった。
「―――」
しかし、アーテルは迫る衝撃波を前に、虚空を蹴った。
見えない足場があるかのように、放たれた攻撃を回避する。
(糸で足場を…!)
虚空に張られた糸。
それを踏み締めることで、アーテルは空中を自在に移動している。
アーテルは今まで糸を攻撃手段にしか使っていなかった。
ただ敵を切り裂く為だけに使用し、それ以外の方法を考えなかった。
それはアーテルの知恵が足りないと言うよりは、圧倒的に実戦経験が不足していた為。
元々戦う人間では無いアーテルは、この能力を使って敵と戦うと言う考えすら今まで無かったのだ。
だからこそ、マルスに重傷を負わされ、クリスも殺されかけたことで考えが変わった。
生き残る為、クリスを守る為、敵を殺す為に。
その全能力を使って、マルスを倒す。
「チッ…!」
舌打ちをしながら拳を振るうマルス。
だが、その攻撃は当たらない。
「…衝撃波を防ぐことは不可能だ。見えない砲撃を捕らえることも出来ない」
蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸の上で、アーテルは告げる。
「だが、それが放たれる場所さえ分かっていれば、躱すことは容易い!」
アーテルが見ているのは見えない攻撃では無く、それを放つマルスの拳。
例えそれがどれだけ速く、目に見えずとも、拳の向きさえ見ていれば、攻撃は予測できる。
「『紅糸』」
攻撃の隙を突くように、アーテルは腕を突き出す。
そこから放たれるのは、一本の槍のように束ねられた紅い糸。
マルスの心臓を突き砕き、命を断ち切る槍だ。
「ヒヒ! ヒハハハハ! 馬鹿が! 俺の腕はもう一本あるんだぜェ?」
嘲笑を浮かべ、マルスは今まで使っていなかった左腕を振るった。
右と同様に、左腕からも衝撃波が放たれる。
隙を突いたつもりであるアーテルの隙を逆に突くように。
「そんな物、見れば分かるよ」
「…何だと!」
瞬間、マルスの左腕が動かなくなった。
それは、目に見えない程に細まった糸。
何重にも束ねられた糸が、マルスの左腕を完全に封じている。
「終わりだ!」
「く、そおおおおおおおおお!」
マルスが叫ぶ。
左腕は動かせず、糸に捕らわれて逃げられない。
右腕は攻撃を放ったばかりで、もう間に合わない。
万策尽きた。
アーテルの槍がマルスの心臓を貫く。
「………何て言うと思ったかァ?」
マルスの口元に、三日月のような嘲笑が浮かんだ。
その嘲笑が段々と大きくなり、増幅されていく。
(まさ、か…!)
マルスは言った。コレは自身が発したあらゆる音を無限に増幅する能力だと。
何故、拳だけだと思ったのか。
何故、手足だけだと思ったのか。
「ヒヒヒ! ヒハハハハハハハ!」
マルスの嘲笑が衝撃波となり、アーテルの全身を破壊した。




