第三十夜
背中を斬られたクリスの血は、辺りに飛び散る。
大地にも、木の葉にも、
縛られていた子供の頬にも。
「ぎ…あああああああああああ!」
絶叫が響き渡る。
顔が苦痛に歪み、喉が裂ける程に叫び声を上げる。
悲鳴を上げたその人物は、クリスでは無かった。
「…やっぱり、そう言うことね」
背中の傷に顔を歪めながら、クリスは呟く。
その視線の先には、絶叫する子供の姿があった。
「な、何故じゃ…」
血が付着した頬に火傷を負った子供は、しわがれた声で言う。
「何故、分かった…!」
「…思い出したのよ」
クリスは静かに告げる。
「あなたはこの場所に誘い込んだと言った。町に居た時から私達に気付いていたけど、わざと逃げてここを戦う場所に選んだ」
馬車に乗る所まで見せつけ、クリス達に後を追わせた。
全てこの場所に誘き寄せる為に。
「あなたの能力が本当に自身を影化する能力なら、わざわざこんな場所を選ぶ必要なんてない。町中で私達を見つけた瞬間に襲い掛かれば良かった」
それなのに、サートゥルヌスはそうしなかった。
人目を避けるように、林の中を選んだ。
「わざわざ『人質』を用意してまで、ここで戦うことに拘った」
サートゥルヌスの言葉には嘘が混じっている。
当然だ。敵に自身の秘密を全て話す者は居ない。
自身の能力を誇示するように語ったのは、不都合な真実を隠す為。
「影、でしょ?」
「ぐッ…!」
クリスの指摘に、サートゥルヌスは歯噛みした。
幼い顔立ちが憤怒に歪み、深い皺が刻まれる。
「あの巨大な怪物は、あなたの影。私達はただ、あなたの影と戦っていただけ」
目の前で変身して見せたのも全て演技。
あの商人風の老人も、巨大な怪物も、影絵に過ぎない。
それをどれだけ攻撃した所で、殺せる筈も無い。
「じゃあ、町中で攻撃してこなかったのは?」
「どんなに変化しても影は影だから、きっと『本体』からあまり離れることが出来ないのよ」
もし、町中で戦っていればパニックになり、その場から逃げれない本体が目立ってしまう。
クリス達が逃げ出した場合も同様。
それを追い掛けるには、本体を連れていく必要がある。
「…あなたの能力は、物質を影に変えることじゃない」
クリスは銃口を突き付けながら告げる。
「その逆。自身の影を物質に変えることよ」
「ッ…」
木に縛られた子供。
否、子供に偽装したサートゥルヌスは屈辱に顔を歪めた。
どんな攻撃も無力化し、一方的に敵を攻撃できる能力。
蓋を開けてみれば、それは本体を隠して分身に戦わせているだけだった。
「チェックメイトよ。サートゥルヌス」
「この、餓鬼が…!」
ブチッ、と言う音と共にサートゥルヌスは自身を縛っていた縄を引き千切った。
偽装が解け、段々とその体が老人の物へと変わっていく。
「ファイア!」
「遅いわ、戯け!」
クリスが引き金を引くよりも先に、サートゥルヌスはその場から飛び退いた。
見た目はもう小柄な老人だが、その身体能力は人間離れしていた。
「逃げる気か!」
「影よ…!」
咄嗟に糸を展開しようとしたアーテルの邪魔をするように、影の怪物が再び起き上がる。
その隙にサートゥルヌスは二人から離れていく。
本体を見破られた以上、サートゥルヌスに戦う意思はない。
慎重にして老獪。
絶対に勝てる条件でしか戦わないその用意周到さが、今までサートゥルヌスを生かして来た戦法だった。
一手以上距離が離れてしまうと分身は消えてしまうが、その頃にはサートゥルヌスは完全に逃げることが出来るだろう。
結局のところ、勝敗関係なく、生き残ることが全てなのだ。
「…?」
ほくそ笑むサートゥルヌスは、背後を気にするあまり前方の存在に気付かなかった。
サートゥルヌスの逃げる先に居た、一つの影。
「……………な、に?」
その存在に気付き、サートゥルヌスの思考が止まる。
それは、白い少年だった。
年齢は十四、五歳に見える。
ダボダボとした白いパジャマのような物を纏った小柄な少年。
靴は履かず、裸足であり、ペタペタと音を立てて歩いている。
髪は老人のように真っ白だが、肌には赤子のようにシワ一つない。
瞼を閉じられ、口元には無邪気な微笑を浮かべている。
「貴様、は…!」
『白』と言うと神聖や清浄などポジティブなイメージを持つが、この少年の場合はあらゆる生命の色が感じられない、死の純白だ。
「『音』がするな。一つ、二つ。ああ、二人か。一人は男。二十代後半と言った所か。もう一人は女。こっちは、まだ二十歳にもなっていないな」
ブツブツと呟く白い少年。
瞼は閉じられたままだが、外の状況は理解しているのかアーテルとクリスの存在を把握しているようだ。
「何だ…?」
アーテルは訝し気に呟く。
見た目は奇妙な容姿をした少年だが、それを見るサートゥルヌスの様子がおかしい。
逃げることすら忘れて、ただ呆然と少年を見ている。
「アーテル、気を付けて…! あの男も、メガセリオンよ!」
「何?」
次から次へと、一体何がどうなっているのか。
だとすれば、あの少年はサートゥルヌスの仲間。
サートゥルヌスのピンチに気付いて助けに来たのだろうか。
それにしては、サートゥルヌスの反応が妙だと思うが。
「『白騎士』か…! 何故こんな所に…? マルクトでマスター殿を護っている筈では…」
「………」
「…まあいいわ。丁度いい! 奴らを殺せ、白騎士!」
サートゥルヌスは何の反応も無い少年に対し、大声で叫ぶ。
「早くやれ! 儂の声が聞こえんのか! 奴らはマスター殿に仇なす…」
「…雑音」
「教会、の………?」
パツン、と妙に軽い音が響いた。
白い少年が億劫そうに人差し指をサートゥルヌスへ向けた瞬間、その体の八割が弾け飛んだのだ。
「な…え…?…あ、ぎゃあああああああああ!」
それを理解すると同時にサートゥルヌスの口から絶叫が漏れる。
半分以下になった肉体が地に落ち、血溜まりの中に沈んだ。
(今、何をした…?)
アーテルは思わず目を疑う。
何をしたのか、全く分からなかった。
気が付いた時にはサートゥルヌスの身体が弾け、バラバラになっていた。
「水を差すなよ、老害。愉しい時間が台無しだろうが」
「き、貴様…! この儂を、殺す気か…! 貴様が生まれるより前から! 人狼となっていたこの儂を…!」
「年功序列なんて古いんだよ、クソジジイ。今は人も獣も、実力主義なんだって話!」
言いながら白い少年は血溜まりに浮かぶサートゥルヌスの心臓に足を向ける。
「や、やめろ…! 儂はまだ死にたく…!」
「バイバイ」
ぐしゃり、と白い少年は躊躇いなく心臓を踏み潰した。
「あ、あああああああああああァァァァ!」
断末魔を上げ、一度痙攣するとサートゥルヌスの頭部は完全に動かなくなった。
「んんー。しわがれたジジイの声だが、断末魔は意外と悪くなかったなァ」
耳に手を当て、その音をよく聞いてから白い少年は薄っすらと笑みを浮かべる。
それは無邪気と邪気が入り混じったような、歪んだ笑みだった。
「さて、本命はお前達だ」
少年の顔がアーテルとクリスに向けられ、閉じられていた瞼が開く。
現れたのは、白く濁った瞳。
瞳孔が無く、何の光も宿していない眼だった。
「俺は四騎士…」
「四、騎士…!」
それはメガセリオンの上位個体。
メガセリオンの中でも特に危険だと言われる存在。
獣を統べる四体の騎士。
「対応する色は白。役割は侵略。白騎士『マルス』だ」




