第二十夜
「ファイア!」
何匹目かの人狼に銃弾を叩き込みながら、クリスは視線をプルートへ向ける。
数多の人狼を従える群れのリーダーは、先程から全く動いていなかった。
何を企んでいるのかは知らないが、彼が動かないのなら今の内に出来るだけ人狼の数を減らしておくべきだろう。
「『紅糸』」
アーテルもまた、同じように人狼を屠っていた。
能力の性質上、クリスよりも多くの人狼を一度に補足し、滅ぼしている。
傷一つ負うことなく、一方的に人狼の身を切り刻んでいく。
「…弾丸と、糸か」
人狼の数が指で数えられる程まで減った頃、プルートは口を開いた。
己の下僕を使って敵の能力を見極めると共に自身も構えを取る。
子供のような小柄な体が膨らみ、殺気が溢れ出した。
「来る…!」
その殺気に気付き、クリスは意識をプルートへ向ける。
プルートが地を蹴ったのはそれと同時だった。
『三頭の獣よ。冥府の番犬よ。
我が身に宿り、毒花を咲かせよ』
大地を駆けながら、プルートの口が呪詛を紡ぐ。
「呪禁『拒絶』」
瞬間、プルートの体が黒い煙のような物に包まれた。
輪郭が曖昧になった黒い影は獣の咆哮を上げて、クリスへと襲い掛かる。
(速い…けど、まだ間に合う…!)
迫る獣を前にしても冷静に、クリスは愛銃を構えた。
リボルバーの装填数は六発。
クリスは既にその弾丸全てを人狼へと撃ち尽くしていた。
恐らくプルートはその隙を見抜き、クリスを先に狙ったのだろう。
「『グランス』」
だが、クリスにはもう一つの弾丸がある。
自身の血によって作り出された血の弾丸。
銀以上に獣に対して致命的なダメージを与える切り札。
それを銃に装填し、撃ち出す。
「ファイア!」
プルートは血の弾丸を見ても回避行動すら取らなかった。
脅威に感じていないのだ。
クリスを侮っている。
「…ッ」
隙を狙っていたのはプルートだけでは無い。
クリスは人狼の群れと戦う中で敢えて血の弾丸を一度も使わなかった。
クリス達の戦いを分析するプルートに、銀の弾丸だけが武器であると思い込ませる為に。
「撃ち抜け!」
血の弾丸がプルートの額に触れる。
心臓からは逸れたが、クリスの血は内側から獣を焼き尽くす。
体内に入り込むだけでも致命傷である筈だ。
「………」
「…え?」
しかし、クリスの予想に反してプルートは止まらなかった。
それどころか、弾丸がプルートを貫いていない。
まるで融けるように、血の弾丸はプルートに触れた途端に形を失った。
「クリス!」
「くっ…!」
アーテルの声に我に返り、咄嗟に銃を盾にする。
プルートの爪が銃とクリスの左腕を切り裂き、その隣を駆け抜けていった。
「あ…ぐっ…!」
熱い。
プルートに切り裂かれた左腕から焼けるような激痛が走り、肉が腐ったような臭いが鼻をつく。
「コレ、は…!」
そう、腐っているのだ。
プルートに触れた部分が腐食し、異臭を放っている。
見ればクリスが取り落とした銃もドロドロに腐り、形を失っていた。
「………」
プルートは無言でクリスを見つめている。
その周囲で攻撃に巻き込まれた人狼の体がグズグズに腐食していた。
「腐食の毒。それがコイツの能力…!」
これこそがプルートが授かった呪禁。
拒絶。
その名の通り、自身に触れる一切を拒絶し、腐食させる猛毒の鎧。
生物も無機物も関係ない。
敵対する人間だろうが、向けられた武器だろうが、プルートは全てを腐らせ、滅ぼすのだ。
「…意外と、聖人と言うのは頑丈なんだな」
腐食した左腕を抑えるクリスを眺め、プルートは呟いた。
「…その身に宿す血の影響か? 毒の進行が、遅い」
本来なら、一度でも触れた時点でその部位が腐り落ちる筈なのだ。
それなのに、クリスは腐食こそしたが、まだ左腕が繋がっている。
「…鬱陶しいな。さっさと、死ね」
陰鬱そうに呟くと、プルートは再び地を蹴った。
次は首を狙う。
首が腐り落ちれば、流石に死ぬだろうと。
「俺を無視して、彼女に手を出すんじゃない…!」
「!」
瞬間、プルートの体に糸の雨が降り注いだ。
人狼の骨を容易く断ち切る鋼の糸。
しかし、それさえもプルートの皮膚に触れた途端に腐り落ちる。
「何も切り裂くだけが、糸の使い方じゃないさ…!」
両手を振るい、紅い糸を手足のように操るアーテル。
今度は繭状になった紅い糸がプルートの全身を包み込んだ。
「チッ」
舌打ちと共に毒を更に放出し、糸の束縛を破るプルート。
距離を取りながら、警戒した目でアーテルを睨んだ。
「惜しい。そのまま全身の骨をへし折ってやろうかと思ったのに」
アーテルはマスクの下で酷薄な笑い声を上げた。
断ち切るよりも腐り落ちる方が早いと言うなら、その前に拘束し、絞め殺すまでだと。
「アーテル…」
「クリス。傷口を抑えて安静にしているんだ。無理をすれば、腕が使い物にならなくなるかもしれない」
出来ることなら応急処置だけでもしておきたいが、目の前の敵がそれを許さない。
ならばアーテルがするべきことは、出来るだけ早くプルートを殺すことだろう。
「………」
ゆらり、とアーテルの体が揺れる。
顔の見えないアーテルがどんな表情を浮かべているかは分からないが、どこか冷たい雰囲気を放っていた。
「何だろうな。この感覚、この気持ち…」
垂れた両腕の銀の爪から濁流のように紅い糸が流れ出てくる。
「ああ、そうだ。怒りだ。俺は多分、怒っているんだと思う」
静かに、普段通りに、しかし込められた感情は今までとは異なる。
冷たい殺気が溢れ出た。
クリスは初めてアーテルの背が怖いと感じた。
「よくもやってくれたな野良犬野郎。首を落としてやるから、頭を垂れろ」
どこまでも冷ややかに、アーテルは告げた。




