第二夜
(医者…?)
その言葉にクリスはじろじろとアーテルの姿を見る。
カラス染みた不気味なマスクと言い、肌の全てを包み隠す黒づくめの格好と言い、とても医者には見えない。
「どう見ても医者の格好だろう?」
「どう見ても不審者にしか見えないんだけど…」
「えー」
どうやら本人は医者の恰好をしているつもりらしい。
見た目に反して、剽軽な仕草で両手を上げている。
顔はマスクに隠れているが、声の調子から判断するに三十は超えていないだろう。
クリスよりは年上だろうが、親子ほど離れている訳でも無いようだ。
「まあいいや。ところで君は、どうしてあんな所に居たんだい?」
気を取り直してアーテルはクリスに顔を向けた。
「月夜の晩に一人で外に出ることが危険なのは、当然知っているだろう?」
それはこの国に生きる者にとっての常識だった。
雲一つない月夜の晩には『獣』が出る。
だからどんな人間であれ、その夜に外を出歩くようなことはしない。
「『人狼』…内なる獣性に支配された人を喰らう化物だ」
月に狂い、人を襲う狼。
それがクリスに重傷を負わせた怪物の正体だ。
理性は無く、知性も無く、あるのはただ生存本能のみ。
生きる為に人間を喰らうと言う獣の本能だ。
「人狼なんて怖くないわよ。私は、それを殺す為に教会に派遣されたのだから」
「…なるほど。君は『白日教会』の聖女様だったのか」
納得したようにアーテルは近くの椅子に座り込んだ。
白日教会。
この国最大の宗教であり、事実上国家を支配している組織でもある。
約百年前から国中に発生するようになった人狼。
それを討伐し、人狼から人々を護ることで現在の地位を確立した。
教会には聖人又は聖女と呼ばれる奇跡を操る人間が所属し、その力を以て人狼を滅ぼしている。
「とは言え、君はその人狼に殺されかけていた訳だが」
「うっ!?」
痛い所を突かれ、クリスは思わず呻く。
本来ならあんな人狼程度は何匹でも相手に出来たが、疲労から不意打ちを受けてしまった。
体調管理を怠ったのはクリスの自己責任である為、何となくばつが悪くなる。
「そ、それよりあなたは? あなたの方こそ、何であんな時間に外を歩いていたの?」
話を変えるようにクリスは視線をアーテルに向けた。
「俺? 俺はアレだよ、昨夜は誰かの悲鳴を聞いたんだ」
ポリポリと手袋に付いた爪でマスクを掻きながらアーテルは言う。
「人狼に襲われた人がどこかに居るかも、と思って。医者として患者を探していたのさ」
「…人狼が出た夜に、一人で外を?」
「そうだよ。夜道は暗くて怖かったから歌を歌いながら行ったさ!」
鼻歌を歌いながらアーテルはマスクの下で笑う。
上機嫌なようだが、クリスは訝し気な顔を浮かべていた。
「治療費の方は、あとで必ず払うわ」
「なぁに、そんな物要らないさ! 人として当然のことをしたまでだよ!」
「………」
(胡散臭い…)
無駄に明るいアーテルを見て、クリスは思う。
悪い人間、では無いのかも知れない。
いや、クリスを無償で助けている時点で善人であるのは間違いない。
だが、その言動や雰囲気に漂う胡散臭さは何だろうか。
格好も相俟って、何を考えているのか本気で分からない。
「さて、背中の傷は治したが、根本的な疲労は回復していないよ。しばらくここで休んでいきなさい」
「しばらくって…どれくらい?」
「そうだな。まずは一週間と言った所か。場合によってはそれ以上に…」
「…そんなに寝ている暇はないわ」
ハッキリとクリスは告げた。
こんな所で足を止める訳にはいかない。
クリスにはやるべきことがある。
「どうしても、か?」
「どうしても」
「ふむ…では仕方ない」
頑ななクリスを見て、アーテルは唸った。
ようやく諦めたのか、とクリスは安堵の息を吐く。
「仕方ないので、麻酔注射して無理やり療養させよう」
「全然諦めてない!?」
「安心しろ。食事から排泄まで、全て俺がお世話しよう」
「安心できる要素が一つもないじゃない!?」
怪しげな注射器を持って迫るアーテルを前に、クリスは悲鳴を上げて飛び上がった。
思わずホルスターから愛銃を引き抜く。
「そ、それ以上近付くな! 鉛玉は出ないけど、あなたの頭を吹っ飛ばすことくらいは出来るわよ!」
「むう。ここまで患者に拒絶されたのは初めての経験だ」
残念そうにアーテルは注射器を置いた。
「何がそこまで君を駆り立てる? 信仰、と言うやつかな?」
「…確かに私は教会の人間だけど、そこまで熱心じゃないわ」
銃を仕舞いながら、クリスはやや沈んだ声で呟く。
「私が人狼を狩るのは、個人的な話よ」
「それは?」
「………」
クリスは暗い瞳で自身の手を見つめた。
「私は、人狼のせいでたった一人の家族を失った。ただ、それだけよ」
出来るだけ感情を込めず、クリスは吐き捨てた。
今の時代、決して珍しい話では無い。
むしろ、家族全員殺されてしまったと言う話も山のように聞く。
それを考えれば、クリスは生きているだけ恵まれているのだろう。
「つまり、復讐か。殺された家族の無念を晴らす為に一人で戦い続けていると?」
「…そんなところ。別に面白くも無い話でしょう?」
「………」
クリスの過去を聞き、アーテルは動きが止まった。
カタカタとそのマスクが震えている。
「『感動』だ」
「え?」
「俺は感動したよ! 殺された家族の為、たった一人で戦い続ける健気さ! 勇敢な心! 俺では真似できないことだ!」
感動に身を震わせながら、アーテルは大袈裟に叫ぶ。
「よし分かった! ならば俺は君についていこう!」
「な、何でそうなるのよ?」
「一度診た者は誰であろうと俺の患者だ! 俺は患者を見捨てない! しかし、君の意思も尊重したい!」
芝居掛かった仕草でアーテルは手をクリスへ向けた。
「故に、君の怪我と体調が回復するまで俺は君に同行しよう!」
「………」
あまりに強引な言葉にクリスは言葉を失う。
何と言うか、本当に考えの読めない男だ。
出会ったばかりのクリスの言葉を信じ、感動したから協力したいと告げた。
正直なところ、胡散臭いことこの上ない。
だが、嘘を付いているように見えないのも事実。
(本当に、何なの…?)
早速と言わんばかりに旅支度をしているアーテルを見て、クリスはため息をついた。