第十八夜
「道に迷った」
地図を見ながらクリスはそう呟いた。
ヴィーナスとの交戦後、諸々の報告をする為に聖都を目指していたクリス。
今まで地図を確認しながら真っ直ぐ北上していた筈だが、いつの間にか現在地が分からなくなった。
「君って実は方向音痴?」
「違う! この辺りが木ばかりなのが悪いのよ!」
怒ったようにクリスは辺りを見回した。
二人は現在、森の中に居た。
前後左右、どこを見回しても木ばかり。
コレでは例え地図があっても迷うと言うもの。
「…こっちの方が近道だから、と言って森に入っていたのは誰だっけ?」
「うぐ…」
呆れたアーテルの声に、クリスは何も言えなくなる。
アーテルの言う通りだった。
街道を外れて道なき道へ進んでいったのは、一時間前のクリス。
方向音痴では無いのかもしれないが、原因はやはりクリスだった。
「…アーテル。どっちから来たか覚えている?」
「………」
アーテルは無言で周囲を見渡す。
目印など一切なく、地に足跡も残っていない。
「『紅糸』」
呟くと同時にアーテルの爪先から紅い糸が伸びる。
突然の行動にクリスはギョッとした。
「ちょ、何をする気よ!」
「少し、見晴らしを良くしようかと思って」
「ダメ! 意味も無く自然を破壊するのは何かダメよ! 聖職者的に!」
「えー」
クリスに言われてアーテルは渋々と言った風に糸を消す。
危ない所だった。
あと少し声を掛けるのが遅ければ、アーテルによる自然破壊が繰り広げられた所だろう。
生物相手に力を振るうことは躊躇っていたようだが、植物相手なら何の躊躇いも無いらしい。
「とは言っても、いつまでもこの森でウロウロする訳にも………うん?」
「あら?」
その時、アーテルの視界に一人の女性が映った。
年齢は、二十代後半と言った所だろうか。
美女、と言う程でも無いが、優し気で温厚そうな顔立ちをしている。
身に纏っている物は簡素な布の服であり、貧しい訳でも無いだろうが、それ程裕福そうには見えなかった。
背には籠を背負い、中には山菜や茸が入っている。
「こんにちは。何か、お困りでしょうか?」
出会った女性に案内されたのは、森の中に隠れるように存在する小さな村だった。
木造の家々が並ぶ中、二人は女性の家に招待されていた。
「私はクリス。こっちの変なのはアーテルです」
「変なのって…」
アーテルは肩を竦める。
心外だ、と言わんばかりだが、初見の人間は誰だってこのカラスマスクを不審に思う筈だ。
「まあ、変だなんて。私はユニークで可愛らしいと思うわ」
しかし、その女性には予想外にも好印象だった。
「おお、このマスクを見てそんな反応をしたのはあなたが初めてです!」
アーテルは感激したように女性の手を取る。
本人的にはまともな格好のつもりなので、今までの周囲のリアクションに思う所あったのかもしれない。
「知っているでしょうが、俺はアーテル。ぜひ、あなたのお名前を…」
「コラ!」
ガツン、とクリスは銃でアーテルの頭を叩いた。
「初対面の女性の手を気安く触るな! 全く…」
「あはは! 楽しい子達ね」
二人のやり取りを眺め、女性は可笑しそうに笑った。
「私はカタリナ。よろしく、二人共」
先程よりも親密な言葉遣いで、カタリナは気さくな笑みを浮かべる。
人当たりの良さそうな女性だ、と二人は共に思った。
「ところで、二人は白日教会の人なの?」
カタリナはクリスが首から提げているペンダントを見ながら言う。
「ええ、まあ」
ちらり、とアーテルに視線を向けてからクリスは頷いた。
アーテルを白日教会の所属と言うのは微妙だが、深く説明する必要はないだろう。
「やっぱり。実は、私の娘も白日教会の聖女なのよ?」
「…え? 娘?」
その言葉にクリスの目が点になる。
聖女に年齢制限など無いが、どれだけ幼い頃から才能を発揮していたとしても認定されるのはクリスと同じくらいの年齢だろう。
クリスは今年で十九歳。
つまり、その母であるカタリナは…
「カタリナさん。あなた、何歳で子供を産んだの?」
「おい!」
あっさりと疑問を口にするアーテルの後頭部をもう一度叩く。
確かにクリスも疑問には思ったが、聞いて良いことと悪いことがあるだろうに。
激怒するクリスを見て、カタリナはキョトンとした顔をしていたが、次第に笑みを浮かべる。
「あははは! 違う違う、私が産んだ子じゃないよ」
二人の勘違いに気付き、カタリナはケラケラと可笑しそうに笑った。
「まあ、色々と事情があって親戚の子を引き取ったの。だから歳もそんなに離れていないんだ」
「そ、そうだったの」
それはそれで聞いてはいけないことを聞いたのでは、とクリスは気まずそうにする。
しかし、カタリナに気にした様子は無い。
「最近は全然会ってなくてね。ほら、この村って森に囲まれているから滅多に人も来ないし、自然以外何も無いんだよ」
だからきっと娘が望む物はここには無いのだろう、と。
少しだけ寂し気に呟くカタリナ。
実の親子では無いようだが、娘のことを考えるその顔は、確かに母親の顔をしていた。
「――――」
闇の中を影が走る。
荒い息を吐き、開いた口から毒液を垂らしながら、ただ走り続ける。
それは正しく獣だった。
四本足で大地を踏み締め、木々も動物も何もかも踏み散らしながら駆け抜ける一匹の獣。
「―――」
本能のままに走り続ける獣は唐突に足を止めた。
その鼻がヒクヒクと動き、進行方向を変える。
獣が求めるのは、命。
より多く、より新鮮な生命だ。




