第十七夜
「前々から思っていたんだけど…」
日が落ち、野営の準備をしていたアーテルはふと呟いた。
二人分の寝床を用意しながら向けられた視線は、クリスを見ている。
「何よ?」
クリスは焚き火の傍に座り込み、手にした魚を焼いていた。
今日の食事当番はクリス。
だから昼の内に釣った魚を串に刺して焼いているのだ。
「君は意外と、野性的だよね?」
不思議そうにアーテルは言う。
そう、クリスの用意する食事はいつもコレだった。
釣ってきた魚を焼いただけだったり、捕まえた小動物の肉を焼いただけだったり、と。
酷い時はその辺で採った茸やら木の実やらを生で食べる時もある。
野宿とは言え、もう少しまともな物も用意できる筈なのに。
「…実は狼に育てられたとか?」
「し、失礼ね! そんな人間がいる訳ないでしょうが!」
半ば本気で聞いたアーテルにクリスは憤慨する。
「…私はただ、あんまり食事に興味が無いだけよ」
そう言って焼けた魚に噛り付くクリス。
年齢的に、最も食べ物の味や好みにうるさい年頃だと思うが、クリスは妙に淡白だった。
「食べ物なんてお腹に入ればどれも一緒よ。味とか、別にどうでもいいじゃない」
何とも男らしい発言だったが、そう言うクリスの顔はどこか空虚だ。
何か思う所あるような表情に、アーテルは無言で自分の分の焼き魚を受け取る。
カラスマスクの口の部分が開き、魚を頭から呑み込んだ。
「…と言うか、食べ物云々であなたに文句言われたくないんだけど? 何なの、その珍妙な食べ方」
マスクを付けたまま魚を咀嚼する鳥人間に、クリスはドン引きだった。
「君は…」
モゴモゴと口を動かしながら、アーテルは呟く。
「少しばかり栄養が足りていないんじゃないかな?」
「………」
自身の焼き魚を食べていたクリスの動きが止まる。
「…どういう意味かしら? もし、私の身体特徴を言っているのなら、その眉間に弾丸を撃ち込むけど?」
スレンダーで薄い胸を見下ろしたクリスの顔に青筋が浮かぶ。
背は高めだが、女性にしては凹凸に欠ける体に少しコンプレックスを抱いていたらしい。
だが、アーテルとしてもそれを指摘する意思はない。
「栄養は栄養だよ。率直に言って、痩せすぎている。医学的に見て」
「そう?」
言われてクリスは自身の体を眺める。
確かに太ってはいないが、そこまで言われる程に痩せてはいないつもりだ。
「脂肪がどうと言うよりも、血が足りていないと言うべきか…」
「血?」
「血を操る秘跡の影響かな。君は常人よりも血が少ないようだ」
アーテルは不要となった串を火に投げ入れながらそう言った。
「血の総量を増やす為にも君はもっと栄養を取るべきだよ」
「…うーん」
血の総量を増やす。
戦いに影響すると言うのなら、クリスとしても反対する意思は無いのだが。
「私、あんまり多くは食べられないのよ」
火を眺めながら、クリスはぽつりと呟く。
単純に少食だ、と言う以上の意味を持つ言葉だった。
「ちょっとトラウマ、と言うか」
「トラウマ?」
「…昔の、白日教会に拾われる前の話なんだけどね」
ぽつぽつと、クリスは自身の過去を語った。
「私、貧民街に住む孤児だったの」
串を手の中で弄びながら、クリスは淡々と言う。
その顔に表情は無く、ぼんやりと火を見つめたままだ。
「あそこは酷い場所でね。満足に食べられた日なんて殆ど無かった。だから、かな」
常に空腹で過ごした日々。
今日食べることが出来ても、明日はどうなるか分からない不安の毎日。
餓えと戦い続けたその経験がトラウマとなっているのだ。
食事など最低限、食べられれば何でもいい。
食に対する拘りが殆ど無いこともその反動。
「って、私何でこんなことまで語っているんだか」
ふと我に返り、クリスは苦笑を浮かべた。
自分語りなんてする趣味は無かった筈だが、最近疲れているのだろうか。
「今の話、忘れて良いから。と言うか忘れろ」
「ふむ。とは言え、聞いてしまったのも事実だ。なら俺も少し心の内を語ろうかな?」
そう言って、アーテルは指先から紅い糸を伸ばした。
「うわっ…! いきなり何よ」
「君は、糸を秘跡と呼んだね?」
ゆらゆらと揺れる紅い糸。
それを眺めながらアーテルは言う。
「俺は、聖人では無い。修道院で修行を受けたことも無い」
「!」
「それなのに、俺の中に宿るこの力は、一体何なんだろうね?」
本来、秘跡とは望んだ者が修道院で修行を積むことで得られる力だ。
しかし、ごく僅かながらそうでない者も居る。
生まれつき秘跡を身に宿す者。
誰よりも強く神の祝福を得た者。
「まさか…『恩寵』が?」
クリスはアーテルから伸びる糸を見つめ、そう告げる。
恩寵。
秘跡を超える奇跡。
一般的に聖人の扱う秘跡よりも強力な奇跡を操れると言うが、その存在はかなり希少だ。
恩寵を得ていると言うことは紛れもなく神に選ばれた存在であることを意味し、白日教会に於いては純粋な戦力以上に強い意味を持つ。
歴代の教皇は全て恩寵を持つ者が選ばれたと言えば、どれだけ重要視しているか分かり易い。
「俺が医者になったのは、俺の体に何が起きているのか知る為なんだ」
人々を救いたいと語ったことも、医学を進歩させたいと語ったことも、嘘では無い。
嘘では無いが、何よりも前提としてそれがあった。
アーテルの身に宿る力。
それがもたらす体への影響。
その全てを調べ、解明し、
「そして、可能ならばそれを治したい」
「…え?」
クリスは思わず耳を疑った。
治す、と言ったのか。
神から得た祝福、その恩寵を。
まるで病気のように語るアーテルに、クリスは訝し気な顔を浮かべる。
「………」
だが、それを否定することは無かった。
クリスにも事情があるように、恐らくはアーテルにも事情がある。
恩寵を得ていないクリスには、アーテルの悩みや苦しみが分からない。
傍から見れば、得た力を捨てるような行為だが、それを非難することは躊躇われた。
「俺も、少し余計なことを言ったかな? 忘れてくれ」
言うと返事を待たずに寝袋に入るアーテル。
もうこれ以上語る気は無いようだ。
「…ふう」
大きく息を吐き、クリスもまた自分の寝袋に入る。
今まで話していたことを忘れるように、その瞼を閉じたのだった。




