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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
一章 愛の獣
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第十六夜


「俺は聖人じゃないよ」


あっさりと告げられたその言葉にクリスは手に持ったカップを落としそうになった。


慌ててそれをキャッチし、安堵の息を吐きながらアーテルの顔を睨む。


「ちょっとそれ、どういう意味!」


「どういう意味も何も。言葉通りとしか」


困ったようにアーテルは肩を竦めた。


「そもそも俺、自分が聖人だなんて一度も言っていないけど?」


言われてみれば、確かにその通りだ。


戦いの中でヴィーナスがそう指摘し、ただ否定しなかっただけ。


「でも、あなたは秘跡を使っていたじゃない。それに聖銀のペンダントを持っているのは何故?」


「ああ、コレか」


そう言ってアーテルは無造作に自分のペンダントを放り投げる。


カップを持っていない方の手で受け取ったクリスは、訝し気に表情を歪めた。


「何これ?」


見た目はクリスの持っている物と同じだが、どこか違和感を覚える。


偽物、とまでは言わないが、何かがおかしい。


「通信機能が、ついていない?」


「そう。それは正真正銘、ただのペンダントだ」


本来なら全てのペンダントに備わっている機能が無い。


コレでは聖都と連絡を取ることも、居場所を把握することも出来ないだろう。


見た目だけを本物に似せただけの物だ。


「以前聖都で仕事をしていた時に気に入られてね。特別にコレを貰ったんだ」


「………」


「一応、身分証として使えば聖人と同等の地位を証明できるらしいよ。使ったことないけど」


アーテルの言い分は、まあ分からなくもない。


客観的に見て、アーテルの医療技術は異常だ。


開花した狼狂病を治すことが出来るなど、白日教会が身内に引き込みたくなるのも理解できる。


それこそ聖人と同等の地位を与えてでも。


だが、


「それは、誰に貰ったの?」


そう、クリスの疑問は尤もだった。


正式な手続きも得ずに聖人の地位を与えるなど、誰にでも出来る行為では無い。


当然、白日教会でも高い権力が必要になる。


「そんなの決まっているじゃないか」


分かり切ったことを、アーテルは答えた。


「教皇様本人だよ。勿論」








「教皇様!」


聖都ケテル。白日教会の大聖堂にて。


コルネリアは慌てた様子でその扉を開けた。


そこは大聖堂の最上階。


白日教会で最も高い地位を持つ者が存在する場所。


「…どうした? そんなに慌てて」


控えめな笑みを浮かべ、部屋の主が言った。


荘厳な白い法衣に身を包んだ女だった。


まだ年若く、少女と呼ばれる年頃を抜けたばかりと言った所。


それでも纏っている装束に決して劣ることは無く、その顔立ちは清廉そのもの。


長く美しい金色の髪には幾つかの花を髪飾りのように差しており、幻想画染みた印象を受ける。


花の香りを漂わせており、相手を安心させる雰囲気を持っていた。


組織のトップと言うよりは、蝶よ花よと愛でられた貴族令嬢と言った風貌だ。


「コルネリア。貴女がそんなに慌てる所を見るのは一体いつぶりか」


女性として完璧すぎる容姿とは裏腹に、どこか男性染みた固い口調で女は言った。


「『女教皇ハイプリエステス』ヨハンナ様」


改めてコルネリアは目の前の女性の名を呼んだ。


白日教会の頂点に立ち、全ての聖人を率いる女教皇の名を。


「その名はやめてくれ。元々は先代である母が呼ばれていた名だろう? 私はまだ相応しくない」


恐縮するように教皇である女は言う。


「私はただの教皇。ただのヨハンナだ。そう呼んでくれると嬉しい」


「…分かりました。教皇様」


コルネリアは一先ず頷いて、呼吸を整えた。


「それで? 一体何をそんなに急いでいたんだ?」


部屋に飾ってある花に水をやりながら、ヨハンナはのんびりと尋ねる。


「アーテルと言う男の話です」


「ああ、彼の話か」


手にしていた如雨露じょうろを置き、ヨハンナは微妙な表情を浮かべた。


まるで隠していた悪戯がバレた子供のような顔だ。


「何を考えているのですか? 修道院で修行も積んでもいない相手に対し、独断で聖銀のペンダントを授けるなど」


コルネリアの視線が鋭くなっていく。


聖人の地位とは、聖女の地位とは、決して軽くはない。


願えば誰でもなれる物では無く、白日教会の修道院で修行を受け、その信仰心、その素質を見出された者だけが選ばれる。


修道院でどれだけ修行しても秘跡が得られず、聖人と認められなかった者など山のように居るのだ。


「…また枢機院の者達が口出ししてきますよ」


コルネリアは僅かに声を潜めて言った。


枢機院。


十三人の枢機卿による教皇の相談役。


元々はかつての暴君と同じ過ちを繰り返さない為、教皇を監視する為に作られた組織だ。


しかし、狼狂病の発生後、段々と組織が大きくなるに連れて彼らの権力も肥大化。


現教皇の歳が若いこともあり、最近は特に横暴が目立っている。


「だからだよ、コルネリア」


笑みを浮かべて若き教皇は言う。


「彼らの横暴を正す為には力が要るだろう? 私の敵は多い。優秀な部下は何人いても足りないからな」


「…アーテルと言う男が、優秀だと?」


「彼には秘跡サクラメントが宿っている」


「!」


コルネリアは表情を変えた。


普段は殆ど感情を表に出さないコルネリアが、驚愕に目を見開いている。


「貴女も既に調べただろうが、彼は修道院で修行を受けたことは無い。つまりは彼の秘跡は『天然物』と言うことになる」


「………」


「それが何を意味するか、貴女にも分かるだろう?」


ヨハンナは年不相応な狡猾な笑みを浮かべた。


盤上の駒を見下ろすかのように、言葉を続ける。


「まあ、彼に期待しているのは戦力としての価値と言うよりは、その医療技術の方だが。それは後々語るとしよう」


それで話は終わったと言うように、ヨハンナは如雨露を取る。


花に水を与える姿は絵になる程に美しく、無垢な乙女にしか見えない。


しかし、その実態は大陸を支配する組織のトップなのだ。


決して悪人では無いが、善人とも言い難い。


コルネリアはそれに戦慄したように深く頭を下げた。

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