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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
一章 愛の獣
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第十四夜


その女は、女神の如き美貌を持って生まれた。


村中の男を一目で魅了し、誰もが彼女に愛を囁いた。


多くの男達に愛された女はどんな願いだって叶えることが出来た。


そんな日々を送る内に、女は段々と傲慢になっていった。


それに反感を抱いたのは、恋人を奪われた村の女達。


何より彼女の美貌への嫉妬から、村の女達はその女を捕らえた。


『いや、やめて…! ここから出して…!』


山奥の使われていない小屋に女を閉じ込め、その悲鳴を嘲笑った。


このまま朝まで放置すれば、少しは大人しくなるだろう。


そう考えて女達は去った。


女達に彼女を殺すつもりは無かった。


そこまでするつもりは無かった。


女達にとって想定外だったのは、その夜に大規模な山火事が起きたこと。


深夜だったこともあり、村人に被害は出なかったが、小屋に閉じ込められた女は違った。


『………』


幸いにも、一命を取り留めたが、女は全てを失った。


焼けた顔にはかつての美貌は無く、焼けた喉がかつての美声を発することは無い。


村の女達は醜い言い訳を続けていたが、もうどうでも良かった。


最早、何の希望も無い。


生きていても何の意味も無い。


『可哀想に』


ベッドで横になる女の耳に声が響く。


枕元に一羽のカラスが顔を覗かせていた。


額にも目を持つ異形のカラス。


それが人の言葉を発している。


『不条理だ。お前はただ己の望むように生きただけだと言うのに。こんな仕打ちを受けるなど理不尽極まりない』


同情するようにカラスは告げた。


『お前には二つの道がある。一つはこのまま惨めな人生を終えること。もう一つは…』


カラスの第三の眼から涙のように黒い血が流れる。


『我が呪禁を受け取り、メガセリオンとなることだ』


『メガ、セリオン…?』


『人をやめ、セリオンへと生まれ変われ。そうすれば失った全てを取り戻すことが出来る』


失われた生命を、失われた美貌を、取り戻すことが出来る。


蘇ることが出来る(・・・・・・・・)


迷いは無かった。


女の手が救いを求めるように伸ばされる。


その指に触れた黒い血に縋り付くように、女はそっと口付けた。








「ッ…!」


ヴィーナスの顔に焦りが浮かぶ。


『彼』から授かった力が通じない相手がいるなど夢にも思わなかった。


ヴィーナスの力は視線を合わせた相手を魅了する能力。


それは強力だが、逆に言えばそれだけの能力だ。


魅了が通じない相手には何も出来ない。


「痛ッ…!」


アーテルの振るう爪がヴィーナスの肩を掠め、短く悲鳴を上げる。


傷口が熱を持ち、肉が焼けるような音を立てた。


「その爪、銀で出来ているのね…」


大抵の傷なら獣の体は瞬く間に修復してしまうが、銀の武器で負わされた傷だけは別だ。


外見は人型であるヴィーナスも人狼であることに変わりなく、弱点もそのままだ。


「―――」


服が破れ、焼け爛れた自身の皮膚をヴィーナスは見つめた。


その痛みが、醜い火傷が、ヴィーナスのトラウマを呼び起こす。


あんな思いは、もう二度としたくない。


「あああああァァァァ!」


雄叫びと共にヴィーナスの両腕が獣のような体毛に覆われる。


倍以上に膨張した両腕の先には、刃のように鋭い爪が生えていた。


「爪を武器にするのが自分だけだと思ったら大間違いよ…!」


獣の姿となったヴィーナスは地を蹴る。


両腕だけが自身の胴ほどまで膨らんだアンバランスな体のまま、力任せに爪を振り下ろした。


「ッ」


間一髪躱したアーテルの傍で轟音が響く。


大地を削り取りながらヴィーナスの疾走は止まらない。


「は、はははは! 逃げてばかりじゃない!」


逃げ回るアーテルの姿を見て、ヴィーナスは安堵と共に嘲笑を浮かべる。


戦い慣れていないヴィーナスの苦肉の策だったが、存外上手くいったようだ。


ただ獣の力のままに爪を振り回しているだけだが、それでも人間にとっては嵐そのもの。


「そんな小さな爪で、私達が殺せると思ったのかしらぁ!」


アーテルの背を追いながら、ヴィーナスは叫ぶ。


「…俺の武器は」


ヴィーナスに背を向けたまま、アーテルは顔だけを後ろに向けた。


「この爪では無い」


「…え?」


アーテルは何も無い空間を切り裂くように爪を振るう。


瞬間、虚空に紅い光が走った。


「『紅糸ルベル』」


それは糸だった。


アーテルの爪から伸びる紅い糸は、ヴィーナスの眼前に蜘蛛の巣のように張り巡らされている。


「な…」


地を駆けるヴィーナスは勢いを止めることが出来ず、紅い蜘蛛の巣へと飛び込んだ。


「ぎ、ああああああああああ!」


ヴィーナスが絶叫する。


髪の毛ほどの太さしか無い糸は鋼のように硬く、鋭かった。


蜘蛛の巣は罠に掛かった獲物の全身を切り刻み、その血を啜る。


「秘跡…!」


聖人は銀だけで武装するのではない。


神より授かった秘跡。


それこそが本命の武器。


ヴィーナスの持つ呪禁のように、理を捻じ曲げる力。


「断ち切れ」


「ぐ…うう…ッ!」


紅い光筋が刃のように振るわれる。


アーテルの指先の動きに連動して、紅い糸がヴィーナスの両腕を切り飛ばした。


骨まで断ち切られた獣の腕から夥しい量の血が噴き出す。


恐ろしい切れ味だった。


(血が、血が足りない…!)


人間なら死に至る傷を受けてもヴィーナスは死ななかった。


切り刻まれた傷は再生しつつあるが、失った血までは戻らない。


人狼の力とはその体内を流れる黒き血の力。


それを失い過ぎた。


早く補給しなければ、命に関わる。


焦るヴィーナスの視線が男達へと向いた。


「チッ…!」


ヴィーナスは舌打ちしながら地面を蹴る。


この際、誰でも良かった。


男の首筋に喰らい付き、その血を一滴残らず吸い尽くす。


ヴィーナスの牙が肉を突き破り、血が噴き出す。


「させ、ない…!」


しかし、それは阻まれた。


男とヴィーナスの間に割り込み、片腕を犠牲にして牙を防いだ者はクリス。


洗脳されて動けない筈の体を無理に動かして、その男を庇ったのだ。


「『ファイア』」


クリスの銃口が火を噴いた。


放たれた弾丸は密着した状態からヴィーナスの心臓を撃ち抜く。


「が、あ…!」


例えどれだけ力を得てもヴィーナスが人狼であることは変わらない。


銀と太陽を苦手とし、そして心臓を破壊されれば死に至る。


「あ、ああ…」


熱い。


体が内側から焼けるように熱い。


あの時と同じだ。


炎がヴィーナスの全てを奪っていく。


「助け、て…! 助け…」


救いを求めるように空へ手を伸ばすヴィーナス。


しかし、二度目の救いが与えられることは無かった。


ヴィーナスの体は灰と化し、崩れ去ったのだった。








「………」


灰の山となったヴィーナスから視線を動かし、クリスは無言でアーテルを見る。


その首から提げられた聖銀のペンダントを。


「あなたも、白日教会の聖人だったのね」


クリスは不審そうにアーテルを睨みつける。


何か隠しているとは思っていた。


だが、その真実はクリスの想定以上だった。


一介の医者などと嘘ばかり。


クリスと同様に秘跡を受け、白日教会に所属する身だったとは。


「―――」


アーテルは何も答えない。


騙していたことを弁解する訳でも無く、ただ黙り込む。


「…何か言ったらどうなの?」


聖人でありながら同じ立場である聖女のクリスに身分を隠していた。


疚しいことがあると言っているようなものだ。


一体これ以上どんな秘密を隠しているのか。


「『感動』だ」


唐突にアーテルは呟く。


カタカタと小刻みに震えるアーテルの体。


それにクリスは猛烈な既視感を覚えた。


「感動した! 感動したよ! やはり君が素晴らしい人間だな! クリス!」


「は? 何を言っているのよ?」


「その傷の話さ!」


そう言うとアーテルはクリスの手を取った。


「ッ…」


思わず痛みにクリスは顔を顰める。


クリスの左腕にはヴィーナスに噛まれた傷跡が残っていた。


「庇ったのだろう? 身を挺して。名も知れない男達を、自分へ襲い掛かった者達を護る為に!」


感動に震えながらアーテルは先程のクリスの行動を称賛する。


ヴィーナスに殺されそうになっていた村の男を庇い、クリスは傷を負った。


自身もヴィーナスの呪いを受け、殺されかけていたと言うのに。


「…違う。血を吸ったヴィーナスが力を取り戻さない為よ」


しかし、クリス自身はそれを未熟と判断する。


それ故に否定し、認めない。


他者が殺されそうになった光景に、咄嗟に体が動いてしまったなどと。


「そうだ。そうだ! 本当の善人は自らの行いを善と認めない! 何故ならそれは『人として当然のこと』だからだ! 当然のことを当然のようにすることは善行ではない!」


一方でアーテルはますます熱が入ったかのように叫ぶ。


「正しく聖女! 正しく正義! 君こそが人としての模範! 君こそが俺は目指すべき場所だ!」


ヴィーナスに洗脳されていた男達よりも尚強い感情を見せ、アーテルは言う。


その手袋に覆われた手がクリスの両手を掴んだ。


「率直に言って、俺は君に惚れた。どうか想いを受け取って欲しい。愛しき聖女よ」


「…は、はああああああああ!?」


羞恥と驚愕を顔に浮かべ、クリスは叫んだのだった。

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