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獣に到る病  作者: 髪槍夜昼
最終章 黒の獣
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最終夜


カインの消滅と共に、全ての人狼はこの世から失われた。


大陸を汚染していた黒血は消え、人々を苦しめていた狼狂病も嘘のように治癒した。


通常の病気では考えられないその現象は、あの病気が神の呪いだったことの証明だった。


大陸中に広まっていた呪いは全て一人の男を呪う為の物。


かつて大罪を犯した者の血を引く者全てを呪い殺す為の神罰だったのだ。








「…はぁ」


最後の戦いから一か月後、ヨハンナは教皇室でため息をついた。


目の前の机には山のような書類が置かれている。


「…平和になっても変わらない物ってあるものだな」


「良い台詞に聞こえますが、仕事が溜まっているだけですよ」


冷静にコルネリアは淡々と言う。


人狼と狼狂病の問題は消えたが、世の中の問題はそれだけではない。


むしろ、カインを討伐したことで民衆の期待が白日教会に集中しており、仕事は増えた。


メガセリオンとの戦いで被害を被った都市の修復作業、難民の受け入れ先など、仕事は幾らでもある。


「はい、どうぞ」


コトリ、と音を立ててヨハンナの机にカップが置かれる。


中に入っているのは湯気を立てる黒い飲み物。


「………」


それを見て、ヨハンナは渋い顔を浮かべる。


コーヒーも嫌いでは無いが、どちらかと言えば紅茶派のヨハンナ。


の淹れた紅茶を思い出し、深いため息が零れる。


「こんな時に、グレゴリウスが居ればな」


「…教皇様」


思わず呟いたヨハンナの言葉に、コルネリアは言う。


「…何か死んだみたいに言ってますが、グレゴリウス様は生きてますよ?」


呆れたように今度はコルネリアがため息をついた。


そう、グレゴリウスは別に死んでない。


ルナとの死闘の末に重傷を負ったのは事実だが、あの場にはソフィーが居た。


腹に大穴を空けたルナを引き摺って転移したソフィーのお陰で、何とか一命は取り留めたのだ。


それでも死に掛けたことは事実である為、現在も入院中である。


「と言うか、絶対に彼にそんなこと言わないで下さいね。また病院から抜け出しますから」


罪悪感とか恩義とか親愛とかその他諸々でグレゴリウスはヨハンナにかなり甘い。


彼女が寂しがっていると知れば、間違いなく飛び出してくるだろう。


「…コルネリア」


「駄目です」


「まだ何も言っていないのだけど?」


「どうせまた、見舞いに行くと言うつもりでしょう? 昨日も行ったのですから、我慢して下さい」


「………」


図星だった。


珍しく年相応に拗ねたように、ヨハンナは口を閉じる。


「…良いじゃないか! 彼に会った方が仕事が捗るのだよ!」


「ああ、もう! 絶対にダメです! どうして貴女はあの男が関わるとダメな感じになるのですか!」


これ以上ダメにしない為にも、しばらくグレゴリウスに会わせるのは控えよう。


コルネリアは一人そう決意した。








「凄いですね、また増えてませんか?」


同じ頃、聖都の病院では呆れたような少女の声が響いた。


その視線は病室を埋め尽くす程のプレゼントの山へ向けられている。


「見舞いの品だと言って、皆が置いていくんだ」


そう言って苦笑を浮かべるのはルキウス。


未だ病院のベッドで横になりながら少女、ソフィーへ顔だけ向ける。


「そんなボロボロになるまで聖都を護り続けたんですから、まあ感謝されるのは当然ですよね」


最後の戦いでルキウスはメガセリオンと戦った訳では無いが、人狼の大群から聖都を護っていた。


聖都の住人にとって命の恩人だ。


だからこそ人々は毎日のようにルキウスの病室を訪れ、見舞いの品を置いていく。


「煉獄の火と忌み嫌われた俺に、こんなに人に感謝される日が来るとは夢にも思わなかった」


そう言って、ルキウスは握り締めた紙片を大事そうに見つめる。


「何ですか、それ?」


「ああ、昨日来た子供から貰ったんだ」


それは拙い字で書かれた手紙だった。


子供が感謝を込めて書いただけの紙切れ。


だが、ルキウスはどんなプレゼントよりも大切そうに手紙を握っていた。


「…ふん。感謝の言葉なんて、一銭にもなりませんよ」


子供のように言いながら、ソフィーは見舞い品の一つを勝手に開けた。


高そうなクッキーを齧り、呆れたような目をルキウスに向けている。


「お前にもいつか分かる日が来る。金や物よりも、人の想いの方がずっと嬉しいものだと」


「…そうですかね」


少し複雑そうな表情をしながらも、ソフィーはその言葉を否定はしなかった。








「………」


アーテルは一人、空を眺めていた。


表情の無い顔で考えているのは、カインのこと。


自分が倒さなければならなかった仇敵。


己の全てを奪った存在。


しかし同時に、命の恩人でもあった。


理由はどうあれ、カインが居なければ自分は死んでいた。


感情を奪われ、心を失い、獣に成り果てたことに感謝することは無い。


それでも、こうして生き残ってみると、少し考えも変わる。


「………」


カインは、自分とアーテルが同じだと言った。


同じように、家族を殺したとも。


確かに、二人はよく似ていたのかもしれない。


互いに死を恐れ、それ故に人で無くなり、家族を殺すことになった。


カインのしたことを認めるつもりはない。


だが、彼のことを理解するくらいは良いだろう。


「アーテル!」


遠くからクリスが呼ぶ声が聞こえ、振り返る。


歩き出しながらも、アーテルは思う。


世界中の人々が憎み、恐れた獣の王。


神に呪われ、己の野望の為に全てを滅ぼそうとした怪物。


そのカインの正体は、死に怯え、家族を殺したことを悔いる…


ただの一人の人間だったと言うことを。


「………」


それを、自分は忘れない。

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