エドワードの決意
僕はルーン公爵家の嫡男として生まれた。
幼い頃の記憶はレティシア姉様との記憶ばかりだ。
姉様は忙しいのかずっとは一緒にいられない。でも会いに来てくれるといつも僕を膝にのせてニコニコしていた。
僕の勉強がはじまると寝る前にこっそり僕の部屋に来てくれた。夜の晩餐が終われば、僕も姉様も部屋に帰って休むだけだ。母上の目を盗んで僕の部屋に来ているのは秘密だった。
「無理しないで。エディは凄いわ。自慢の弟よ」が姉様の口癖だった。
教師たちに褒められても何も思わなかった。でも姉様の言葉は嬉しかった。
ルーン公爵家は宰相一族。隠す情報も多く、人を招くことは少なかった。
ルーン公爵家に訪問を許されるのは両親が信頼できる家だけだった。
僕が家で会うのはマール公爵家とシオン伯爵家とルーンの分家の人間だけだった。
父上は僕の交友関係を広めるために、私的な訪問の時は僕も一緒に連れて歩いた。
「エドワード、優秀であることは誇らしいことだ。」
最初は言葉の意味がわからなかった。僕は自分が優秀なことを知らなかった。
ただ他家を訪問しているうちに僕は父上の言葉の意味を知った。
大人の用事が終わるまで、子供は一つの部屋に集められていた。
大人は僕や子供に質問を投げかける。領地問題への問いに周りの子息たちは黙り込んでいた。僕は何を悩んでいるかわからず、答えを言ったら、恐ろしい目で見られた。
「嘘だろ?」
「確か4歳だろ」
「どうせ父親に答えを聞いていたんだ」
蔑む目に誹謗中傷、ルーン公爵家への遠回しの侮辱、果ては姉様を悪女と言った。僕は言い返そうとしたけど姉様の声が脳裏に浮かんだ。寝てる僕に静かに語りかけた姉様の言葉。
「エディ、貴族は汚い世界です。将来、きっと酷い言葉や悲しい言葉をたくさん言われるでしょう。姉様ができるだけ守ってあげます。ルーン公爵家は優雅であれ。冷静に感情に捕らわれてはいけません。感情的になって相手をするのは駄目です。エディが巻き込まれないといいんですが、こんな弱気ではいけません。姉様頑張るから。良い夢を」
そういえばリオに困ったら相談しろと言われていた。姉様を守りたいなら、行動を間違えるなと。
父上は優秀であることは誇るべきことという。なら僕は間違っていない。
僕は言い返すのはやめて、周りの声に静かに耳を傾けることにした。情報は大事だから。問題を投げかけた当主は僕を静かに見つめている。父上の僕を試す時の目にそっくりだ。
僕は静かに聞き流すだけ。父上が迎えにきたので、感謝と退室の礼をして立ち去った。
さすがにこの頃の僕は自分が敵対派閥の家に放り込まれたことを知らなかった。
***
自室に戻ると姉様が部屋に飛び込んできた。
姉様は僕の前にしゃがんで心配そうに見つめて抱きしめた。
「エディ、よく頑張ったわ。あとは姉様に任せなさい」
「姉様?」
「大丈夫よ。いけないとはわかってるわ。でもこんなの酷いわ。お父様には私が言います。本当は嫌だけどエディを犠牲にするなら私が引き受けます。姉様のわがままのせいでごめんね」
姉様の言葉はよくわからなかった。でも僕のことを心配しているのはよくわかった。
「シア、落ち着いて。エドワードが困惑しているよ」
いつの間にかリオがいた。姉様が顔をあげてリオを見ている。
「リオ、敵対派閥の家にこんな幼いエディを連れて行ったなんてあんまりよ」
「姉様、僕は大丈夫ですよ。心配しないで。姉様のためなら僕はどんなことも頑張ります」
「エディ」
「シア、嫡男教育に口出すべきでないことはわかってるだろ?それにシアが嫌な社交デビューを早めても叔父上は同じことをするよ。エドワードの教育に必要だと思ってやったことだ。それにシアは令息の教育はわからないだろう。」
「失礼します。お嬢様、奥様がお呼びです」
姉様が恐る恐るシエルを見た。
「まさか・・」
「シア、エドワードは俺が見るから行ってこい。お前が走ってる所を見られてたよ」
「エディ、姉様は行かないといけないみたい。リオ兄様に甘やかしてもらって。お勤め御苦労さま。あなたは自慢の弟よ」
姉様は僕の頭を撫でて、無理矢理な笑顔を浮かべてシエルと一緒に行ってしまった。
リオは苦笑しながら姉様の背中に「余計なことは言うなよ」と投げかけた。
リオが僕に両手を広げた。
「甘やかすって、抱っこするか?」
「いらない」
「だよな」
リオは僕を見ながら笑い椅子に座った。侍従がお茶の用意をはじめた。
「だよな。エディが甘えるのはシアだけだよな」
わかってるなら聞かなければいい。
大事なことを聞くことにした。
「リオ、姉様が悪女ってどういうこと?」
「シアは知られたくないと思うけど。まぁお前なら平気か。シアは一方的にクロード殿下に気に入られている」
姉様はすばらしい方だから当然だ。
「お前の周りにいたのは敵対派閥の連中だ」
「うちに力をつけられたくない、姉様へのやっかみですか。」
「そうだな。感情的に言い返さなかったのはよくやった。」
リオに頭を撫でられる。姉様の手とは違って気持ちよくないので、振り払った。
「正しい対応は?」
「俺なら家とシアに害がないなら、静かに話を聞いて、泳がせる。隙をみて報復する。」
覚えておこう。泳がせて、報復。
「姉様は嫌だけど社交界デビューを早める?」
「社交界デビューすると自由な時間が減るからな。俺やお前ともゆっくり過ごせないだろうな。シアは許されるならギリギリまで延ばして俺達と過ごしたいってさ」
「姉様との時間が減る?」
「ああ。」
僕は姉様との時間が減るのは嫌だ。
「どうすればリオみたいに賢くなりますか?」
「シアは望まないよ」
「僕には報復する方法も正しい対応もわかりません。」
「叔父上もまだ望まないだろうな。紹介してやるから俺の義姉上に相談してみろ。あのは人凄いから。シアが可愛いエディがって嘆くな」
「リオ、余計なこと言わないで」
リオを睨んでも笑われるだけだった。
僕はそれからカナト・マール夫妻と文通をはじめた。姉様には内緒にしてほしいと頼んだ。
父上は僕がリオじゃなくてカナト様に懐いたことが意外だったみたい。
リオは頼りになるけど姉様との時間をとるから好きじゃない。それに姉様が一番頼りにしてるのも悔しい。それならリオが敵わない相手に教えを乞うことにした。
***
ある日姉様が魔力測定で無属性とわかった。姉様は儀式のあとに倒れてしまった。
僕は眠ってる姉様を見ていた。母上は自室に籠っている。父上の様子は変わらない。
僕は教師からルーンの直系で魔力を持たないのは姉様が初めてだと聞いた。姉様を痛ましそうに見つめるけど、意味がわからない。姉様はすばらしい人だ。
「エドワード、大丈夫か?」
いつの間にか心配そうな顔をした伯父上が隣にいた。リオは父上と伯母上は母上と一緒にいるそうだ。
「ルーン公爵には言わないから正直に話しなさい。レティのこと、どう思う?」
「姉様はすばらしい人です。魔力がなくてもかわりません」
「魔力のない姉を恥だと思わないか?」
僕は伯父上を睨みつけた。
姉様が恥?僕の姉様が?
伯父上が僕を見て笑った。
「これからレティが言われ続ける言葉だよ。レティがどんなに努力して成果をだしても魔力がないってだけで蔑まれ、見下される。ルーン公爵家も魔力のない令嬢がいることを責められるだろう」
優しい姉様が、そんなことで?
「マール公爵家もですか?」
「まさか。魔力がなくても私の可愛い姪だよ。うちはかわらない。ただ全ての貴族はそうでない。もちろん私達も手を貸すし、リオも必死で守るだろう。」
安心した。悔しいけど姉様がマール公爵家が大好きだから。
「誰よりも賢くなって力をつけます。姉様が傷つけられるなんて許せない。僕の姉様が」
僕の頬に手が伸びて来た。
「エディ、姉様が守るわ。泣かないで」
姉様は僕の顔を見て微笑んでまた眠った。
「二人は仲が良いな。うちの息子たちとは大違いだ。安心したよ。エドワードなら大丈夫だな。私の杞憂だった」
誇らしげに笑う伯父上に僕は心配されていたことを知った。
「姉様を守るために努力します。姉様はずっと僕が守ります」
「いつかレティは嫁にいくだろう?」
「僕が立派なルーン公爵になります。姉様はうちでゆっくり過ごせばいいのです。僕は姉様が一緒にいられれば何もいりません」
「そこにうちの息子もいれてくれるかい?」
「いりません」
苦笑した伯父上は僕の頭を撫でて退室して行った。
翌日、食事の席に現れた姉様は悲しい顔で僕を見つめた。無礼を咎める母上もいないので姉様に抱きついた。姉様は驚いた顔をしてもいつものように抱きとめてくれた。
「姉様、僕はどんな姉様も大好きです。僕が一生守ります。だから安心して」
「エディ、ごめんなさい」
「魔力がないならずっと家にいてください。僕が立派なルーン公爵になってお守りします。僕の隣で笑ってて」
姉様がクスクスと笑った。
「そんなことできません。でも気持ちは嬉しい。私はエディの役にたてるように頑張るわ。迷惑かけてごめんなさい」
「姉様、謝るなら僕の傍にいてください。」
「エドワード、我儘を言うのでない。レティシアも座りなさい」
姉様が僕を引きはがした。
「おはようございます。お父様、申しわけありません。エドワード」
「謝罪はいい」
「お父様の寛大な心に感謝します。」
僕は礼をした姉様に促されて席に戻った。僕は食事が終わったあと、父上に教育を厳しくしてほしいと頼んだ。父上は手は抜かないから覚悟しろと言われたので笑顔で了承した。
姉様のためなら、頑張れる。それに頑張る僕を姉様が褒めてくれるから、どんなことも耐えられる気がした。
***
姉様の魔力のない話は広まっていた。父上に同行した場所にリオがいた。僕を可哀想な弟と周りの子息たちを静かに見ていた。姉様が魔力がないのは罰。悪女の運命。でもルーンの力ほしさに魔力はなくても嫁の貰い手には困らない。ルーンの力は絶大。何も言い返さない僕に気を良くしたのか言葉が止まらなかった。
僕の姉様はお嫁にいかないでほしい。ルーンの力のために姉様をお嫁にほしいなんて人間は絶対に許さないと思った。リオが静かに見ていた。
「エドワード様、正直に話していいのですよ。私達はエドワード様の味方です」
僕と親しくしたいのに姉様のことを悪く言うのがいかに愚かなことかわからないのかな。僕にはまだ力がない。顔は覚えた。いつか力をつけたら絶対に後悔させてやることを決めた。
「僕の敬愛する姉様はすばらしい方です。ご心配いただきありがとうございます」
「愚姉をたてるとは。エドワード様は寛大な心をお持ちですね。ただ女性を見る目が曇らないか・・」
「よければ私の妹を紹介しましょう。魔力もあり、教養もあり悪い噂もありません」
僕に自分の姉妹や親戚に会えと騒ぎはじめた。ルーン公爵邸に招待してほしいとも。僕は大事な家に踏み入れられるなんて嫌だった。
「いい加減にしろ。俺の従弟にはまだ早い」
「マール、だが」
「社交の勉強をはじめたばかりなんだ。エドワードに会わせたいならルーン公爵を通すのが筋だろう」
「俺は遊び相手として」
「他家に口出すべきじゃないだろうが。エドワード、遊び相手ほしいか?」
リオは知ってる。僕は姉様との時間以外はいらないことを。
「いりません」
周りが気持ち悪い顔をして声をかけてきた。
「無理しなくていい。正直に言ってみろ」
「子供だろ?」
子供?
僕の目の前には年上ばかりだけど成人している人はいない。
姉様の言うお友達になりたいと思える相手などいなかった。
「僕は海の皇国語で政治の話ができる友人はリオがいます。リオよりも外国語に精通して他国の内情に詳しい方なら親しくなりたいと思います」
周りが引いていることがわかる。マール公爵家より他国の事情に詳しい家はない。
海の皇国語はもっとも難しいとされている言葉である。話せる令嬢は姉様くらいだとシエルが誇らしげに話していたから。
「俺の従弟は学ぶことがなによりも好きなんだよ。遊びに誘っても断る。子供だからお付き合いも知らないしな。見かねたルーン公爵が連れ出してるんだ。」
僕が学ぶと姉様が褒めてくれる。だから学ぶことが一番楽しいのは本当だ。
「マールもお守り大変だろう?」
「俺は好きでやってるだけだ。それにエドワードは賢いから話していて楽しいからな」
「姉は弟に全てを持っていかれたか」
「価値観はそれぞれだ。ただ俺はそうは思わないけどな。言葉には気をつけたほうがいい。そろそろ伯父上がくるから俺達はこれで。エドワード行くぞ」
僕はリオに連れられて退室した。
「シアより優秀だな。耐えてえらいえらい。シアなら応戦したよ」
「リオはなんで言わないんですか?」
「俺のシアのことを教える義理はない。バカは勘違いさせておけばいい。相手にすべきは今じゃない」
「僕の姉様です」
「シアがエドワードが心配だから、気にかけてほしいって頼まれたけど俺がいなくても大丈夫だな」
ここにリオがいたのは姉様が頼んだのか。
「姉様。」
「シアが好きだよな。でもお前の態度で勘違いするやつもいるだろうな。楽しみだよな」
リオが悪い顔をしている。リオは僕に姉様の前での態度の違いを指摘するけど、リオも同じだ。
僕が姉様を大事に思ってることを周りに周知するのはもっと力をつけてからだ。
姉様を守る方法を見つけるまでは内緒だ。今は悔しいけど隣の従兄を頼るしかない。
「今は姉様を預けます。」
「俺も譲らないよ」
悔しいことに僕よりもリオの方が上手だった。この時、すでにリオが姉様の婚約者の座を手に入れたなんて思いもしなかった。
僕は歳を重ねるごとに姉様を守ることがいかに大変なことか身に染みた。
悔しいけどリオが傍で姉様を守っていることに感謝していた。
***
旅立った姉様が帰って来てマール公爵領で暮らし始めた。時々会いにいくと姉様は幸せそうだった。僕を迎えてくれる笑顔は昔から変わらない。リオが姉様の傍で守るなら僕は違う方法で守ろうと決めた。
いずれ姉様のことは見つかってしまうだろう。それでも僕は姉様が近くで過ごしてくれるのは幸せだ。
姉様が二度目に旅立った理由をリオから聞いて僕はまだ力が足りないと思った。
「殿下がシアを側妃にしたいって。シアがルーンと俺達のために泣きながら了承しようとしてた。止めたけど、気にしてるから当分旅立つよ」
「ちゃんと帰ってくるんですか?」
「いずれはな。」
王家は未だに姉様を諦めてない。僕は周りを利用してどんどん力をつけていった。姉様の友人達も快く協力してくれた。たぶんリオはリアム達が10歳になるころには帰ってくる。子供の戸籍が作られ国民権が与えられる時期に。嫡男と公爵だと持てる力も発言力も違う。僕はリアム達が10歳になるまでに公爵を継ぐことを決めた。僕の話を聞いてロキが笑っていた。ロキはリアム達が学園に通うなら教師になろうかなと呟いた。学園を掌握するのも必要なことだ。僕は相棒のロキと一緒に姉様のために環境を整えることにした。時々送られてくる映像魔石に映る姉様達を見ると力が湧いた。やることはたくさんある。
父上が婚約者をそろそろ決めろとうるさいけど聞かないことにした。
ルーンの血は姉様が残してくれる。僕は姉様以上に大事にできる人間なんていない。
「政略結婚でも迎えるお嫁さんを一番に大事にしないといけません。」という言葉を守れない。僕は姉様が嫌がることはしたくないから。僕の話を聞いた母上は好きにしなさいと笑っていた。「ルーンの次代はエドワードとレティシアだから何も心配してない」と。昔から母上は姉様にだけは特別に厳しい。僕のことは父上に任せているので姉様と比べれば放任に近い。
僕はいずれ会えることを楽しみにしながら姉様が帰ってくるのを待つことにした。




