石も磨けば玉となる!
「っわあ!?」
身体がびくっとする嫌な感覚に、ばさぁっ! と掛布ごと飛び起きた。
眠っていたのに息が上がっていて呼吸がし辛い。
まるで全力疾走した後みたいな心地に、顔を顰めながら手元を見た。
確かに感じる布地の感触に、私はぐっと拳を握りしめる。
力の入れ過ぎで手の甲が白くなった。
固まった拳をゆっくり開くと、掌全体にぐっしょり汗を掻いていた。
それを見てから、私はぱっと顔を上げて辺りを見回した。
天井まで伸びた窓から差し込んだ朝の光が、クリスタル硝子のシャンデリアやゴツい重厚な調度品を輝かせている。
深い濃紺のビロードのカーテンが少し開いているのは、きっとエブリンの気遣いだろう。
「わ、わたし……私は、リイナ。リイナ、フォンターナ……」
自分に言い聞かせるように、私は部屋を見つめながら自分の胸をぎゅっと手で押さえ込んだ。
あまりにも夢見の悪い夢に、心臓がどくどくと騒音を立てている。
まるで全力疾走でもしたみたいだ。というか、全身が汗びっしょりで気持ち悪い。
冷や汗とか脂汗とか、嫌な汗が全部混ざったみたいな感覚だ。
その位、元の世界の夢は私にとって恐ろしかった。
「大丈夫……今の私は理衣奈じゃない。リイナ=フォンターナ……そしてクラッド様の妻……リイナ=アルシュタッドなんだから」
激しく脈打つ鼓動を沈めるために、ゆっくり今の自分の名を繰り返す。
そうしないと自分の存在が今にも消えてしまいそうで恐かった。
何度もぶつぶつ名前や両親のことやクラッド様、このアルシュタッド邸で働いてくれている使用人達の名前も全部唱えて、やっと呼吸と気持ちが落ち着いてくる。
その丁度良い頃合いで、部屋の扉がコンコン、と数度軽く叩かれ、私は「はい」と返事をした。
静かに部屋に入ってきたエブリンは、起きたばかりの私を見て一度目を薄く細めてから(めっちゃ恐い)ふうと溜息を吐き、口を開く。
「お嬢様おはようございます。流石にそろそろお支度なさいませんと、『ホトトギス計画』の第二弾開始に間に合わなくなるかと」
「ああっ! ほんとねっ! 今起きるわ!!」
彼女の台詞を一拍おいてから理解して、私は慌てて寝台から飛び降りた。
そうだ。そうだった。
今日から旦那様の貞操を奪え計画……じゃない、ホトトギス計画第二弾をスタートさせるんだった!
その為に、今日はとある人と約束を取り付けている。その方は気難しい事で有名なので、遅刻などはもってのほか。
かといっておざなりな支度なんてした日には、きっと金輪際相手をして貰えなくなるだろう。
その位、身だしなみにもマナーにも厳しい方なのだ。
「っでええええっ!? あと二時間しかないっ! やばい! エブリンごめん手伝ってー!」
「元よりそのつもりですわお嬢様。わたしとしても本日お会いになる方を逃すわけにはいきませんので」
「なんかよくわかんないけどありがとう!」
「いいえ。これもわたしの野望第一歩ですので」
慌てふためきながら顔を洗い、ああ今日のドレスどうしよどうしよ、と半泣きで有能な侍女に助けを乞うと、いつもはスパルタな彼女がにっこり笑顔で快く頷いてくれた。
そして流れるように私をドレッサーの前に誘導すると、微笑を浮かべたままなぜかえらい気迫で髪を梳き始める。
「え、ちょ、恐っ! 何エブリン野望って! 初耳なんだけど!!」
「左様で御座いましたか。まあお嬢様はお気になさらずとも結構ですよ。わたしの勝手な壮大な野望でございますので」
「いやいやただの野望とか壮大ってなんか凄い計画みたいに聞こえるんだけど……気にするなって方が無理な気が」
「ほほほほお嬢様ったら嫌ですわ。一介の侍女にそんな大それた計画などある筈ないじゃありませんか」
「やだからその計画って一体どんな……って痛! エブリンちょっと痛いんですけど!」
「髪結いは命がけなのですから、くっちゃべってると舌を噛みますよお嬢様。お黙りになって下さいまし」
前世の記憶が戻る前から思っていたけど、主である筈の私に全く遠慮の無い彼女の脅しともとれる注意にあたしは文句の言葉を飲み込んだ。エブリンの髪結いが激痛なのは昔からだ。
が、その分「二十四時間働けまーすよ!」なほど絶対に崩れないセットをしてくれるので、安心と言えば安心なのである。やっぱめちゃくちゃ痛いけど。
彼女の壮大な野望とか計画という台詞は多少気になるものの、ひとまず私はひたすら髪の毛をぐいぐい引っ張られる拷問に耐えたのだった。
◆◆◆
「あ~らぁ☆ リイナちゃんったらもうもう♪ 久しぶりなんだからぁ♪ このアタシにつれなくするなんて、ほんっと、罪な・オ・ン・ナ♪ よねぇ~♪」
「お、お久し振りです。マダム・アマゾアナ。本日はよろしくお願い致します」
で。
所変わりまして。
現在私がどこに居るかと言いますと。
「まぁあ♪ 相変わらずおカタいわねぇ~♪ オンナはココロもカラダも柔らか~いのが一番なのよぉ?」
「ご高説痛み入ります……」
「だ~かぁ~らぁ~っ。それがダメダメなのよぅ♪ ほぉ~ら、スマイルスマイル~♪」
あんたの笑顔ほど高いもんは無いんだよ! と突っ込み入れたくなるのをぎりぎり堪え、私は得意の淑女スマイルでもって彼女に応えた。
すると、この館の主マダム・アマゾアナは原色とりどりの羽根つき帽子をばっさばっさ揺らしながら「いいわぁ~♪ アタシが教えた事ちゃんと実践してくれてるのねぇ~♪」と頷く。
はい。というわけでちょっとここで種明かし。
この私の目の前におわす珍獣……もとい「あんさん、もしかして密林から脱走してきなすったんで?」とお声を掛けたくなるレインボーカラーのドレスを纏っている女傑は、淑女の間では知る人ぞ知る、超一級レディクラス講師様だったりするのである。
はいそうです。
何を隠そう『ホトトギス計画』第二弾!
石も(死ぬほど)磨けば(たぶん)玉となる!
とゆープラン実行のために、私とエブリンはこうして女磨き界隈では匠と言われている彼女の元にやってきたというわけなのです!
なので今日から俺、じゃなく私は! あのウサギ型草食男子クラッド様をメロメロにできるような良い女になるために!
かつて死ぬほどスパルタな教育を施してくれたマダムの元に再び弟子入りし、今度は「どんな紳士も落とせる上級女性コース」を受講したいと思います……!!