お菓子なおかしな旦那様!?
「ヴェルナー! お前何してるっ!?」
バン、と扉を押し開け入ってきたのは、商会の長であり旦那様である、クラッド様だった。
しかし普段は穏やかな彼の左目は、今まで見たこともないほど鋭く眇められ、視線の先にいるヴェルナーに突き刺さっている。
突如として緊迫感に包まれた室内で、私は緊張でごくりと唾をのみ込んでいた。
キリングやエブリンも、主人の放つ空気が普段と違うせいか口を挟まずじっと成り行きを見守っている。
なんというか、迫力が凄まじいのだ。
クラッド様の身体や視線から立ち上る怒気というか、オーラというか。
「おいクラッド、いいのか? 奥方の前でそんな面晒してよ」
けれど、そんな空気を気にもせずにヴェルナーは先程の軽口を叩いた調子のまま、クラッド様を見て苦笑していた。
その言葉にクラッド様が私の方へ視線を向け―――なぜか、ぴしっ! と効果音付きで固まってしまう。
……ん?
彼の墨色の瞳がこれでもかというくらい開眼し、綺麗な虹彩までがよく見える。
薄く開いた唇から、私の名が漏れるのが聞こえた。
「リ……リイ、ナ……?」
「はい。クラッド様。突然押しかけて申し訳ありません」
固まっていたクラッド様が、ふらふらと、おぼつかない足取りでこちらに歩いてくる。
彼がどうしてそんな呆然とした顔をしているのかはわからないが、とりあえず予告なく来てしまった事を謝罪した。
まさかメイクとドレスで化けるの頑張ったから見てほしかったんです、なんて口が裂けても言えるはずがないので、一応カモフラージュとして差し入れの品は持参している。
が、どうにもクラッド様の様子がおかしい。
もしや体調でも悪いのだろうか。さっきの剣幕だって、何かあったとしか思えない。
「リイナ……君はまさか、『その状態』でここまで来たのか……?」
「え? ええ、はいそうですが」
「そう、か……」
問いかけながら目の前まで来たクラッド様は、珍しく至近距離でじっと私を見下ろしていた。
心なしか目元が赤い……ような気もするが、さきほど珍しく声を荒げていたのでそのせいだろう。
「畜生……見た奴ら全員○してやりたい……」
「へ?」
「あ、いや、な、なんでもないっ」
彼の様子を観察していたら、何やら物騒なセリフが聞こえた。
や、聞こえたよね?
幻聴? 気のせいかな。
今クラッド様の口から殺意を表す単語が聞こえた気がしたけど。
ああいや、そんな筈無いわよね。
だってクラッド様ウサギ的草食動物なはずですし。そうよね。
聞き返すこともできないので、とりあえず私を見下ろしているクラッド様へ愛想笑いで応じてみた。
するとどうしてか眉をぎゅむう、と顰めて返される。
あらら。
これはもしや?
その状態、と彼が言っていたのは今のこのメイクとドレスのことだろう。自分としては元が元なだけに良い出来だと思うのだけど、何かまずかったのだろうか。
もしかすると、好みじゃなかった……?
男性はメイクの濃い女性を敬遠しがちというが、それなのだろうか。
不安な気持ちが心をもたげる。
クラッド様はじっと私を見下ろしたまま今度は無言になってしまった。
表情はいつもより少し硬く、唇は真一文字に引き結ばれている。
ということはやはり趣味じゃなかったんだろう。
ならば、ここは『ちょっと差し入れに来ただけですの♪』の体で逃げるに限る。
アルシュタッド商会の事務所はオープンな事で知られていて、残業している職員の家族が訪ねてきたり、鉱山につめる鉱夫の奥さんから差し入れを預かったりと人の出入りは多い。
クラッド様曰く「人の流れがある場所ではお金も動くからね」だそうだ。
よし、なんだかクラッド様の様子もおかしいし、反応も芳しくないから帰ろう!
たら~っと流れてきそうな汗を根性で押しとどめ、私は無理矢理な笑顔のままエブリンの方に視線を向けた。
アイコンタクトで『ワレ、キカン、コウ』と伝え、彼女が頷くのを見て視線を戻す。
クラッド様はまだじっと食い入るようにこちらを見つめていて、私は自分が針に刺さった虫になったような気分だった。
視線が! 痛いですクラッド様……!
「そ、そのクラッド様、今日は私―――」
「おいクラッド! お前なぁ、各国の財務大臣とすら交渉する癖に、なんだその体たらくは!」
今日は私クラッド様に差し入れをお持ちしましたの、と口にする前に、ヴェルナーの声に遮られ言葉を飲み込む。
見れば、ヴェルナーはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてクラッド様を眺めていた。
なんだか楽しくてしょうがない、みたいな顔だ。
「や、やかましい! そもそもヴェルナー! お前がリイナの所に押し入ったというから俺が来たんだろうが!」
そのヴェルナーに、クラッド様ははっと我に返ったように声を張り上げ言い返し……って、あれ。
く、クラッド様?
今「俺」って言いました???
あれ? あれれ??
「そう怒るなって。別嬪さんが来たって聞きゃ、男なら誰でもひと目見たいと思うだろうが」
「お前は見るだけじゃすまんだろう!」
「ははは、そりゃそうだ。さっきもお前みたいな朴念仁はやめて、俺にしとけって奥方に言ったところだぜ」
「……なんだと」
「お」
ヴェルナ―の軽口を聞いていたクラッド様が、突然地鳴りのような低い声を出す。
顔は真っ直ぐ彼の方に向いていて、私からは横顔しか見えていないが、眉間に深い皺を寄せて睨みつけるクラッド様の表情は正直言ってかなり怖い。
肩や身体から立ち上る不穏な気配に、思わず圧倒されてしまう。
あ、あれ~~~!?
クラッド様ってこんなドスのきいた威圧感出す方でしたっけーーーっ?
あ、いや、でもクラッド様って元々は貧民街ご出身の方なんですよね……今は上品なインテリ系商人やってらっしゃるけど、もしかして昔はブイブイ言わせてた系(言い方古くてごめん)なのでしょうか……?
いや私は元の世界でもヤンキーはちょっと苦手でしたが、子猫拾う系ヤンキーは好きです。
クラッド様はたぶん後者だと思うんですけど如何でしょうか。
っていやいや、あまりの豹変っぷりに混乱して現実逃避してしまった。
そうこうしてる間にもクラッド様がヴェルナーのところにゆっくり歩いて行ってるけど身にまとう空気が一触即発なんですが大丈夫なのかなこれ。
背中が限界突破した黒い〇イヤ人みたいになってるけど。
風もないのにローブが揺れてるんですけど。
その上さっき一瞬、横顔見えた時に右目の眼帯下がほんのり光ってたように見えましたが……あれは何だったのか。
「げ。おい、クラッドちょっと落ち着け……ってえ、ぐっ!!」
「ヴェルナー……」
あ、クラッド様がヴェルナーの首掴んだ。
ヴェルナー浮いてる。
って。
え、ちょっと待って!?
ヴェルナー浮いてるよっ!?
巨体の! 首! 掴んで持ち上げてるよ!?
片手だよ!? どこにそんな力あるのこの人!
うわヴェルナー身長二メートル近いのに足!
足がぷらぷら! 浮いてますー!!
こ、怖あああああっ!!!
クラッド様は自分よりもはるかに大きな体躯を持つヴェルナーを、まるで軽いものでも持つように右手一本で持ち上げていた。
彼はどう見てもすらっとした体形をしていて、初夜(未遂)の時に見た限りでは恐らく一般男性程度の筋肉量しかないはずだ。だというのに、一体どこにそんな力があるというのだろう。
ヴェルナーの後ろでキリングが慌てふためいているが、彼もクラッド様の気迫に押されているのか止められずにいるようだ。
クラッド様の目を疑う剛腕ぶりを前に、私は次に彼が口にした言葉に愕然とした。
「俺のリイナに手を出したら―――〇す」
「っ! わ、わかった!! わかったから勘弁しろっ!! 嬢ちゃん見てんだろうがっ!!」
「……っ」
慌てたヴェルナーの言葉を聞いてクラッド様が弾かれたように振り向く。
表情から厳しさは消えていて、代わりに左目には驚愕の文字が浮かんでいた。
えー…っと。
私さっきからずっといましたがもしかして一瞬忘れられておりました?
一度認識はされた筈なんですがおかしいですね。
それに今、俺のリイナとか聞き捨てならん台詞が聞こえた気がしたのですが。
神様の幻聴ギフトにしてはやたらはっきりしていたような。
あ、言葉のアヤってやつですかねもしかして。あやとりなら亀が得意ですが。ってもう自分でもわけわからん!
「く、クラッド様?」
色々と状況が呑み込めないので、ひとまず彼の名を呼んでえへへっと愛想笑いをした。
大分引き攣った気もするが。
すると、クラッド様はヴェルナーを掴んでいた手をぱっと放し、今度は素早く(一瞬で)私のところに戻ってくる。
ええええクラッド様ヴェルナーが今どさって床に落ちましたけどいいんですかあれ。
しかも今の移動音何ですか。
ばびゅんって聞こえましたが。
「っげほ、……っと、まじか、ははは。寒気がしたぜ今。眼帯越しでもおっかねー……」
床に落ちて放置されたヴェルナーがぼそぼそ何かを零しているが聞こえない。
彼はキリングに助け起こされて自分の首を撫でていた。
遠目でもヴェルナーの首元が赤くなっているのがわかる。
や、やっぱり今の光景って白昼夢とかじゃないんですね……。
視線をヴェルナーの首からクラッド様に戻すと、彼の墨色の左目がふよふよ戸惑ったように泳いでいた。
どうしたらいいかわからない、といった顔だ。
薄く形の良い唇が、何かを言わんとはくはく開閉している。
「クラッド様……?」
「そ、っそうだリイナ!」
「はいっ」
もう一度名前を呼んだら今度は呼び返された。
はずみで返事をしたら、何やら焦った表情のクラッド様ががしっと私の両肩を掴んできて、そのままソファへと誘導される。
妙に顔が赤い気がするが、やはり熱でもあるんじゃないかと心配になってくる。
あの怪力はもしかすると火事場の馬鹿力とかそういう類なんじゃなかろうか。
人は追い詰められると尋常で無い力を発揮すると言うし。
いやそれよりも、クラッド様に触れられるのってめちゃめちゃ珍しいんですけどこの状況は何なんだろう。
掴まれた肩にある手は大きく、高めの体温が伝わっている。
心配やら妙な照れやらで、私の心境は少々おかしくなっていた。
なんだなんだ、となっているのもつかの間、促されるまま私はすとんとソファに座らされた。
はい?
「ぼ、僕はもう少しやる事があるから!」
「は?」
「片づけたらまたこっちに来るよ! リイナはそれまでお菓子でも食べてて! じゃ!」
「え、あの、クラッド様っ……!?」
唖然とするこちらをよそに、クラッド様はまるで夜逃げする人みたいに慌ててそれだけ告げて、すたこらと部屋を出て行ってしまった。
今度は脱兎ではなく夜逃げの体である。
最後に見せたあの気まずそうな顔は一体何だったのか。
意味不明なんですけど、とひとまずエブリンに視線で問いかけたら、なぜか糸目に困り眉で返されてしまった。
いや、ナニ、エブリンその顔。まるで遮光器土偶みたいなんですけど。
(良い子はぐー○る先生に聞いてね☆)
後には「なんだあいつは」と呆れた顔で溜息をつくヴェルナーと、ほっと安堵した表情のキリング&あたし達が取り残された。
お菓子を勧めて逃げ去ったおかしな旦那様にはどうやら――――不思議な秘密があるのかも、なんて思いつつ、私は先程エブリンに阻止されたクリームたっぷりエクレアを一つ、口に放り込んだのでした。




