望月將悟の憂鬱
サイレンが鳴り響いている。ふと気付くと目の前を火柱が通り抜けて行った。僕の目の前は一瞬で焼け野原となった。熱い熱風を浴びながらもギッと歯を食い縛り、僕は炎の元を睨みつけた。其処には山の様に大きな鋼鉄の怪物が目をギラギラさせた姿があった。
西暦二〇三〇年。平成四十二年。皇紀二六九〇年。
帝都・東亰府H村
―カナカナカナ…
僕はそんな何とも風流な音で目を覚ました。
目の前に見えるのは炎…ではなく茶色い天井。聞こえるのはサイレンの音では無く蜩の啼き声。匂うのは臭い焼け焦げた臭いではなく、畳の井草の匂い。僕は安堵のため息をついて起き上った。
時計を見ると朝六時。
着ていた寝巻を脱ぎ、衣紋掛けに掛かった白シャツの制服に着替える。襟に赤い線が這入った白い開襟半袖シャツ。右袖には『帝』の草書体をあしらった紋章が刺繍され、袖口には濃淡の異なる二本の青筋が入っている。
シャツを着て、ズボンを履いた僕は布団を畳み、縁側へ出て今時珍しいレトロな木格子の硝子戸をガラガラと開け放つ。早朝の山里の涼しい風を吸いこんだ僕は踵を返して部屋を出た。
廊下に出ると、何処からか良い匂いが漂ってくる。
僕は洗面台で顔を洗い、歯を磨く。それを終えた後、僕は鏡を見つめた。
「うげっ」
僕は顔を顰めた。たまたま見えた五年前に受けた額の古傷でそんな清々しい気持ちは一瞬にして吹き飛んでしまう。残念ながら昔流行った魔法使いの小説の様な、大それたものではない。嫌な物を見てしまった気分だ。
僕はそれを紛らわせる様に、屋敷を漂う良い匂いを吸い込み、洗面所を後にした。
紺色の模様の襖を開け、僕は居間へ入った。
「おはよう。將悟。いつも早いわね」
居間では一人の少女が卓袱台に食器を並べていた。腰まで届く艶やかな髪の毛を花型の象牙の髪留めで止め、袖に『帝』の紋と袖口の二本の青いラインのセーラー服に淡い紺色のスカート。その下からは健康的な白色の柔肌の細長い脚が覗いている。
彼女の名は京極葉月。帝国史上で『神武以来の剣士』と名高い名将。京極少将の一人娘である。
「おはよう。葉月。お前こそ早いな」
「当たり前じゃない。朝ご飯作ってるんだから」
彼女は何時も日の登らないうちから起き出して、彼女の母親と一緒に朝ご飯を作るのが日課だった。
「あら。將悟さん。おはようございます」
奥から御櫃を持った、切れ長の瞳で長髪の、おっとりとした、若々しい女性が現れた。その顔付きは何処か葉月に似ている彼女こそ、葉月の母だ。
「お義母さん。おはようございます」
彼女は葉月の母であっても、僕の母ではない。京極少将の夫人・多香音さんだ。
僕は貰われ子で、五年前、父の同僚だった京極少将の元に引き取られ、同い年だが、葉月とは兄妹の様に育てられた。
この屋敷は江戸時代に建てられた武家屋敷。京極邸である。
そう。僕、望月將悟は五年前、初めてあの死神・タナトスがこの帝都を襲った時、惜しくも戦死を遂げた僕の父・望月大佐をはじめとする家族全員を失ってしまったのだ。父はは当時帝国軍大佐で現場指揮を執っていた。僕の額の傷は、その時、何かの衝撃で着いた傷だった。
『タナトス』希臘神話の『死神』である。それが世界的に通名として認知されたのは、希臘の軍人・ハリラオス少佐の『二〇二五・死神遭遇記』が世界中に流通したからだろう。それは五年前。タナトスが初めてこの地球に襲来した。その場所こそが希臘だった。そんな未知の化物の襲来から書き綴ったのがこの本であり、ハリラオス少佐はそれを『死神』と記した。それからその化物はタナトスと呼ばれたのだ。
そんな僕はこの家で育てられ、今年十八歳になる。
居間の奥の仏間には僕の家族の遺影が並び、それともう一つ。軍服を着た遺影があった。それは葉月の父。京極少将のものである。父の同期だった少将も一昨年、タナトスとの戦争で戦死してしまった。
僕はその仏壇の前に坐ると、線香を立て、手を合わせた。それが僕の毎日の日課だった。彼らはもうこの世には居ない。これほど寂しいことは無いだろう。しかし、この御時世。立ち止まっている訳には行かないのだ。生きる為に僕等は戦う。だから、彼等が見守ってくれていると信じて、こうして毎日の無事を祈っているのだ。
この京極邸は奥多摩のさらに奥の自然豊かな土地に建てられている。此処までは流石にタナトスの魔の手は忍び寄る事は無いだろう。
僕らは此処から毎日潮見にある帝国華清学園へ通っている。公共交通機関が充実しているとはいえ、遠方の為通学には時間がかかる。地元の高校へ通えば良いのだが、僕等にはこなさなければならない、大事な役目があった。帝都を守ると云う役目が。
希臘に現れたのを皮切りに、全国各地で襲撃が確認されているタナトス。それに対抗する為に希臘が建造したのが、対タナトス機動兵器『メティス』である。
各国はそれを真似たり、希臘の技師を招いて師事したりして、それぞれのメティスを完成させた。
人一人が搭乗し、操作してタナトスに立ち向かう。そんなパイロットを志望して、僕等は帝国軍へ入隊した。特別に幹部候補生として入隊し、今はタナトスと戦うメティスを操る『帝都機動隊』のパイロット訓練生として訓練を受けている。
現在訓練生は三人。
しかし、僕はその訓練生になれなかった。適性検査では、機体接続適正レベルを充分に満たしていた筈だ。だが四人の中から、僕を覗いた三人が合格し、僕だけは失格扱いとなった。それを上司に直訴しても、大した答えは帰って来ず、訓練にすらなれないと云う現実に心底がっかりしている。そんな僕はパイロット候補生では無く、只の幹部候補生として所属している。
パイロット候補生や、他の役職についている幹部候補生達は、普段は華清学園で学び、午後や放課の時間で早退して各々の役職に就く。葉月達はこの国に『帝都機動隊』が編成されてから二期目のパイロット訓練生で、先代が実質即席で編成された現パイロット達であり、さらにそれから四年のブランクがある為、実質一期生と云っても過言ではない。
誰でもなれる訳ではないので、三期生の募集の目処は立っていないらしい。つまり、僕は訓練生どころか、パイロットにはもうなれないのだ。
今回、二期生が採用されれば彼女等は個人の機体を受け持つ事が出来、晴れて帝都機動隊のメンバーに名を連ねる事が出来る。
「何時になったら訓練生に昇格できるんだろうなァ…随分と経つと思うんだけど…」
僕はそう云って溜息を吐いた。
「仕方が無いでしょ?本部の許可が下りなければ私達は戦場で戦う事もできないし、將悟も訓練生にはなれないんだから」
パイロット訓練生は戦場に立たせてもらえる訳も無く、訓練の殆どはシュミレーターによるバーチャル映像を使用した訓練になる。それは素人を戦場に立たせる訳にはいかないと云う理由と、若い人材を早くに失いたくないと云う理由があるが、守りたいものがあると云う意志を持った志願兵として入隊した以上、実戦に出られない事がもどかしく感じてしまう時もある。
「そう云えば、聴いた?噂によると、希臘から新しく機体が輸入されたそうよ」
「ぎっ、希臘?」
希臘と云えばメティスを開発した国であり、元祖である希臘の機体は高級と云われる。さらに、近年希臘のメティスメーカーが打ち出した、新型機動兵器『オリュンポス』シリーズは最高級と云われ、オリュンポス十二神をモチーフにしたこの機体は性能も遥かに高いと云われている。限定生産十二機で、それぞれ一機のみ、十二種の生産で、明かされる情報は彩色と性能のみであり、姿かたちは配送完了まで秘匿とされている機体である。
「とうとうオリュンポスを導入したか…誰が使うんだろうなぁ…」
僕はハァーっと溜息を吐いた。前々から希臘のオリュンポスシリーズの機体に興味があったのだが、僕には到底縁のない話だ。
「將悟さん。溜息ばかり吐いていると、幸せが逃げて行ってしまいますよ」
多香音さんにそう注意される。
「すっ、すみません」
「ホラ。將悟。用意ができたわよ」
葉月はコンコンと卓袱台を叩く。
今日の献立は白米と味噌汁。菠薐草のお浸しと馬鈴薯の鹿の子揚げ。味噌汁は島根の奥地で造られた出汁を使用しており、味も風味も良い。
「アア…何時も思うけど、美味しいよ。朝、味噌汁を飲んでいるこの時間が一番落ち着く気がするなァ…」
そんな感嘆の声を呟く程二人の料理は格別のものだ。
「ホラ。ボーっとしてないで、早く食べちゃいなさいよ。遅刻するわよ」
葉月は静かに味噌汁を啜ってそう云った。
「解ってるよ」
僕は味わっていた味噌汁をズズッと啜った。あんまり勢いよく啜るので器官に汁が入って、僕は噎せ込んでしまった。
○
家を出て凡そ三十分。帝都の要衝、国鉄・東亰駅に到着した。十年前の東亰五輪を終えて到来したオリンピック不況を、五年後に控えた大阪萬博に関連する好景気で跳ね返して、急速に発展した帝都は交通機関の整備が行き届き、帝都内であれば何処からでも、多くとも三十分あれば東亰駅へ着く事が出来るようになった。
「おう。おはよう。幹部候補生」
軽々しい挨拶と共に僕の肩をポンポンと叩く男がいた。
「五月蠅い。朝一番で、何も人が一番気にしてる事を云うなよ…」
「すまんすまん。まさかお前が其処まで気にしてたとはな」
同じ制服に身を包んだ少年。毛利秀嗣。僕の友人で、二人目の訓練生である。
「当たり前だろ?僕だけ取り残されてるんだ」
僕のパイロットを目指した同期の幹部候補生は四人居る。その中で未だ幹部候補生止まりなのは僕だけだ。僕だけが、幹部候補生を留任し、取り残されてしまったのだ。
「じゃぁ望月准尉だね」
毛利の背後から出て来たのは、小柄で、毛利より頭一つ半位小さな少女。毛利の幼馴染の細川夏希だ。
「御苦労。望月准尉」
彼女は背伸びして上官の様な態度低めの声でそう云って、敬礼した。海軍式の腕を立てるやつだ。
「喧しいわっ」
夏希は「うわぁー。將悟が怒った!」と葉月の元へと駆けて行った。少し変わった少女である彼女は三人目の訓練生である。
葉月達三人は役職付きの訓練生と云う事で、現代帝国軍の階級で少尉となり、めでたくパイロットに昇進すれば中尉の階級を与えられる。
十年前に発足した(新制)帝国軍は平和主義の元に発足した軍事組織である。戦後(旧制)帝国軍は解体され、平和主義の元永らく軍隊と云うものは造られなかった。しかし、十年前のタナトス襲来をきっかけに、平和を目的とした、戦争ではなく、怪物と戦う為の軍隊として発足した。その為、嘗ての(旧制)帝国軍の様な膨大な規模を有するものでは無く、あくまで小規模な組織の為、彼らの様な年代でもそれ相応の教育を受ければ尉官に就任する事が出来た。
一方役職なしの僕、幹部候補生の階級は准尉だ。
「ヤァー。それにしても、俺達は何時になったら実戦で戦わせてもらえんだろうな」
毛利は大きな欠伸をしてそう云った。
「僕に訊くなよ…」
ああ。朝から嫌な気分だ。