幸せになる妄想をしよう
コーヒカップを音のしない様に口元に寄せて、コーヒーを一口分口に含む。
コーヒーを飲み込む。
香りを感じる。
空気をゆっくりたっぷりと吸い込んで深く深呼吸をする。
目を閉じる。
心を落ち着かせて、幸せになる妄想をする。
穏やかな心の波が、心の中層の上の部分をよぎる。再び息を吸い込んで、その消えてしまいそうな繊細なささやかな幸せの感覚を胸に充満させる。心地の良い温度の広がりのなかに、きいろい光がいっぱいになっている。体は軽やかで、手を伸ばせば風といっしょに自分も漂い飛ばされそうになる。どこに降り立ってもそこは優しく、恐れることは何もない。
−そんなことを妄想すると、私の心に突然木漏れ日ができる。ずぶりと暗い感情のなかに突っ込んでいた足が途端に少し軽くなるのを感じる。1日をまた生き抜ける気がする。
そうか、幸せの妄想をすればいつか夢みたいにこれが現実になるのかもしれない。
この世は意味づけの世界。私の世界は私の認識とそれの意味づけによってなりたっている。だから、この優しい幸せの想像を度々すれば、私の認識が錯覚を起こしていつしかこの幸せが本物になっているかもしれない。
ほら、だって人生を振り返った時に自分の楽しい思い出ばかりを取り出していると、何だか普段自分がそれらに重点を置いていないだけで、実は楽しく暮らせているかもしれないと思えることもあるでしょう。
そうでない人は、それときっとこれと逆のことが起こっているの。自分の人生を振り返った時に、度々悲しいことが想起される。それは、自分の関心ごとが悲しみだから。だからと言って今抱えているネガティブな人生観というのがそういうふうに考えてしまう自分のせいという訳じゃない。いっときの趣味みたいなものだ。いろんな引き合わせがあって、ある関心が生まれて、その関心に沿ってものを集めて、意味づけをしていく。
だから、幸せの妄想をしよう。いつかそれが本物に変わるための認識の習慣を作ろう。そうしていれば、いつか怖い何かに出会っても、ここにいられる。
そう言い聞かせて私は家を出た。今日も明日も明後日も、その先も、こうしていられますように。
踏み出した。
自分が幸せになる妄想をはじめて、それを習慣化させて幸せな認識の世界に生きたいと思い書きました。幸せな認識の習慣をつくるきっかけになれば良いと思います、私にとっても読んでくださったあなたにとっても。




