9.典人
2限のチャイムが鳴っていた。既に教室には生徒が待機しており、各々教師が入ってくるのを待ちながら単語帳をまだ見ている。典人も一度チェックした箇所に目を通し、最終チェックをしているところだ。現代文はレベル別に行われており、1組と2組が合同で行う。彼は2組で、上の方のレベルだ。「もう大丈夫だ」とチェックを終えた彼は、右手の方を見た。2組が教室の左半分、1組が右半分を出席番号順に座るよう指示されている。進や雄哉を始め、1組のメンバーもそこにいた。皆まだ勉強しているようだったが、特に雄哉は単語帳ペラペラとめくるばかりで定まったページを開かない。これではきっと落ちるだろう。
ドスドスと廊下を歩く音が聞こえる。現代文の教師は巨体なので、階段を歩く音から既に廊下に響いている。典人は単語帳をしまい、筆記用具の準備にかかる。
「ガラガラ」扉が開けられ、果たしてテスト用紙が配られた。
典人は勉強が好きなタイプだ。裏返された側の紙を眺め、膨らませる想像。どんな問題が来ても大丈夫だという自信と、それに由来するワクワク感。これ以上は言ったら引かれるのでこの辺にしておくが、今回もまずもってテストは問題なく通過する筈だろう。
テスト用紙の回収が終わると、今度は前回の結果が返される。進のしらけた反応と、雄哉の負のオーラ。その対比が面白く、ついつい見てしまう。進とは話したこともないが、雄哉とはよく話す間柄なので、授業後によくからかったりもしている。
その後は普通の授業だった。
「模試や入試の現代文。その8割を得点する人の50パーセント以上は読書の習慣がある」という塾の講師の教えを思い出しながら、典人は考え事をしていた。それは有利だな。英語も帰国子女が有利だったりするし、他にも環境によってはアドバンテージができてしまう人たちもいるかもしれない。そういう人たちと比べると、自分たちはもっと頑張らないということになる。なんだか腑に落ちないな。最初からハンデのある試合をしているようなものじゃないか。ただ、悔しいがこういう現実は変えようもないし、現状の制度を良くしていくような対案もない。現代文も英語も勿論大事だから、入試で取り入れるのにも納得がいく。自分にも強みがあればな。今のところは勉強が俺の特技みたいなものだけど、そんなのはレベルの高い大学に入ったら皆当たり前にもってる同じ特技だ。個性じゃない。そうじゃなくて、そのほかにも一芸秀でたところが欲しい。自分以外の誰もが、何かしらそういうところを持っている。スポーツとか、楽器とか、ダンスとか。そういった欄に書ける特技というものが、俺にはない。「性格面での自信」なんて書い日には、一笑に付されて終わるだろう。それはそれで残酷な現実だ。みんな、目に見えるものしか特技として評価に値しないと思っている。資格や卒業大学、部活動の大会での成果など。
そもそも特技というものがそういう性質のものなのだから、諦めるのしかないのかもしれない。自分もいずれ何かしらの特技を「作って」皆に自慢できるものができれば良い。と思った。それまでの道がまた長いのだろうが。
そんなことばかりを考えて、今回ばかりは典人は授業を殆ど聞いていなかった。