秘技 トンボ落とし
筋肉ゆるゆる、下っ腹ぷよぷよ、股間のマコトくんはヘナヘナ。そんなオレがトンボのモンスターに殺される未来は、すでに確定済みとしか思えなかった。
こんなもん、勝負になる訳がない。
トンボって肉食なんだぞ。
凶暴なんだぞ。
自分と身体の大きさがあまり変わらない他の虫を捕まえて、ばりばり食っちゃうんだぞ。
だのに目の前のトンボは、明らかにオレより大きいじゃないか。全長は1メートルほどだが、翅長は2メートルを超えているだろう。
という事は、オレをバリバリ丸齧り出来るって意味だ。
6本の脚が、やけに太く力強そうに見える。
脚から生えたトゲトゲなんて、まるで拷問道具の様に見えじゃないか。
うわぁ~、誰か助けて欲しい~。
北野道真は、まもなくトンボのエサになりそうです!
1回ぐらい、ユーリちゃんと飲みに行きたかった!
そいでもって、手とか繋いで、腰に手を回して――――。
・・・。
つか、なかなか飛びかかって来ないな、このトンボ。
どうした? まるで、苦しまぎれにオレが振り回してる鞭が怖いみたいじゃないか。
うん? ホントに鞭を見てるのか? 目が鞭の動きを注視している様に感じられる。複眼ってのは、どこを見てるのか分かりにくいけど。
でも、その敏感な複眼を叩かれたんだもんな。ビターンて叩かれたんだもんな。それなりにダメージがあったのかも知れない。鞭を警戒せずにはいられないぐらいには、さ。
オレは身体の前で鞭を回転させながら、左手に持っていた2本のバッタの脚の1本を地面に突き刺した。そして残る1本を腰の位置で構える。
それなりに鞭の一撃に効果があったとするなら、次にトンボが迫って来たら、また複眼を鞭で叩いてから、バッタの脚を突き刺してやろう。
どこかに噛みつかれたって、勢いで突き刺しまくってやろう。
うまく行けば、それでこのトンボ型モンスターから逃げられるかも知れない。
もちろん、上手く行くとは限らない。
トンボの動きが、オレの反射神経を超えるぐらいに速いかも知れない。
複眼を叩いたって、実はあまり効果がないかも知れない。
オレの予想を超える攻撃方法をトンボが持っているかも知れない。
不安要素は、いっぱいある。
しかし、何もしなければ、オレが生きのびられる確率はゼロだ。
トンボに頭を齧られて、それで終わりだ。
腹を据えたオレは、鞭を回転させながら、その瞬間を待った。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ただひたすら鞭を回転させながら、トンボの動きを見据える。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
ぐるぐる・・・。
不意に、トンボの挙動が揺らぐ。
来た!
オレは少しでも威力を乗せる為に、前方に足を踏み出しながら、力いっぱい鞭を水平に振り抜い・・・。
ドサッ――――。
鞭が当たる前に、なぜだかトンボが地面に落ちた。
「あ・・・?」
意表をついて地面を走って来るのかとも思ったが、そういう訳でもないらしい。地面に落ちたままピクピクしている。
もしかして、あれか?
子どもの頃によくやった――――。
指をくるくる回してトンボの目を回させる遊びを、オレは思い出していた。上手くやると、マンガみたいにトンボが目を回す、あの遊び――――。
鞭を警戒して、その動きを注視するあまり、本当に目を回してしまったっていうのか?
事の真相に思い至った時には、オレは鞭を放り出して、バッタの脚をトンボの複眼に突き込んだ。
緑の体液がしぶき、トンボがその巨体を震わせる。
いける!・・・かも。
地面に突き立てていたもう1本のバッタの脚を引き抜くと、オレはトンボの身体に駆け寄った。そして、トンボの巨大な翅を踏みにじりながら、トンボの頭部と腹部のつなぎ目にバッタの脚を突き刺す。
ブツンという感触とともに、バッタの脚がトンボの身体に潜り込んだ。
カカカカカカッ――――!
トンボの大顎が高速で打ち鳴らされる。
構う事なく、オレはバッタの脚を引き抜くと、またトンボの身体に突き立てる。
引き抜いては、突き刺す。
引き抜いては、突き刺す。
オレの身体が、トンボの体液を浴びて、緑色に染められる。
それでも。
引き抜いて、突き刺す。
引き抜いて、突き刺す。
トンボの脚がぼっきり折れたところで、オレはようやく動きを止めた。
心臓がバクバク音を立てている。
呼吸が乱れまくって、肺が痛い。
集中し過ぎたのか、視野が思いっきり狭くなっている。
どれだけのダメージを与えればモンスターを倒せるのか、見当がつかないせいで、徹底的にやるしかなかったのだ。
今だって、本当にトンボのモンスターを倒せたのか、確証が持てない。
しかし、丸太の様なトンボの身体は、確かに動きを止めていた。
「やった・・・よな?」
オレの手から、折れたバッタの脚が滑り落ちる。
手のひらは血まみれになっていた。オレ自身の血だ。細かなギザギザのあるバッタの脚を握り締めていたせいで、手のひらの皮膚がズタズタになってしまったのだ。
が、ぼろぼろの皮膚が、ゆっくりとではあるが、見て分かる速度で修復されていく。同時に、はっきりとした熱がオレの身体に入って来るのが感じられる。
「これが、魔力か?」
初めて体感する魔力の熱が、オレの肉体の奥深い部分を変質させていく。そう感じられた。そして、その感覚が、ひどく心地よかった。
「つか、これで何か能力がゲット出来るんだよな」
勇者たちのレポートによると、モンスターを倒した後に体内に取り込んだ魔力を使い、超常的な能力を得る事が出来るという話だった。
周囲を見回すが、モンスターが近づいて来る様子はない。
試すなら、今のうちである。
「勇者たちのマニュアルに従うなら、まずは戦う力を身に付ける。次にアイテムボックス。その考え方に異論はない。問題は、今取り込んだ魔力量で、どんな能力が得られるか、だ」
魔法とかは、かなりの量の魔力を取り込まないとゲット出来ない筈。現時点で可能なのは、肉体の強化系ぐらいだろう。
勇者たちの多くが最初に選んだのは、筋力アップ。実にシンプルで分かりやすい考え方である。
「でも、オレが欲しいのは違う。パワーよりもスピード。それも、反射神経のスピードアップだ。モンスターの攻撃されても、それに悠々と対応出来る反射神経が欲しい!」
オレが明確な望みを思い描いた途端、体内に取り込んだ魔力が急速に動き出した。
同時に、“可能”というイメージが脳内で明滅する。トンボから得た魔力量だけで、オレの望みを叶える事が出来るというのだろう。
体内で動き出した魔力の流れが、オレの背骨に集中した。
熱い!
背骨の中で、何かが改変されていく。
オレの肉体を作り直していく。
熱は、その痛みだ。
その証だ。
そして、広がる。
熱が広がって行く。
脳へ。
手足へ。
全身の隅々までへ。
「――――!!」
時間の流れる速さが変わった。
視界がクリアになり、世界の解像度が高くなった。
これまで聞こえなかった音が聞こえて来る。
これまで嗅ぎ分けられなかった匂いが区別出来る。
空気の細やかな動きが感じられる。
どうやら、反射神経だけではなく神経の働き全てがアップした様だ。
体内に取り込んだ魔力を使い、オレの身体が――――神経系が作り替えられたのである。
トンボ型モンスターは、予想以上に大量の魔力をもたらしてくれたらしい。