伊勢崎という男
「北野道真さんですか?」
男たちは近づいて来ると、1人が警戒態勢に入り、もう1人が声をかけて来ながら、オレの傷を調べ始めた。
「そうです。警察の方ですか?」
「朝生市警察 特殊事象課の伊勢崎です。こちらは田丸。弓月涼子さんの要請により、北野道さんの救出に参りました」
今更ながらリョウちゃんの本名を聞いていなかった事に気づくが、弓月涼子というのがそうなのだろう。上品な良い名前だ。
「助かりました。正直、かなりピンチだったので」
「間に合って良かったです。こちらに来て、すぐに戦闘中だと分かったので、裸のまま走って来てしまいましたが、お見苦しくて申し訳ありません」
「いえ。おかげで、怪我もこの程度で済みましたから」
と言っても、怪我はかなりひどい。その怪我を、伊勢崎さんが魔法で治していく。かなり切り刻まれてしまった。出血もひどい。カッとしてて気づいてなかったが、急速に気分が悪くなってくる。
「しっかりして下さい。すぐに傷をふさぎますから」
そう言う伊勢崎さんの声が遠い。気絶しかかっているのが分かる。
「さあ、これを飲んで!」
カシュッという音の後に渡されたのは、1本の缶コーヒーだ。とあるメーカーから出ている、甘ったるくてオレの大好きな一品だ。
「おおっ!」
お礼の言葉も忘れて、コーヒーを喉に流し込むオレ。遠ざかっていた意識が、一気にしゃっきりした。
「魔力を使うと、なぜか糖分を補充したくなるんですよ。甘いコーヒーが美味しかったでしょ?」
「はい、びっくりするぐらいに元気になりました。ありがとうございました」
傷を治してもらい、意識もはっきりしたオレは、ようやく生命の恩人の2人に頭を下げる。
「気にしないで下さい、これが我々の仕事ですから」
柔らかく笑いながら、オレが頭を下げるのを制する伊勢崎さん。オレより年下っぽいのに、格好いいじゃないかよ、この野郎。
「それとコーヒーを飲み終わったら、これを着て下さい」
渡されたのは、新品のTシャツとスパッツ、それにサンダルだ。アイテムボックスに入れていたのだろう。
「失礼して、我々も服を着させてもらいます」
そう断ると、伊勢崎さんと田丸さんも服を身に付け出した。2人とも迷彩柄のタンクトップと黒いスパッツにランニングシューズという出で立ちだ。
オレも渡された服を身に付ける。スパッツは、オレが買った物ほど薄くはなくて助かった。サンダルは踵側にも押さえがあって、動き易い物だ。
「すみません。アイテムボックスの中に色々入っているせいで、そんな物しか持って来れなくて」
「いや、自分ではスパッツと靴しか持ち込めませんでしたから、グレードアップしてますよ」
どれだけの物資を持ち歩いているのかは分からないが、伊勢崎さんたちのアイテムボックスでさえ、容量はオレやリョウちゃんのと大差ない感じだ。
「でも、その分、食い物はちゃんと持って来ましたからね」
伊勢崎さんがアイテムボックスからレトルトのご飯とカレーを取り出すのを見て、オレのお腹が盛大に音を立てた。
焚き火の薪を平面に並べ、その上に鍋を置いてお湯を沸かし、伊勢崎さんがカレーを作ってくれた。レトルトの物をお湯で温めただけとはいえ、35時間ぐらいまともに食事を摂っていないオレには最高のご馳走である。デザートにプラスチックのカップに入った杏仁豆腐をいただき、オレはようやく人心地を取り戻す。
その後、10分程の説教タイムをはさみ、食後のホットコーヒーは涙が出るぐらいに美味かった。涙が出たのは、叱られたせいではない、決して。
「残念ながら、我々には北野道さんを向こうに連れて帰る事は出来ません。その役回りは、後から来る特殊チームが行います。我々の仕事は、特殊チームの到着まで北野道さんを守る事です」
「はい・・・」
「それで杓子定規ですみませんが、こちらの書類に記入をいただけますか? 個人探索者登録と特殊境界隧道の所有登録になります」
差し出された書類を手に、オレは慎重になる。この局面でサインを拒む選択肢はないが、その結果がどうなるかは知っておきたい。
「これにサインをするメリットとデメリットを教えてもらっていいですか?」
「そうですね。まずデメリットとしては、定期的に我々の調査を受け入ればならない事。必要があれば、様々な形で協力を求められる事」
「ふむ・・・」
素直にサインをしようとしないオレに、伊勢崎さんは丁寧な説明をし始めた。
「メリットは、探索の協力を受けられる事」
「こちらも協力が受けられると?」
「そうです。まず、異世界ショップの使用が許可されます」
「なんです? そのゲームや小説に出て来そうな」
「その通り、異世界から持ち帰った物の買い取りと、異世界探索に役立つ装備や物資の販売をする所です」
「うわぁ、そんなものがあったんですか」
「探索者登録した者しか知らない所ですからね。残念ながら朝生市にはありませんが、近くなら黒姫市にありますよ」
要するにそこに行けば、かなり物騒な武器を買えるという事だ。もちろん誰がそれを買ったのかは、ばっちり登録される訳だが。それを犯罪とかに使う気がないオレにとっては、悪くない話である。
ただ、今のままではその店に行く事も出来やしない。悲しい。
「でも、売れる物と言っても、アイテムボックスの容量を考えると大した物は持って帰れませんよね? それに、何が売れる物か分からないし」
「買い取り品は、基本的には魔石ぐらいですよ」
またゲームっぽい名前が出て来た。
「魔石というと、まさに魔石ですか?」
「そうです。モンスターの体内にある、宝石みたいなアレです」
「じゃあ、オレが散々倒したトンボやゾンビの中にも?」
「いえ。そんな小物の中には、まずありません。体長3メートル超えぐらいの大物か、小物でも魔法が使える個体にしか存在しません」
「オレに魔法をかけたゴブリンなら?」
「おそらく持っているでしょう。明るくなったら、確認に行ってみましょうか。もし残っている様なら、北野道さんの戦利品にしていただいて構いませんよ」
「それはありがたいけど、向こうに戻れなきゃ店に行けないしなぁ」
「弓月さんに頼めば良いんじゃないんですか? 彼女、ずいぶん心配してましたよ。あんな可愛い子と付き合えるなんて、うらやましいですね」
そうか、リョウちゃんには心配かけてしまったな。
でも、オレとリョウちゃんはそんな仲じゃないんだよねー。わざわざ誤解を解く気はないけど。オレとリョウちゃんが何でもないと知った瞬間に、口説きに入られてもたまらないし。
伊勢崎さんになら、簡単にリョウちゃんも落とされてしまいそうだ。
オレは曖昧に笑って、その場を胡麻化した。
「それから、近くにモンスターが固まっている場所なんてありませんか?」
「あ、水場がありますね。けっこうな数のモンスターがいましたよ」
「では明日、そこで狩りをしましょう」
「え? どういう目的で?」
「ゲーム的に言うと、パワーレベリングです。とりあえず、北野道さんに強くなってもらいます」
パワーレベリングとは、ゲームの中で高レベル者が低レベル者を手伝い、低レベル者が太刀打ちできない相手を狩って、急激にレベルを上げさせる事だ。
「そ、それはありがたいですけど、良いんですか? 伊勢崎さんたちの業務の範囲を逸脱してませんか?」
「探索者登録をしていただく以上、事故などに遭われない様、適切な指導をするのは、我々の業務内ですよ。特に北野道さんの場合、申し上げにくいですが、どれだけの期間ここで過ごす事になるか分からないですからね、出来るだけ強くなってもらうべきでしょう」
「そうですか。いや、こちらからお願いします。明日、よろしくお願いします」
強くなるのは、今のオレにとって一番大切な事だ。本当に、いつまで異世界に留まらないといけないか分からないのだから。
オレは真剣に頭を下げた。それから、急いで登録書類にサインを済ませる。
「では今夜は我々が不寝番をしますので、北野道さんは寝て下さい。昨夜も眠っておられないのでしょう?」
「ありがとうございます。そんな事してもらう訳にはって言いたいところですが、正直もう限界なので・・・」
「ええ、遠慮なく寝て下さい」
「すみません」
そう言って土の上に横になった途端、オレは真っ逆さまに眠りの世界に落ちて行った。




