魂売りませんか
S氏は煙草をくゆらせながら、ぼんやりとテレビを眺めていた。S氏にとって、仕事終わりのこの時間は唯一にして最大の楽しみだった。気が付けば時計の針は11時を回っていた。もう、そろそろ風呂に入って寝よう、そんな時間のことだった。
玄関のチャイムが鳴った。こんな時間に宅配便でもあるまい、放っておくのも気味が悪いということで、S氏はドアを開けることにした。
ドアの前に立っていたのは、小さな男だった。服装を見たところ、セールスマンといったところだろうか。しかし際立って奇妙なのは、するどく尖った耳だった。
男は開口一番にこう言った。
「魂、売りませんか」
S氏は戸惑った表情を見せ、やがて口を開いた。
「つまり、どういうことでしょうか」
「売る、といっても少しの間お借りするだけです。すぐにとは言いません、今の人生を終えた後、ほんのちょっとでいいのです。それなりの謝礼は用意してございます」
「それはどんなものでしょうか......」
「お客様のこの後の人生が思うようになる、といいましょうか。お金、女、車、家......お客様が望むものを好きなだけご用意しましょう」
S氏は考えた。この男はどうやら頭がおかしいようだ。しかし、はいといってもこちらが失うものは何もない。だがもし、いいえと言って相手の機嫌を損ねたらどうなるだろうか。頭のおかしい奴のことだ、きっとただでは帰るまい......S氏は悩んだ末に、男の話を受けることにした。
「わかりました、お受けしましょう。」
「ご契約、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします......」
男はいつのまにか消えてしまっていた。S氏はあくびをしながら考えた、こんな幻覚をみるなんて僕は疲れてるに違いない、すぐにでも寝よう...... S氏はそのまま寝てしまった。
次の朝、S氏は目を覚ました。昨晩の奇妙な出来事はすっかり忘れてしまっているようだった。
それからである。S氏がとんでもない幸運に恵まれるようになったのは。会社ではメキメキ頭角を現し、飛ぶ鳥をも落とす勢いで出世の道を進んでいった。縁が切れかかっていた女とは復縁し、結婚式を挙げ、三人の子供にも恵まれた。宝くじにあたるといったこともあった。そしてS氏は若くして社長の座に登り詰め、家に帰れば美人の奥さんと三人の子供が迎えてくれる、人生の模範的な成功者となっていた。
しかし、どんな人生にも終わりは来る。S氏は家族に見守られながら、穏やかな死を迎えた。
S氏は目を覚ました。辺りを見渡すと、ぽっかりとした何もない空間が広がっていた。
S氏は目の前に奇妙な恰好をした男が立っていることに気が付いた。どこかで見た顔だ、そうだ、あの時の......
「おはようございます、約束の品物をお借りしにきました。」
やい、こんなとこに連れてきて何をする気だ、早く帰してくれ、とS氏は男に言った。
「それはできませんよ、お客様。お客様はもう亡くなられているのです」
S氏はどうにもならないことを悟り、受け入れることにした。そして口を開いた。
「それで、あとどのくらいこうしていればいいのだ」
男は答えた。
「そうですね、お借りした魂がまた一生をおえるまで、でしょうか。お客様の魂は......どうやら太陽型の恒星に生まれ変わったようです。ですから、あと百億年ほどといったところでしょうか......」
S氏は絶句した。百年と百億年では、全く割に合わないじゃないか。