二の句が継げない
これは「エッセイ村へようこそ」企画「冬のゆき祭り 大セリフ交換大会」の参加作です。
教室を出て校門を抜け、しばらく直進して見えてくる十字路、そこを右に曲がって始めの角を左に、そのまま真っ直ぐ行って大通りを渡る。1つ目、2つ目の十字路を直進して右に曲がり、1軒、2軒、3軒目が俺の住むマンション。
3階建てなのでエレベーターもなく、入り口は少しばかり薄暗い。1階部分は駐車場と駐輪場になっていて、鉄骨が剥き出しになっている。多分だけど、その鉄骨に吹き付けられている綿っぽいものはアスベストだろう。
息を止めながら階段に向かって行くと、駐輪場の隅に1人の男が蹲っているのが見える。
あぁ、今日もいるのか。
その男はいつも駐輪場にいる。同じ場所にと言う訳ではないが、いつも決まって赤色のマウンテンバイクの横にいる。始めの頃は自転車泥棒かとも思っていたが、そうではなく、そのマウンテンバイクの持ち主と言う訳でもなく・・・。
「おっと、今帰り?俺今からバイト~。じゃな」
2階から降りてきた同級生が階段の真ん中で立ち止まっていた俺に声をかけて駐輪場に降り、そして蹲っている男を通り抜け、マウンテンバイクで出かけて行った。
通り過ぎたのではなく、通り抜けた。そんな光景を見せ付けられれば嫌でも理解する事が出来るだろう、あの男がこの世の者ではないって事が。
まずい、こっちを見る。
慌てて階段を駆け上がって部屋に入り、何度も頭で繰り返す言葉は“見えてません”だ。
この床の下に広がる空間に今もあの男がいる、そう考えるだけで落ち着かない。
どうやればいなくなるんだ?
何をすれば元の平和な日常に戻れる?
こうして俺はポケットの中に塩を装備し、100均で買った数珠を手に駐輪場に向かった。寝不足で上手く頭が回らなかった事による暴挙だと思う。
「おい、アンタ。このマンションに何の用だよ」
蹲っていた男がゆっくりと顔を上げ、ゆっくり、ゆっくりと俺を見上げてくる。
あぁ、しまったな・・・怖い。
自分がどんなモノに声をかけてしまったのかを冷静に判断した結果、話しかけた事に対する後悔が押し寄せてきた。
そしてガッツリと合った視線。
「おぉ?俺が見えてんの!?」
男は、寧ろ恐ろしい位に普通過ぎていた・・・。
しっかりと存在を把握したからなのか、ボンヤリとしか見えていなかった男の姿が妙にはっきりと認識できるようになった。
歳は20代後半位でジャージ姿、それにくすんだ緑色のスリッパを履いている。少し長めの髪は黒ではなく少し明るめの茶色、チラッと見える耳たぶにはゴツイピアス。大人の男性と言うよりも大学生的な若々しさを感じさせるその姿は、俺の方がヨレて見える位に生き生きとしていた。
「で・・・なんの用でここにいる訳?」
「ハルく・・・大山春樹君を見に・・・かな」
大山春樹と言うのは、さっき赤いマウンテンバイクでバイトに行った同級生の名前に間違いない。
大山家は1ヶ月程前に引越ししてきた隣人で、母と子の2人暮らし。2人共明るい性格なのかご近所でも評判が良い上に、息子の春樹は転校してきて1ヶ月だと言うのに俺より友達が多い。
クラスは違うし友達でもないが、お隣同士って事で顔を合わせば挨拶程度の事はするという間柄、こんな幽霊が取り憑いてる理由なんか知らないし、知ろうとも思わない。
さてと。
幽霊の素性が知れて恐怖心が消えた事だし、これで恐怖による寝不足に陥る事もなくなるだろう。
お帰り俺の平凡な日常。
幽霊に背を向け、バイトに向かう為に歩き出すと、急に後ろから腕を掴まれた。ビックリして振り返ると、それ以上に驚愕しているらしい幽霊が目を真ん丸くして熱心に俺の腕を見ていた。
何事だ?俺の腕に何かあると言うのか!?怖いんですけど!!
「さ、触れてるっ!」
幽霊の言葉に血の気が引く。
掴まれた感覚があるって事は実態がある?けど、大山春樹は実際幽霊を通り抜けていたし、幽霊自身が俺に触れている事に感動している。って事は・・・もしかして・・・取り憑かれたのは俺ぇ!?
「なんで俺なんだよ!相手間違ってんだろ!?」
腕にしがみ付いている幽霊を引き剥がそうとして頭を鷲掴んだ所で、今度は俺が叫ぶ事となった。
「触れている!!」
そしてそれに被せるように
「触られてる!」
と叫ぶ幽霊。
落ち着こう、まずは何よりも落ち着こう。幽霊が見えてない人からすれば今の俺はかなりの勢いで可笑しな人だ。
本当ならバイトに行って思いっきり現実逃避をしたい所だが、風邪を引いたので休みますと嘘の連絡を入れて部屋に戻り、大山春樹が帰って来るのを待つ事にした。
部屋にまでくっついてきた幽霊は、人に触れる事が相当嬉しいのか俺の腕から離れないまま殺風景な部屋だとかなんとかケチをつけて来る。
物があまりないんだから殺風景になるのは仕方ないだろ、とか本気で言い返すのも馬鹿馬鹿しいのでテレビを点けて真隣から聞こえて来る声から気を逸らそうとしたのだが・・・。
「あ、そうだ。名前は?俺は大山大樹」
いきなり自己紹介されて全神経が幽霊に向かった。
大山って言ったか?大山は隣人で、幽霊は春樹を見る為に成仏もせずに・・・そうか、コイツ、春樹の親父か。
なんで友達でもない同級生の親父に目を付けられてんだろう・・・。
「で、未練があんだよな?なにがしたいんだ?」
なんとなく名乗るのは駄目な気がしたので、かなり強引に話題を変えようとして敬語を忘れた。同級生の親父だし、普通ならタメ口は問題があるのだが、当の本人は気にした様子も見せずにヘラヘラと笑っている。
「話しが早いね。えっと、実は・・・まぁ、ハル君に伝えたい事があるんだ」
なんだ、それなら簡単じゃないか。
伝えたい言葉を俺が代弁すれば済むんだから今日中にも解決出来るだろうと、思っていた。しかし、その伝えたい事ってのが重過ぎると言うか・・・人の家庭事情に思いっきり踏み込む内容と言うか。とにかく友達でもない相手に言えるような事ではなかった。
どうやって伝えたら良いのかも分からず、どうすれば良いのか思考を凝らすがなにも浮かばず、なんの考えもまとまらないうちに駐輪場から自転車を止める音が聞こえた。
タンタンと階段を上がって来る音は徐々に大きくなり、後数歩で全ての階段を登りきってしまうだろう場所にまで達している。
家の中に入られたら、こんな夜遅くに呼び鈴を鳴らすと言うテロ行為を行わなければならなくなる。
取り合えず足止めをしなければならない、それだけの理由で玄関を出て春樹の目の前に立ち、その勢いに任せて伝えたい事、を告げた。
「最後の言葉を忘れて欲しい」
心底困り果てているらしい春樹は、苦笑いで俺を見ている。
「ハル君カワイ~」
おい、カワイ~じゃねーだろ!誰のせいでこんなハズイ事してると思ってんだよ!つか、最後の言葉、でピンと来ないもんなのか?折角包んだオブラートが無駄だったと言うのか!?
「だから、その・・・最後だよ!最後の言葉!」
どうにか伝わらないものかと何度も最後の言葉と繰り返していると、かなり考え込んでいた春樹はハッと顔を上げ、俺を指差してきた。
どうやら、やっと通じたようだ。
「謎過ぎて、結構悩んでて・・・それをなんで西野が知ってんのかも謎なんだけど」
まぁ、そうでしょうね。
なんで知ってるんだって言われても、まさかお前の親父が見えてます、なんて信じてもらえそうにないし。けど、最後の言葉がどんな内容だったのかまでは聞いてないからな?
「『吼えよ蒼天、嘆く風。立ち上る陽炎にその身を――――』……ってとこで事切れたんだ。親父が何を言いたかったのかさっぱり分からねえ。これが遺言てどうよ!?」
ぶっ!
そら悩むわ!最後になんという言葉を残したんだこいつは!
「何が言いたかったんだよ・・・」
普通に、腕にくっついてる奴に言ってしまった。
「なんか家訓になるような、そんな賢そうな事が言いたかったんだもん!」
だもん!じゃねーよ!それで結果忘れて欲しいんなら意味ないだろ。
なんで無理矢理賢そうな言葉で伝えようとしたんだよ。しかも途中までしか言えてないし・・・まぁ、最後まで言い切っていたとしても賢そうでもないし、家訓にだってならなかっただろうが。
いや、待てよ。最後に選ばれた言葉なんだから何か深い意味が隠されているのか?
蒼天と陽炎は春の季語だよな?季節じゃなく春樹の事か?嘆く風は・・・風樹の嘆か!?立ち上がる陽炎と言うのは?その身を――の後に続く言葉は?
「親父のポエムだと思う事にしてるから」
自己解決しているとの言葉とは裏腹に、春樹は顔を伏せてしまった。
最後の言葉の意味が分からないってのは辛いよな、答えらしき物を見付けても答え合わせが出来ないんだから一生かけたって納得出来ない難問だ。
お前の親父は今ここにいて、俺の腕にくっついてて、お前の事、物凄い優しい顔で見てんだぞって教えてやれたら良いのに。
「で、本当はなんて伝えたかったんだよ」
俺なら直接本人から聞ける。俺の口からじゃあ気休めにしかならないかも知れないけど、それを答えとして伝えるしかない。
「見守ってるから、泣かないで。触れなくても、傍にいるよ・・・って」
なんだよ・・・普通に伝えた方が良かったじゃねーか。格好付けなくたって、今の言葉を春樹は直接アンタの口から聞きたかったんだと思うぞ?
「親父さんポエミーだったんだな」
代弁なんか、出来なかった。
「だろ?その影響で俺、悲しい時の事を嘆く風って言ってんだ」
そんな使い方ですか!
「え?本当に?やったね」
そしてお前はそれで良いのか!?
あー、もう信じらんねー。お前ら全力で俺のシンミリを返せ!
じゃあまた明日、そう言って春樹が手を振るから、俺もまた明日と声をかけて自分の部屋に戻った。
何故俺が家庭事情入り込んだ事を知っていたのかって所は特に追及されずに済んだし、これなら明日からまた平和な日常が送れると思っているんですけど・・・。
「なんでまだ俺にくっついてんだよ」
俺の腕にはまだ春樹の親父がくっついていて、ニコニコと見上げてきていた。
未練だった事を解消出来た筈なのに、消えていくような気配が見られない。やっぱりポエムだったという解釈では成仏出来ないのだろうか?
「俺が19の時にハル君が出来てさ、だから、その・・・ハル君の19歳の姿を見たいなーって」
成仏出来なかった最大の心残りはそれか!それならさっさと本人に憑けば良いんじゃないのか?いや、それが出来なかったから今ここにこうやっているんだよな・・・ん?19歳って事は、
「まだ3年もあるじゃねーか!」
高校の間は隣人かも知れないが、卒業したらどうなるかも分からないんだぞ?引越ししたりして隣人じゃなくなった後、どうやって19歳になった春樹と会うつもりだ?まぁ、その時は俺の腕から離れてるだろうし、個人的に飛んで行ってくれるとは思うが・・・念の為明日から春樹と友達になれるよう動いて行こう。だったら家を出る時間を合わせて登校だけでも一緒にして行くか。後は学校で合った時に挨拶をする位から始めれば不自然じゃな・・・ん?
腕に少しの痛みを感じて視線を落とすと、なんか物騒な顔で見上げて来る幽霊が1人。始めの対面の時にこの表情をされていたら悲鳴を上げて逃げ出す事が出来ていたんだろうな、とか考えつつツンツンと頬を突くと手を掴まれた。
「どうして隣人君がハル君の正確な年齢知ってるのさ」
と、言いながらだ。
どうやら春樹を付け狙う悪い虫の1匹と思われたらしいが・・・。
「・・・同級生なんだけど」
子を想う親の過剰反応だと思う事にするさ・・・。
「えぇっ!?あ・・・いや、その・・・ゴメンね?」
なに謝ってんの!?
なにそのマンガでしか見た事ないような完璧な驚き様!しかもなにを優しげに微笑みかけてきてんだよ!逆に傷付くわ!
俺そんな老け顔じゃねーし!じゃないですよね?ねぇ!!
頂いたのは「『吼えよ蒼天、嘆く風。立ち上る陽炎にその身を――――』……ってとこで事切れたんだ。親父が何を言いたかったのかさっぱり分からねえ。これが遺言てどうよ!?」と言う紅月 実さんの台詞でした。